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教育と人間の資質と日本語について
機能不全家族で育ちました。 ステップファミリーでした。 兄は本当によく面倒を見てくれました。 弟に対して優しいことなどできてませんでした。 弟は幼児の頃笑わせようと言葉遊びをしてたと、今はわかります。 人間の能力はそれぞれ異なります。 わたしは日本語を使いこなせてなかったのでした。 考えてみれば、作文など満足に書けませんでした。 笑いのツボもわからず生きてました。 皮肉は第二次性徴期から盛んに言うようになってました。 中学生の時、母のことを書く作文でステップマザーのことを書くのになんて書いて良いかわかりませんでした。 母に嫌がらせなど一回もされたことはありませんでした。 母がどんなに苦労してたかと思うと胸が潰れる思いです。 本は中学生の時、読書はSF 小説ばかり読んでました。 現実にはないものや未来のことになどに想いを馳せてました。 作文であの時本当に表現したかったのは結びの文章で母のことが大好きだ、と言うことだったのでのです。 当時、中学生の別のクラスの同級生が盗み読んでしまって意味がわからない人たちばかりでわたしの評判が悪くなってました。 だがペーパーテストとスポーツは他の人とは異なりました。 日々精進してたのでした。 ペーパーテストの得意な発達障害のようにも思えます。 そこで質問です。 世界観は一人一人異なる人間です。 教育と日本語に関してどのようなことをお考えになってますか。 お詳しい方にお答え願います。
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質問者が選んだベストアンサー
>世界観は一人一人異なる人間です。 一人一人が世界の中心なのです。
お礼