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俳句の解釈ですが
こんにちは。 最近宮部みゆきさんの小説『ぼんぼん彩句』を読んでますが、 次のような俳句の意味は何ですか? 「月隠るついさっきまで人だった。」 月隠る/ついさっきまで/人だった。 ですから 「月隠る」が一つの文章だと思いますが。。。 終止形?連用形? 終止形だとしたら過去の意味か、現在か、未来か もっとよく理解したいです。 次にくる「ついさっきまで人だった」との関係が分からなくて困ってます。
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以下のとおりお答えします。 >最近宮部みゆきさんの小説『ぼんぼん彩句』を読んでますが、 次のような俳句の意味は何ですか? 「月隠るついさっきまで人だった。」 月隠る/ついさっきまで/人だった。 ですから 「月隠る」が一つの文章だと思いますが。。。 終止形?連用形? 終止形だとしたら過去の意味か、現在か、未来か もっとよく理解したいです。 次にくる「ついさっきまで人だった」との関係が分からなくて困ってます。 ⇒「月隠る」は終止形だと思います。この種の終止形の意味することは、「動作などの類別」です。つまり、《「月が上る」とか「沈む」とかでなく、「隠れる」のだ》と言っているだけです。ということは、この「月隠る」は確かに一つの文ですが、この部分単体では、過去・現在・未来や、完了・不完了の別を表していません。そんなことは、この活用形の関知することではないのです。 では、どうやって時制やアスペクトを判別できるでしょうか。それは、前後関係・文脈によるほかはないでしょうね。「ついさっきまで人〈だった〉」と言っているところから推して、「月隠る」は「月が隠れた」と《過去ないし完了を表している》と取るのが自然です。 すなわち、こうです。「月が隠れ(て、何も見えなくなった)が、それはついさっきまでは表情や感情さえ見せていた、人(のような存在)だった」という意味ではないかと想像することができます。 別の俳句、「薔薇落つる丑三つの刻誰ぞいぬ」の「薔薇落つる」は、連体形で「(丑三つの)刻」にかかっていますね。この場合も、「薔薇落つる」の表現単体では時制などは分かりませんが、「誰ぞいぬ」によってはじめて完了のアスペクトを表しているらしい、と推測できます。 すなわち、こうです。「(草木も眠る)この丑三つの刻に薔薇が落った。さては、誰かがみまかった(亡くなった)か…。」 (以上)
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- MT765
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「隠る」は「隠れる」の文語形だと思います。 「月が隠れる」は現在過去未来関係なく「月が隠れて見えなくなる」という事象を表しています。 ただ、この句の場合は「月が隠れて見えなくなった」と言っているように思えますね。