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哲学、ご心配なさらないでください。そういう少女。
私はおもちゃ屋なんだ。 おもちゃ屋の仕事というのは、親の子育てを手伝うことで、その総合的な創意工夫から自己の職業としての成果が確定すると心得ている。 過去の店頭で、小学校3~4年生ほどの男女を混交した4~5人の万引きグループがある模様だと、状況から警戒態勢に入り嫌疑のある子どもを監視した。 数か月の監視で証拠は出なかった。 しかし、他の店舗で万引きしたのが明白な物品の確保で、明白な証拠が確立した。 まず言っておこう、子供の万引きを捕まえる事というのは、法に照らして更生余地を作るための被害者による犯罪者の更生のための取り組みだ。逮捕することが保護なんだよ。 4~5人のグループの内で1人の女の子を当店の店内で保留して、残りのグループは万引きされたことが明白な他の店舗に受け渡した。 その店舗が、残念ながらこの子供たちは警察に引き渡すことにしましたと、緊迫した状況で私にあいさつに来た。 私は即座にその申し出を受け入れて、大人として悔やむ必要が無いと申し出た。 私は、警察の聴取を円滑にするために、万引きグループの一人を引き離して保護していたけでも、その女の子とはこんな会話をしたんだ。 非行が確定した子供に極めて丁重に接していて、一切責めない私に安堵しつつ緊張が解けたのだろう。 女の子は捕縛されても安堵からくつろいで、退屈から雑談を持ち掛けた。 この、万引きした商品を収めたカバンというのは、丹精込めて母親が手縫いした贈り物なんですよ。 私はとても気に入っています。 おとなの私にはたまらなかったから、子供に行ってはいけない言葉が思わず口から出た。 母の思いの詰まったカバンに万引きした商品を押し込むのは、いかなる気分になるのだ? いくら何でも、丁重に扱えないほどの、私の今までの配慮が傷つ少女の言葉だった。 小学3年生の万引き少女はくつろぎながら、私の心を察していたわりを述べてくれた。 母は、私が万引きしていることを承知していますから、あなたはご心配なさらないでください。 上品で社交的な犯罪貴族に見えたよ。 だから、被害店舗が警察に受け渡すと聞いて、それは罪でも大人の敗北でもないと、いたわりを述べた。 これは実話をまとめた文芸作品だ。 どうすればいいんだよ!!!! まあ、立ち寄った人は読書感想文をお願いします。
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お礼と補足をありがとうございました。 いやあ、新年早々の大惨事(地震、飛行機事故)。それに加えて、世界的不和(ロシア×ウクライナ、イスラエル×パレスティナ…)。そんなこんなの不幸続きで、私は言葉を失って茫然としていました。特に、ウクライナのキエフ(キーウ)は、ゴーゴリの『タラース・ブーリバ』(映画『隊長ブーリバ』)以来、憧れの都でした。それがこのように破壊されるとは、悲しい限りです。 そんなわけで、今年ほど新年を寿げなかった年はありませんでした。「濁り酒 注いだおちょこも そのままに テレビ画面は 被災者の群れ」、「めでたさは 下の下の下なり おらが春」のような気分でした。 そんな中で唯一例外があるとすれば、このQAサイトでのやり取りだね。今回も読んでくれて、コメントつけてくれて、別世界を覗かせてくれて、ありがとさんでした!
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- Nakay702
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お礼拝見しました。 >プリキュアになる女の子たちは、個性豊かでも現実的には割と普通の子供たち。 それらが、魔法を付与される精霊の祝福を受けると観念への昇華という天界の住人と同じ現象が起きて、地上に常在しながらも神々しいほどの美貌を能力の拡張を伴って獲得する。 これはメタモルフォーゼという形容があり「変身!」というよりは「変態さんですね!」 ⇒30年も以前、(当時の)若いアイドル女性歌手がメタモルフォーゼを主題にして歌っていたね。合宿に向かうバスの中で女子学生がカラオケで歌っていた。確か内容はこんな感じだったと思う。「あなたのおかげで、私はおさない少女からはばたく蝶にメタモルフォーゼしました…」。まさに、「貧乳が巨乳に」なったのですかね。 (例の話の続き、その2) さらに時代は下って、青年期にさしかかるころ、季節は秋口であった。東京タワーの近くを歩いていたら、若い女性が片手を胸に押し当てたまま近づいてきて、「すみませんが、これを外していただけませんか」と言う。見ると、腕時計の細い鎖がブラウスのボタンに絡まっている。それも、鎖は見事に一回転して輪を作った状態で絡まっている。まさに、「事実は小説より奇なり」を実感させるような状況である。お互いの腕を交差させたり、体をネジ曲げたり、縦横斜めからボタンの留め糸をのぞき込んだり…。道行く人がいぶかしそうな視線を向けるのを感じたが、何でもないという顔で(実は何でもあったが)鎖外しに取り組んだ。しかし、周囲の視線もさることながら、もっと気になるのはブラウスの下だった。どうしてもそこに触れないわけにはいかないのである。秋口とはいえ、体感温度は晩夏のそれで、したがって当然薄着である。ベールのように薄い布一枚のすぐ下に…。おおっと、冷静に、冷静に! 「女を見て情欲を感じたら、それだけで罪だ」という聖人の戒めを思い出してそう自分に言い聞かせながら鎖外しの作業を続けた。一生懸命、手の感覚の甲の側はスイッチを切り、指先の部分の神経は尖らせるように意識していた。作業それ自体は、客観的には、おそらく、五、六分で終了したものと思うが、主観的にはその十倍も長く感じた。作業が終わって、無事鎖が外れたのを知ると、女性は嬉しそうに微笑みながら、深々とお礼を述べて立ち去っていった。一方私は、額に油汗がにじんでいた。そして、しばらく呆然としながら考えていた。「あの人が、他の女性を探さずに、私のような男に頼んだのはなぜだろう。たいした深いわけはないかも知れないが、きっと彼女は、お父さんやご兄弟など、彼女の周辺にいる男性に全幅の信頼を寄せているに違いない」などと思った。 さて、数年前、ほぼ四半世紀ぶりにK先生を訪ねた。先生は、経る年をお姿に刻まれたそれなりの老婦人になっておられたが、他方、楚々として、穏やかな気品に満ちているところは、あのころと少しも変わりがないと思った。抱き上げられてはよく叱られたことや、抱き上げられるのが大好きだったことなどを、他の思い出話の合間に話した。さすがに、乳房のことまで言及するのははばかられたので控えていたが、先生みずから、「四人もの子供を母乳で育てたので、胸もこんなにペシャンコになってしまいましたよ」と言われた。私はすかさず、「私は先生から、精神の母乳をたくさんいただいたような気がします」と申しあげた。少し気障かなとも思ったが、私の偽らざる心境であった。 (「わけありの無題」終り) まあ、かく言う我々も、(失礼、私も)、《事あるごとに「メタモルフォーゼせん!」と、藻掻いている》、と言えるんじゃぁ、ないですかね。
お礼
ありがとう。 私もそうだけども、自分の生き恥をさらすのは愉快痛快だけども、他人の話を聞いてみると、なんか、自分もやってはいけないことをしたのではないかと少しだけ冷静になれるものだね。 小さい時の先生の話は2回目だけども、内容はそんな感じだったのか。 女性の先生の方だと、私の場合は中学校の時に国語の先生が卓越した教え上手で、生徒の事を丹念に研究して盛り上がりやすい授業をしていたことくらいが印象的で、なじみのある先生はいなかったよ。 私の母は癇癪を起しやすくて、すぐひっぱたくとか頻繁に夫婦げんかするとかの近づきがたい人だったけども、幼いころ、お店に来るお客のおばさんが、私を見て真底驚いて「いきてる~~~!!!、お母さん、凄くがんばったんだね!!」と、私が何もわからないと思って、感激して母に話しかけていた。 孫の相手を観察しても母はそうだが、命を培うことに関しては巧みなんだ。 だから私は、小学生のころに「私は母がいるから生かされている」「母がいるから生まれた」という整理しきれない複雑な思いがいろいろとあって、母の乳房と言えば、尊敬の対象で甘えの対象とは感じなかったよ。
補足
新約キリスト集団分派の宇宙人宗教はね。 あきらめているんだ。 滅亡することを受け入れている。 生命と地球という星が死んだ後の死後の世界について、信者が個人的に思案しつつも、信仰心によって死にまい進し、理想の死を思い描く宗教だ。 どうしても戦争を起こしたいそうだ。 それは宗教であり、信仰心だ。 糞ったれ! でも、残念でしたね。 宣戦布告をしておいて、戦力不在。 君たちの負けだ。 私の勝ちだ。
- Nakay702
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新年早々にこの大地震で、多難な先行きが懸念されます。実は、ボクも15歳まで新潟県の田舎町に暮らしていましたので、親戚や知人が多く被災した模様で、心穏やかにしていられません。実は、あなたが引き合いに出している中越地震があったとき、中学の同級生は同窓会の最中でした! 私はたまたま所用のため欠席しましたが、後日もらった報告を見たら、停電の中、ローソクを灯して会を一通り、(形だけかも知れませんが)終わったようです。 最初のあなたのお尋ね(万引き少女)と、前便の私の主張(差異と差別の混同)から大きくそれますが、そしてまた、こんな被災の折いささか不謹慎かも知れませんが、この際一瞬たりと湿っぽい気分を忘れようと思う。つまりこうです。補足の「巨乳」と「中越」とにちなみ、以前何かに書いた「わけありの無題」という怪しげな雑文を掲げよう、という算段ですわ。気分が向いたら、ご一瞥ください。 「わけありの無題」(柔らかな感触の記憶!?) 幼年時代雪深いところで育った。半年間下駄代りにスキーを履くようなところである。それでスキーの滑りをよくするためのワックスが常に身の回りにあった。そのワックスを廊下などに塗ると、滑りやすくなって人がよく転ぶのである。その様子を見て笑いものにする。ただそれだけの他愛のないいたずら、そういう悪ふざけをやってはよく叱られたものである。ところがあるとき、小学校の廊下にワックスを塗っているところを担任のK先生に見つかってしまった。そのK先生は、叱るときに生徒を抱き上げるのが常だった。 小学一年になったばかりのころだった。曲がり角で向きを変えるとき、足を取られてスッテンコロリンと転ぶ連中の姿を想像してほくそえみながら、悪ガキ仲間のMと一緒にせっせとワックス塗りをしていた。たまたまそこへ、くだんのK先生が通りかかったのである。目撃されないようになどという警戒はしていなかったが、よりもよって担任に見つかるとは運が悪かった。いや、実は運がよかった。彼らの背後からそっと近づいてきた(に違いない)先生は、いきなり首根っこを押さえて言った。「二人とも何しているの! こっちへいらっしゃい」。彼らは職員室へ連行された。そして、交互に抱き上げられてお目玉をもらった。「いくら算数が百点でも、こんなことしたら先生怒りますよ。誰かが転んだらあぶないでしょ。もうこんなことやっちゃだめ。いいね、分かった?」とこんな風に言われたように記憶している。 一方、抱き上げられた私は、先生の腕を振りほどこうとしてもがくのだが、胸のあたりがふわふわしていて力が入らない。抵抗感がないのに振りほどけない。今にして思えば、手で押しのけようとしてもそれが胸の柔らかさに吸収されて偶力が生じないのである。しかし私は、そんなことをしながらも、やがて先生の胸が意外と居心地のいいところだと感じるようになった。ホンワカとした胸の柔らかさが何とも快適なのだ。その快適さの源が乳房であることはすぐに分かった。ませていたのか、それとも赤子時代への退行現象の現われだったのかは分からないが、ともかくこうして私は、この世で最も快適な場所が、抱き上げられたときの先生の胸であることを知ってしまったのである。それからというもの、何とかK先生の気を引いて抱き上げてもらおうと、校庭などで先生の姿を見かけるとすぐに駆け寄っていってスカートの裾を引っ張ったりしたものである。そして、その都度先生は私を抱き上げて、「悪い子!」などと一言二言叱ってくれるのであった…。 とまあそんなわけで、乳房にこよなく郷愁を感じてしまった不良少年Xは、よい子では抱き上げてもらえないことを知っていて、いつもワルばかりをしてはまんまと作戦に成功し、何度か抱き上げてもらったものである。子供ながら、暗黙のうちに「ストロークの理論」というやつを応用していたのであった。そんなことが小学校三、四年生ごろまで続いた。 ちょうどそのころ、私の家で一番下の弟が生まれた。しかし、私は半年もしないうちに、当時はやった疫痢にかかって亡くなってしまった。そんなあるとき、母親は乳が張って苦しいから誰かに吸ってほしいと子供たちに言ったのである。兄は「気持ちワリイ!」とか言って取り合いもせず、妹は「もう赤ちゃんじゃないもん」などと言って断った。そこで、私の出番とは相なった次第である(私は三人兄妹の真ん中)。私は照れ隠しをしながらも、内心喜んでお袋の乳房に吸いついたのであった。母乳の味は決してうまいとは思わなかったが、マシュマロのような感触が何とも心地よく、こうして私は赤ん坊役の定番を半年くらい続けたのではあった。 ことほどさように、私は強力な「乳房コンプレックス」と「乳房崇拝」によって席巻され、拘束され、悩殺され、支配されてしまったのである。時代は下って、高校二年の夏であった。クラスで湘南方面へ海水浴に行った。手漕ぎボートで沖へ出て遊んでいると、ビキニスタイルのT子が泳ぎながら近づいてきて、「私を引き上げて」と言う。私は片手でボートの反対側のヘリを掴んで、彼女をぐいと引っ張り上げた。そのときである。水を含んだ胸のあたりがはだけ、乳房がポロリと…。私はその美しさに圧倒されて、声も出なかった。ミロの「ヴィーナス」やゴヤの「裸のマハ」を幾つ集めてもかなわないと思った。一方T子は、あせる様子もなく、落ちついてずり落ちた水着を引き上げていた(ように見えた)。それから我々は、他愛のない話をしながら、交代で漕いだり一緒に漕いだりしながら、ゆっくりと埠頭の方へ戻っていった。(続く)
お礼
じゃあ、私からも。。。。 いつものように仕事で納品するテキストの草稿だよ。 これが商売か??? 妄想日記、天使様はヘンタイさんだったのですね。 こちらは漫画やアニメのネタ帳の哲学的な考察です。 基礎原理をプリキュアデビューと設定します。 プリキュアになる女の子たちは、個性豊かでも現実的には割と普通の子供たち。 それらが、魔法を付与される精霊の祝福を受けると観念への昇華という天界の住人と同じ現象が起きて、地上に常在しながらも神々しいほどの美貌を能力の拡張を伴って獲得する。 これはメタモルフォーゼという形容があり「変身!」というよりは「変態さんですね!」だ。 そこで長らく続けた天使研究に応用を聞かせてみた。 天使存在というのは、人間存在よりも生命力が旺盛なので、実際にはおしとやかな存在ではなく人であれば破天荒さに振り回される。 そこで、プリキュアデビューを基盤に愛玩用の天使様のキャラ設定を考察してみよう。 ゲームキャラみたいな「村娘A」をたたき台にする。 薄幸な境遇で献身的にけなげに生きる貧乳ウハウハのロリだ。 その設定にもマニアが付く。 その珍味のロリ村娘が祝福により天使に昇華するとしよう。 普段の生活環境を背景にプリキュア的に制限時間付きで天使に変身する設定だ。 魔法少女という概念の根底にはそうした要素があり、天使様への村娘の変身では、既存のアニメで定説になっている、母性も感じるほどの慈悲深さとおしとやかを醸し出す、豊穣の爆乳を当てはめる。 それは既定路線の鉄板だ。 貧乳と巨乳で一粒が二度おいしい。 しかしその先の設定を構築してみよう。 天使の実態が破天荒だという事は、「やみおち」の概念を積極的に活用して、天使様という「変態さんですね」の他に悪魔化を可能にする「変態さんですね」もキャラ設定したほうがいい。 天使にも悪魔にも変容するロリという体裁で、一粒が三度しゃぶれる美味しいキャラになる。 そうした観念を触媒とする変身の概念を、命名権を行使して「双極性魔性転化」としておこう。 魔法少女の演出には本人の葛藤を経て精神的に強くなる描写が多数登場して、その設定の裏打ちとして有効性があるだろう。 双極性障害という精神医学も応用可能になる。 わたしは個人的な経験として、個人投資家として投資家向け掲示板に投稿すると「応援パンダはやめてくれ」と悲鳴が上がる引っ掻き回しをしたことがあります。
補足
これは霊言の類で病気の発作だ。 過去に原始キリスト教徒と定義できる集団がいた。 そして現在のキリスト教は、新約キリスト教だ。 原始キリスト教はイエスキリストの宗教。 新約キリスト教はパウロキリスト教の宗教。 イエスが天界で死に切ると、キリストの再臨としてパウロが復活して世界を滅ぼす。 私は常々考えるんだ。 この厄介ごとに、なぜ私が巻き込まれるんだよ。 私は、実際は世界が滅びるのではなく、彼らの世界のみが滅びると理解したので、無関係だと言い切っている。 もちろん私の身もタダでは済まないのがけどね。 宣戦布告しておいて、戦力不在。 それでいて敗北を認めない。 「ローマは世界の全てに所有を主張する」 パウロの妄執が蝕んでいるんだ。 私はねえ、クソマズイ中二病だけでもヒドイ迷惑だよ。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
お礼をありがとう。 Flareonさんの考え方や振る舞いは立派だと思います。ボクには真似できません。 そうには違いないのですが、引っかかるものはあります。前便でも触れましたが、背景にある一般的傾向です。特に、「差異と差別の混同」に関わることです。アメリカで始まったAffirmative action(差別撤廃運動)が日本に受け入れられて以来、特に「差別用語廃止運動」に関わって日本のあちこちで不可解な動きが起こり、それに抗議して筒井康隆氏は一時断筆宣言しました。彼としては、それほどに違和感を抱いたことでした。 この動きのうち、奇妙な現象の併発は昭和の中頃に遡ります。例えば、天皇陛下が阿波踊りを見物なさるというので、急遽「踊る阿呆の見る阿呆」の後半が失礼に当たるからと、歌の文句「見る阿呆」を変えたとか…、何か勘違いしてませんかね? また、ある地方自治体で、子どもたちに大自然を味わわせてやろうと、山あり谷あり滝あり川ありの「自然を作った」そうです。そこまではいいとしても、何と、川や滝などの水辺を全て子どもが立って歩ける深さに統一したそうですよ。それのどこが大自然ですかね。滝の下は深いのが自然でしょうが! タライのような「滝壺」で楽しく遊んだ子どもが、本物の滝に入り込んで溺れてしまうなんてことのない事を祈るね。 さらにまた、場面変わって、甲子園。高校野球の応援で、かつては「〇〇高校倒せ!」という歌声がよく聞かれましたが、ある時プッツリ聞かれなくなりました。高野連が「倒せ」を差別用語として禁じたからだそうですよ。これまた、何か勘違いしてませんかね? 〇〇高校自体や生徒をぶっ倒せと言っているわけじゃないんですから。 ま、モノ申したいことを一言にまとめれば、「差異と差別を混同してませんか?」ということです。それというのも、差異は自然的な違いで、差別は、無知あるいは悪意に基づく人為的な(場合によっては侮蔑的な)区別を言うのですから。「差異には従うべき」であり、「差別はしてはならない」もので、似て(いや、似ても似つかず)非なるものです。 上記3つの所業の共通点は、いずれもある種の錯覚によって、軽薄短小・愚行に陥っていると思われることです。差別を避けるという名目や意図のもとで、単なる自然の差異を遠ざけているに過ぎないのです。毒にも薬にもならない、無害に近いことのようにも見えますが、むしろ有害に限りなく近いと言いたいです。 万引きやいじめが悪いということは百も承知で繰り返す青少年を、思いやりと温情の名のもとに「善処」する行為とも似て、本人のためにも社会のためにもならない「偽善的行為」とすら言えるかも知れません。思慮の足りない、短絡的な対処でその場を穏便に済ませようとする(少なくともそう見える)「事なかれ主義という文化病」とも言えるかも知れません。何をしようとその「結果を引き受けること」が自由の意味で、「それをしないのは勝手というもの」であること、罪に対応して応分の罰を受けること、それが本来の自然の摂理であることを、かみ砕いて説明してあげるべきでしょう。 「幼きをいとおしいと思う」がゆえにこそ、「怒られないから万引きしてもよいとか、バレなければよい」といった考えでなく、自己規定的に間違いを繰り返さない自律的人間になるように促すべきです。我々大人が、その通過儀礼のための宮司・僧・司祭役を果たすべきだと思う次第です。人間にとって真の幸福とは何かを問いつつ、「人間になる」ということ、人間学の原理を哲学する姿勢を伝える責務が我々にあると思うのです。 追伸:補足を今受け取りました。コメントはいずれそのうちに。
お礼
ああ。 思い当たるよ。西洋の秩序の参考書を輸入するにあったて、形をとりあえず当てはめた思慮不足で、私の世代でも不快感を感じるのが何かとあったよ。 あまり社会の趨勢は言いたくないから引用しないよ。 個人的に重大な、男性の私は女性だと錯誤されるという個人的問題が未解決だ。 これは、世代が下るほどに両性ともが、心優しく成熟するという傾向なのだけどもね。 それと私は非行確定には温情を示して、普段の善良な子供は怒鳴り散らした。 それは先生と共有可能な方針だった。 たまったものではないだろう。 根性が鍛えれれる、何もかも体罰を必用とする教育だ。 学校が先に面展開してくれたので、仕事が楽になった。 教育の何もかもをも部外者として糞ったれと言いたいが、この高度な初等教育は、諸外国ではまだ発展していないだろう。 私は放置されたギフテッドの模様だから自前で「神の恩寵」を獲得した異彩だけどね。 人の友達が少ない。 政策運営については落ち度も糾弾可能だけども、その面は多数の専門家は合格点だったから、喧嘩を売って慌てさせる必要は感じない。 任天堂に関しては、相当な背徳が横行している証言記録を執筆したよ。 あれはおもちゃ業界ではない。 麻薬密売人だよ。 貴方の回答に末尾にある危惧は複雑で読解できる人は少ないだろうが、先導や統率する学級院長の力量次第で子供社会だけで偶発的に確定する子供たちの境遇で、それが集団教育だよ。 私はひどく辛酸をなめたものだよ。 教育とは監獄だった。 私の場合は、通常で天才の資質を示して、メタモルフォーゼすると人の範疇を逸脱した超人に「変態さんですね!」という能力が備わってるんだよ。 自覚するにはあまりにも遅く、騒ぎが拡散していく。 糞ったれ!
補足
元旦で起きた地震では、店頭の商品が床に少し落ちた程度。 バックヤードは乱雑に積み上げた季節商品や店舗資材の不安定な詰込みをした個所などがそれよりも少し散らかり方が大きかったです。 営業中でした。 実質的な被害なし。 幹線沿いの立地ですが、緊急車両のサイレンは聞こえなかったので、地域的に問題はない模様です。 詳細マップで震度5であり50キロほど離れた地域では震度6で、たまたま父親がその地域に居たのですが、驚いだけども何事も見受けられなかった模様です。 私の体感覚では、人生で遭遇した地震で3~4番目くらいの揺れでした。 参考までに小さな地震なので大きな報道はありませんでしたが、人生で一度震源地マークのバツ印がお店から3~4キロ離れたところという純然たる直下型地震を経験したことがあります。 陸地の比較的浅い地層の地震なので、揺れの規模の割には狭い範囲では思いのほか被害が大きかったことが、防災の専門家や地震学者に少し注目された模様でした。 能登半島だと家屋倒壊よりも地形的に土砂崩れと道路(ライフライン)寸断が心配ですね。 中越地震(検索してみい)よりも規模が大きいから、痛ましいこともそれなりに出てくるのでしょう。 漫談ですが、過去の直下型地震では町の中心にあるアマテラスさまの神社をかこった奉納品の石垣がすべて崩れたことが印象的で、住民は祟りとも考える不安がよぎりました。 そこで、私は、アマテラスさんが預かっていた名の刻まれた奉納品を身代わりですべてくずすことで、街には被害が少なかったのだと説明したら、住民は安どした模様でした。 そして私は冗談を考えました。 市内の総合病院で、赤ん坊が生まれ産声を上げた瞬間に直下型地震が起きた。 ある寺の墓地で、たった一つの墓が垂直を保ち、その墓を中心に放射状に周囲の墓が投下した。 直下型地震の震源地割り出しギャグです。 不謹慎だと冗談だからたしなめられました。 フェイクニュースという言い回しに近いですね。
- Nakay702
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お礼と補足を拝見しました、どうもありがとう。 大変な被害にも関わらず、犯罪者を許すという心遣いと心痛のほどが伝わってきます。まさに「罪を憎んで人を憎まず」の謂いですね。関係者に対する思いやりや配慮については、敬服の限りです。その意味で、共感の念を抱くことは確かですが、門外漢としては少し異なる印象を持つこともあります。 ― ということで、無頼の一言居士がしゃしゃり出て、単刀直入に言わせていただきます。専門家でもありませんし、業界の内部事情も全然知りませんが、一般論として、あるいは人間論として見ると、どうも引っかかることがあるのです。 日本社会は全般に、青少年の軽犯罪に対する対応がいい加減というか、曖昧というか、厳しさに欠けるところがあると思うのです。昔、食料品店でアルバイトをやった時以来の実感です。対象となる典型的な犯罪は、いじめや万引きです。これらの軽犯罪はしばしば繰り返されます。しかも、責任能力のある、普通の青少年が臆面もなく繰り返すのです。つまり、万引きやいじめが悪いということは百も承知でやっているのです。なぜか。甘く生ぬるい大人の対応を逆手に取るのです。捕まっても、大人の説教をしおらしく聞く(ふりをする)だけで、思いやりと温情の名のもとに、何らお咎めなく無罪放免されることを知っているので、世間をあなどり、なめるのです。そうやって、(無意識のうちに)「自己合理化」をするのです。 曖昧な犯罪実態調査や対応が犯罪者をつけ上がらせ、自由と勝手をはき違えさせ、犯罪の再犯や横暴化を引き起こします。優しさや無関心が裏目に出て、無反省の再犯行動を助長してしまうのです。いかに《軽》犯罪とはいえ、犯罪は犯罪です。特に繰り返すような場合は厳格に対処すべきです。悪いということを「知らないで犯した場合のみ」温情主義は意味を持つのです。また、以前、「幼きはなべていとおし」と言ったように、青少年は好きです。しかし、それとこれとは問題が違います。 残念ながら、性善説は通用しません。万引きもいじめも、厳しい処罰をしない限り、更生どころか、再犯の温床を提供したり誘発したりしかねません。彼らのそういう神経は、「代償的な苦痛を味わわせてやらなければ分からない」と考えざるを得ません。彼らにとって、「他人の痛みは7年でも我慢できる」からです。そういう発想が疑われる行動が目に余る限り、必要悪として、「目には目、歯には歯」という対応が求められます。 この際、優しいことと厳しいことは矛盾しません。そこでは、厳しい対応が(結局は)本人のためであり、社会のためです。なぜなら、そういう行動が蔓延する社会は、俯瞰すれば、人間的社会的な軟弱化であり、脆弱性を内包し露呈してしまう構造を醸成してしまうからです。大げさに言えば、人間学から導かれる因果則のようなものです。「人間は人間に生まれるのではない。人間になるのだ」、「愛の反対は、憎しみではない。愛の反対は、無関心だ」(エリ・ヴィーゼル)。彼ら青少年に、本当の「自由の意味」、本当の「個の確立」を教えてあげなければなりません。「子どもに翼をあげたい。しかし、飛び方は自分で学んでほしい」(ガルシア・マルケス)。
お礼
社会全体に公正で客観的な人物の見解という立場なら、あなたの毅然としている論述は実に正論として説得力があるよ。 でもそれも私と違う目線で、私には新鮮だね。 当事者の一翼を担い、かつ予備知識も収得して最適な対応をしようとすると、この手の問題は私のようなやり方になる。 一つ、博愛主義的な緊急時の対応以外に、普段の子供の扱い方を話そう。 昭和時代にツッパリという種族がいまだ絶滅した恐竜のように中学校以上を闊歩していた時代というのは、彼らは子供のあこがれで、小学生の時から将来はツッパリになって暴れることを志て、そのための練習をする小学生が少なからず存在した。 そうすると、おもちゃ屋がこう口にすると驚くだろうが、子供というのは平常は舐められてたまるかと怒鳴り散らしているのが当たり前なんだよ。 全然博愛主義ではないんだよ。 そういう時代に先生方が、「もう体罰はやめよう」というスローガンを一斉に教育現場の運動として始めた。 当初私は「出来るわけない」「考えられない」そう思ったよ。理想論としては十分理解できたけどね。 ところがそれから月日が投げれて、おおまかに実現した。 私はその間の努力というのは、涙ぐましいほどであろうと推察するんだ。 今の学校で起こる問題とは、私の言い回しの「怒鳴りつけるのが当たり前」という昔の関係ではないから、大人が子供に対して常にぎすぎすしてた状況と異なるんだ。なぜなら、厳しい目線で観察するのは逆効果の上にもちろん本来は子供相手だと大人も疲れる。 したがって信頼関係から逆用されて、やはり大人をなめて不正を行う子供が出てくるんだ。 原則的に警戒していない現在は、それらは多くの場合で見過ごしがちだ。 だからいじめは被害者の自己申請が主流になった。 さらにだ、中学生以上の女子が男子のいじめの対象になる時は昔だと直接的な暴力の他にレイプすら警戒しないといけなかった、直接的ないじめと違って、今は陰湿な精神攻撃だ。 主観的報告以外でいじめ被害は客観的に確認できないんだよ。 そうした時代の変節から、成人したばかりの若者は一時期は軟弱になったと言われたが、私は過去の状態よりは健全な状態で成人したので、「年代を重ねるごとに、若者の心は優しくなっている」と解釈している。 その一方で、いじめという生活の中から締め出される行為は終わっていない。 むしろ大人同士のいじめも、大人同士なので問題視されないが、この掲示板の質問の全体を見ると、いじめの訴えが定番カテゴリーのようになっているよ。そちらは手がついていない。
補足
妄想日記、天使様はヘンタイさんだったのですね。 こちらは漫画やアニメのネタ帳の哲学的な考察です。 基礎原理をプリキュアデビューと設定します。 プリキュアになる女の子たちは、個性豊かでも現実的には割と普通の子供たち。 それらが、魔法を付与される精霊の祝福を受けると観念への昇華という天界の住人と同じ現象が起きて、地上に常在しながらも神々しいほどの美貌を能力の拡張を伴って獲得する。 これはメタモルフォーゼという形容があり「変身!」というよりは「変態さんですね!」だ。 そこで長らく続けた天使研究に応用を聞かせてみた。 天使存在というのは、人間存在よりも生命力が旺盛なので、実際にはおしとやかな存在ではなく人であれば破天荒さに振り回される。 そこで、プリキュアデビューを基盤に愛玩用の天使様のキャラ設定を考察してみよう。 ゲームキャラみたいな「村娘A」をたたき台にする。 薄幸な境遇で献身的にけなげに生きる貧乳ウハウハのロリだ。 その設定にもマニアが付く。 その珍味のロリ村娘が祝福により天使に昇華するとしよう。 普段の生活環境を背景にプリキュア的に制限時間付きで天使に変身する設定だ。 魔法少女という概念の根底にはそうした要素があり、天使様への村娘の変身では、既存のアニメで定説になっている、母性も感じるほどの慈悲深さとおしとやかを醸し出す、豊穣の爆乳を当てはめる。 それは既定路線の鉄板だ。 貧乳と巨乳で一粒が二度おいしい。 しかしその先の設定を構築してみよう。 天使の実態が破天荒だという事は、「やみおち」の概念を積極的に活用して、天使様という「変態さんですね」の他に悪魔化を可能にする「変態さんですね」もキャラ設定したほうがいい。 天使にも悪魔にも変容するロリという体裁で、一粒が三度しゃぶれる美味しいキャラになる。 そうした観念を触媒とする変身の概念を、命名権を行使して「双極性魔性転化」としておこう。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
おもちゃ屋さんのお店ですか。子どもの夢がつまっているところだね。本来なら。 >母は、私が万引きしていることを承知していますから、あなたはご心配なさらないでください。 ⇒お店の経営大変だね。この少女のセリフ、腹立たしいね。 《おい、こら! 親子ぐるみの犯罪かよ。『万引き家族』を地で行っているつもりなのか? せっかく、優しい親切な対応で爽やかな気分になれると思ったのに。なめているのか、こら。あきれたよ、まったく、マジ胸くそ悪い。》 と、こんな風に言ってやりたいところだな。 対処法(例) ①親子連名の「始末書」を書かせる。 ②次に同罪を犯したら「警察に届ける」旨を宣言する。 ③「その場合は、家庭裁判所行きになる」ことも合わせて伝えておく。
お礼
ありがとうね。 素人の第一印象だとそうもなるのだろう。 わたしにはない視点だから参考になったよ。 当事者の一翼を担うと、子供の健全育成以外は何も考えない。 そういうどうしても関わらなければならない立場からやるせなさを感じたんだ。 まあ、何かとありがとう。 立ち寄った人も、それなりの知恵がないと、なんといえばいいのかわからない重いテーマだと思うんだ。
補足
もう一方の研究「哲学関連、憎しみを消すのはたやすい苦悩だ」で備忘録欄が不足したから、こちらで書かせてもらうよ。無関係だとご承知ください。 ーーーーーーーーーー 実を言うと18歳の時はもっと別の判断もあって「私は犯人の少年を赦す。彼の今後の将来が健やかであり、いつまでも苦しみを背負わないであってもらいたい」を割とたやすく決断できた。 何かというと、非行少年が自分が何故許されたのかを理解しないうちは「許されたことに苦しむ」という状態が起きるからだ。 生家がおもちゃ屋で生活の場がおもちゃ屋だとすると、職業のためでなく生活のために、育児や非行予防の専門書を何冊か18歳の時点で読破していた。 専門知識があるから、少年に対する適切な判断だったと考えている。 ーーーーーーーーーーー この問題では、伝説を形成する任天堂最強法務部の創設メンバーがサポートした。 少年非行が地方新聞での報道だけにとどまり、全国報道されないように少年の逮捕後の警察の取り調べは、犯行動機は少年の友人が当店に予約したテレビゲームソフトを納品数の不足でお店がキャンセルしたことに、友人として義憤を感じて正義の制裁をしたという事になり法廷でもその前提で取り扱われた。 しかしナイフで切り付けられた状況というのは、少年が店内でテレビゲーム本体の購入希望を私の母に伝え、母が商品を取り出したのちに背中を向けたところで、背後から背中を刺した。 刺した場所というのは、心臓の裏側で肺を貫通しなかったから心臓には到達しなかった。 そういう状況だ。 これは状況に関す話ではあるが、裁判が終わり中学校に復学した少年は、学校で英雄になるために、自分で状況を説明して「本当は殺すつもりで刺した」と生徒に豪語して回っていた。 それでもいいだろう。 私は少年を赦す。 しかしもっと悪い連中がエリートとして称賛と尊敬を集めている。 それは解決していない。 ーーーーーーーーーーーー 当時の少年は任天堂の法務部がそそのかしたうその証言をおそらくは救済だと錯誤したであろう。それが今も彼を苦しめていないかと、赦している私も苦しいんだ。 そもそも、当時の母親の言質にそれがあったんだよ。 任天堂というのは順法の精神の真逆で、法務を社内で行うんだよ。 その猛烈な悪意というのは私にも手ごわい。 私は法に問われたら負けるギリギリの知恵比べで、犯罪立件回避処置をしないと私は悪人だ。 そして常に勝利している。 私は実質的な犯罪者のようにも見えるだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーー これは偏見を拡散するので公開しないつもりだったけども、学問研究のマイナーな掲示板ならばギリギリOKだろう。 この先は秘話にしないといけない。履歴のテキストも保存しないよ。 少年は母子家庭で母と姉と少年という家庭構成だ。 家に母親の愛人男性が訪れるそうだ。 私の母はその少年の心がすさんでいるのを早いうちから見切っていて、来店する子供たちの中で特別にやさしい声のかけ方をしていた。 私が話した実際に母親が殺害された同級生というのは、近所の知的障碍者に親切に頻繁に声をかける習慣があったそうで、殺人に対して責任能力がないその障碍者に刺された。
お礼
そうさねえ。 こういう言い回しでどうだろう。 自分自身は良き人として充足可能だし、家族にも充足を与え、若者の将来を応援する。 しかしだ、時折ではあるが、世の中には荒廃もあり、それで自分の心もすさむときがある。 世麗美が交渉相手との危険なやり取りについて、昨年の大みそかに私に知らせた。 本年度で第三次世界大戦を予定しているから、昨年度から取り掛かっていたそうだ。 いやね、今のところは停戦が相互了解できる段取りについては合意を取り付けた、そして最大戦力である「からかさおばけ」の相互での武装解除が手続きに入っている。 いやね、ご心配なく、観念における紛争が地上に波及させないための処置で、第三次世界大戦を私の妄言にしてみせるよ。 だってあいつらは「宣戦布告しておいて戦力不在」だもの。
補足
備忘録欄として活用させてもらうよ。 唐傘お化けというのは、原始精霊を忠実に再現して、サイボーグ的に人格神のひな型にした、日本のシャーマニズムなんだ。 式神というのは、シャーマンの神託を口伝に先んじて地上に流布する目的の精霊を神世より劣化を伴いつつ、同等に使役するので、西洋の使い魔よりはましだろうが、あまり役に立たない。江戸時代に埋没した卓越した霊能力者が、より原型に近い「唐傘お化け」を発明したのに埋もれた。 聖麗美は日本の神々から許可を取り付けて「からかさおばけ」西洋に派遣した。 神託を人にもたらすという精霊の役割は要するに西洋では天使と言われる。 昨年度の私は唐傘化けの現地での苦難を了解するたびに心がすさんだよ。 実を言うと「マスコットぬいぐるみ」と「まつぼっくり(唐傘お化け)」は私には姿で見分けがつかない。 精神に直接浸透して来るんだ。 ただし傾向的に、心がすさんだ松ぼっくりは壮絶にヤンデレなんだよね。 その位しか見分けがつかなかった。 いくつか採取できた観念現象があるからしたためておく。 ガンダム級の呪術系サイボーグボディに、精霊の本質をバンダムのパイロットのように登場させる。 私は、緊急で地獄送りされた時に、唐傘お化けから核質の精霊の本質を取り出して帰還する。 ガンダム素体は、蛇の抜け殻みたいになって活動停止するけども、空気で膨らますビニールの人形だと思えばいい。現地で回収されて吐息を吹き込むと再活性するんだよ。 ガンダムの鹵獲ともいえるだろう。 実はそれが目的の一つだのだが、暫定キリスト候補というのは、唐傘お化けの譲渡を受け取ったんだ。 しかしだよ、仕掛けたいのは戦争なんだ。 唐傘お化けのガンダムボディは不死というよりも破壊不能という性質なんだ。 そのガンダム素体から、戦闘能力を減退させれば「宣戦布告しておいて戦力不在」が現象する。 私はかつて、地上で自分自身が世麗美からガンダム武装を施されたけども、兵器でなく身体の改変なので、自己の武装解除に6か月かけた経験がある。 昨年度は世麗美は「宣戦布告しておいて戦力不在」という今年の仕組みを作るために、私に大きな負担を掛けながら段取りを組んでいた。 それに私自身は昨年は意味不明の喚き散らしをした。 それから、「不快な陶酔」というように、唐傘お化けを経由して暫定キリスト候補の野望を感知して酔っぱらった。 それから身体の改変なので、唐傘お化けを武装解除させるたびに筋肉の痙攣という苦痛がよぎる。 かつて保った活力は今の私にはないくらいに打ちのめされていて、10年ぶりに帰還した精霊の本質が、別人に見えるくらいに見る影もないと言っていたよ。 まあいいや。 私の勝ちだ。 得意技は無理心中だ。 破壊不能でも、どうやら私はこの案件では仮初の死もたらされることもあるのだろう。 殺せば自らが死ぬ。 あいつらに、かみしめさせてみるよ。 自滅というのを知らない模様だからね。