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明治維新の筋書きの大半は岩倉具視が作った?
明治維新の筋書きの大半は岩倉具視が作った、という解釈も成り立つと思いますか?
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以下のとおりお答えします。 >明治維新の筋書きの大半は岩倉具視が作った、という解釈も成り立つと思いますか? ⇒岩倉具視が明治維新で果たした役割が大きかったことは、つとに世人の認められている周知の事実だと思いますが、明治維新の筋書きの「大半を作った」と解釈するのは、少し無理があるかも知れませんね。 岩倉具視の立派なところは、「公家の出でありながら公武を公平に見て、両者の間を取り持ったり、使節団を組織して、その長として海外の先進国を視察したり、そこで得たものを新しい日本の国造りに生かそうと努力したりしたこと」にあるのではないかと思います。 ただ、時代の流れを俯瞰するに、ある意味、岩倉具視のみならず、大久保利通や伊藤博文らは時代の寵児であった。そして、たとえ彼らがいなかったとしても、第2、第3の岩倉、大久保、伊藤らが現れて明治維新を遂行したであろうと推測するに難くないとも考えられます。うがった見方をすれば、「時の流れが彼らを生んだ」と言えるのかも知れません。 なお、突然、唐突な脱線をしてすみませんが、あの若大将こと加山雄三さんが岩倉具視の末裔(曾孫?)であったことは知りませんでした。その筋の文献を見て初めて知って、びっくりしました。そして、うべなるかなとも思いました。詳しくは、このサイトをご参照ください。→《https://ja.wikipedia.org/wiki/》
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