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碾き臼を庭の踏み石につかうのは、習慣なのか。

私は、食に関係するものを、踏みつけるのは気持ちが悪い。しかし、タイトルの習慣もあると聞く。その辺のアドバイスをほしい。なお、質問文の単語用法が不適なら、よりよいものに訂正してほしい。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#113260
noname#113260
回答No.1

臼を踏み石に使うのはリサイクルとお考えください。 唐招提寺にも鑑真和尚時代の臼が庭石になってますが、どうも鑑真和尚の指導で作ったものの、和尚は目が不自由ですから職人との意思の疎通があって、失敗作だったようです。 現在でも昔使っていた臼を庭石にする事は多いですが、使わなくなったものも別の形で命を吹き込み流用するのは、よい伝統と思いますがいかがでしょうか。 似た話で、織田信長が安土城の石垣が足りなくなった時、織田家代々の墓石を流用したとの逸話もありますが、(私自身は心の問題で抵抗はあります)役に立たなくなったものを役立てようとの究極かなと。

pitagorajr
質問者

お礼

なるほど、話が飛びますが、臓器移植はよいリサイクルと思っています。ありがとう。

その他の回答 (2)

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.3

昔の人は、道具も長く使っている内に魂が宿ると言いますね。本来の使用目的が終わっても砕いて捨てないで、再利用することが供養、と考えたのではないでしょうか。 ちなみに、碾き臼(石臼)は食べ物以外にも使います。先日、ベンガラの産地を観光した時に、鉱石を粉末にするための碾き臼(石臼)が大量に並んでいたのを思い出しました。

参考URL:
http://www.bigai.ne.jp/~miwa/powder/kuyosando.html
pitagorajr
質問者

お礼

石は丈夫だからなあ、ありがとう。

noname#118466
noname#118466
回答No.2

たしかに食と関係のあるものを敷物にするのは抵抗を感じますが、鍋などと違い碾き臼は食材を準備するものであり、直接調理するものではないので昔の人は、再利用に抵抗がなかったのでしょう。 石材は昔も貴重品だったと思われ、外国でも遺跡の石材などが新しい建築物に使われたケースはたくさんあります。日本では墓石が使われたたケースもあるようですが、墓は死者が50年紀を迎えればただの石(人間は死語50年で仏から神になるという考え)と考えられ無縁仏の墓は片付けて墓場の周囲に放置されたり、埋め立てられたりしています。

pitagorajr
質問者

お礼

そういえば、鍬とかスコップなら気になりません。ありがとう。

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