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上総介→○介?
織田信長が上総介を名乗っていましたが、現代男性人名では、国名ではない漢字1字+介(例:俊介、啓介等)と言う名前をつけるようになったのは、いつからで、なぜですか
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東京大学史料編纂所の古文書フルテキストデータベースで「介」をキーワードに検索したところ、建久8年(1197年)3月23日付の「源頼朝善光寺参詣随兵日記」に記されている随員のなかに千葉新介(胤正)という名前がありました。武士の通称で○介が使われている、おそらく最も早い部類の例だと思います。 千葉氏の当主は代々「千葉介」という称号を名乗っており、これは下総国の在庁官人として下総権介の地位(権は「仮の」という意味)にあったことによります。「新介」という通称もそこから派生したもののようです。 同様に周防権介を代々任官していて「大内介」の称号をもつ大内氏当主の大内持盛、教弘、政弘らも新介という通称で呼ばれています。 時代が下って戦国時代になると「~介」の称号をもたない家系の武士にも「新介」「源介」「弥介」「孫介」など○介の通称が多数使われるようになってきます。おそらくこれも、古い時代の身分秩序の崩壊の表れなのだと思います。 なお、俊介は伊藤博文の長州藩士時代の名前のひとつだったようです。 東京大学史料編纂所データベース検索 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ 千葉胤正(新介) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E8%83%A4%E6%AD%A3
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- fu5050
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国名➕介は、官職をあらわす語が由来だと思いますが、有名人(偉人)で江戸時代以前でそれ以外の介は思いつかないですね。助などはそこそこあるのですが(内蔵助、忠相)。 明治からですかね。芥川龍之介とか、まったかくの想像ですが、国名➕介を使うことがなくなり、ほかの「すけ」の字でなく介を使いたいからてはないですか?