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邪馬台国と琅邪郡の邪の字
1、邪馬台国と中国の琅邪郡(徐福の出身地)どちらも邪悪の邪の字を当てたのはなぜですか? 2、当時もyaと読んだのですか?
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1.「邪」という字の「阝」は、邑という字から変形したもので、クニ、ミヤコ、ムラ、サトなど人が住む比較的大きな場所や領域を表すものです。後漢の時代にできた最古の漢字字典『説文解字』は、「邪」を琅邪郡の地名から来た文字としています。「(衣と牙を合体させた文字で表記不能)」(ジャ)という、呪詛をなすものなどが服するもので、邪悪の意となる文字が、「邪」の字で代用されるようになったため、邪悪という意味をもつようになったようです。 琅邪郡ができたのは秦の始皇帝の時代ですが、おそらく琅邪という地名自体はもっと前からあり、その地名ができたころは「邪」に邪悪という意味はなかったのでしょう。 邪馬台国の「邪」は字に邪悪の意味があることを承知のうえで使われているわけですが、ことさら悪い意味の字を当てる意図があったかどうかは疑問です。後述するように、「ヤ」と読む「邪」は疑問・反語の助字として多用されており、単に「ヤ」の音によく使う字を当てただけかもしれません。 2. 「邪」は「也」(ヤ)と同じく「此何謂邪?」のような形で、疑問・反語を表す助字として『三国志』ほかの漢籍で多用されており「ヤ」とも読まれていたことは明らかです。 <参考> 邪(漢字) コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%82%AA%28%E6%BC%A2%E5%AD%97%29-2787397 漢籍電子文献資料庫(「邪」の用例を検索するのに便利) https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm
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- himat_ex
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逆ですね。 当時の日本には文字がなく、また臣下扱いされたのでya音に卑しい意味をもつ邪の文字を当て嵌められて誇称されたのが実態。琅邪郡も同様で文字が置き換えられ邪の文字を当て嵌められたと思われます。なお、邪馬台国の台は本来は臺の字なのですが、これは高貴な扱いの文字なので書き間違いか書き写しの間違いだろうとの説があります