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儒教の論語について
論語の中に 孟武伯、考を問ふ。子曰く、父母は唯だ其の病を之れ憂ふ。 と言うのがありますが、どのように解釈すればいいんでしょうか? その他にも 子曰く、いう、汝に之れを知ることを誨へんか。之れを知るを之れを知るとなし、知らざるを知らずと爲す。是れ知るなり。 や、 子曰く、是れ未だ剛なる者を見ず。或るひとこたえて曰く、申たうと。子曰く、たうや慾なり。いずくんぞ剛なるを得ん。 など、どのような場面でどんなことをつたえようとしているのか知りたいんです。 一つでもいいのでどうか教えてください。 また、何かいいサイトがあったら紹介していただきたいです。 よろしくおねがいします。
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宿題ですか? 古い解釈をひとつ。 大町桂月の新訳論語(明治45年)から。一部省略し口語訳しました。 父母にとっては子ほど可愛いものはない。どうぞ無事に健やかにあれとのみ祈る。今、君の境遇では身体を強壮にするのが何よりの親孝行だ、と。 思うに(大町桂月が)武伯は神経質で多少学問ができてもひわひわした青瓢箪、剛健の気に乏しい青年ではなかったるうか。今の学生にもこの類の人が多い。よくよく孔子の言を服用しなさい。 なお、この節の前後に**、考を問ふ。が並んでいますが孔子は一人一人に違った答えを与えています。 由は孔門随一の勇者。勇者の常として負け嫌い。知らぬことでも知らぬというのが悔しくて知った風をしたがる男だ。そうして愚者を圧し、識者には物笑いになる。孔子はこれを戒めて、由よ、汝に知ることを教えよう。それは他でもない、知った事は知っていると言い、知らぬ事は知らぬと正直に白状するのが知るというものだ。(大町桂月は説く)問うは一時の恥、問わぬは一生の恥、負け惜しみのみ強くて知った風をしていてはいつまでたっても見識が不徹底で人物が大成しない。世上に子路を小型にしたような人は多い。片腹痛い事だ。 孔子は言われた。わたしはこの年になるまで未だ剛者を見たことが無いと。ある人がこれを聞いてご門人のシンチョウはいかがかと問うた。答えて言われた。チョウは欲深い男だ。形は剛に見えても真の剛者ではない。欲があれば必ず動く。剛直不屈、水火も避けずという域には達してない、と。
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- shoyosi
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論語を主題に扱っているHPです。なお、巻名が判れば、最後にあげたHPで探せばいいかと思います。 http://www2.justnet.ne.jp/~rukibo/kanseki/kanseki3.html http://www.chitose.ac.jp/~kyoin/person/kawabe/rongo/rongo2.html http://www02.so-net.ne.jp/~nogawa/damw/rongo.html http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/kanmei.html
お礼
とても詳しく解説してありました。 助かりました、ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 どれもよく分かりました、言葉の意味だけにとどまらずどのような場面で言われたことかもよく分かりました。