岩倉具視のちょんまげ
岩倉遣外使節団が1872年にサンフランシスコで撮影した有名な写真がありますよね。(木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通が写っているもの。)そこでは岩倉だけが着物にちょんまげで、他の4人は洋服姿で断髪(現在の七三分けに近い)です。
なぜ岩倉だけがちょんまげと着物を着用していたのかの理由があるなら教えてください。明治の時代に入り、徳川時代の悪習のようなちょんまげ・着物を捨て去るのが自然なような気がしますが、なぜにこの格好で洋行したのかが不思議です。公家出身というプライド(武士のちょんまげではなく、頭上一髻に近いタイプのまげをつけて朝廷を守ってきた公家であるというプライド)からなのでしょうか。どうぞ教えてください。
岩倉は元・公武合体推進派だったので、このメンバーの中では微妙な立場のようですね。見る人によって悪役やベビーフェースに見えたり…。
お礼