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梅、梅子

梅毒が流行っているそうですが昔の人が梅とか梅子と名付けたのはなぜですか?遊女はほとんど梅毒で死んだたと読みました

みんなの回答

  • abiwirang
  • ベストアンサー率39% (52/133)
回答No.5

「梅(うめ)」という言葉は、古くから日本で栽培され、その花や実が多くの人々に愛されてきました。また、梅の木は寒さに強く、春先に花を咲かせることから、不屈の精神や忍耐力を象徴するシンボルとしても扱われてきました。 一方、「梅子(うめこ)」という言葉は、梅の実のことを指します。梅子には、酸味があり、加工して梅干しや梅酒などにすることができます。また、梅子には体に良い成分が含まれているため、健康に良いとされてきました。 なお、「梅毒(ばいどく)」という病気の名前は、「梅の花のように美しいが、その裏側にはとげがある」という意味から来ていると言われています。梅毒は性感染症の一つであり、昔は遊女などの職業的に性的な活動を行う人々の中で、流行することが多かったため、そのような関連性から「遊女はほとんど梅毒で死んだ」という話が伝えられています。

  • dedypraja
  • ベストアンサー率40% (88/219)
回答No.4

「梅毒」と「梅」、「梅子」の言葉には直接的な関係はありません。梅毒という病名は、梅の木の実の形が梅毒にかかった人の症状に似ているとされたことが由来とされていますが、これは俗説であり、学術的には否定されています。 一方、梅や梅子という名前は、漢字の「梅」が「五穀豊穣を象徴するもの」とされ、また、梅の花が寒さに耐えて早春に咲くことから、勇気や忍耐力、希望を表す縁起の良いものとされてきました。また、「梅子」は、梅の実のことを指し、食用や薬用に使われることがありました。 遊女が梅毒で死ぬことが多かったのは、江戸時代には遊郭で性病が蔓延していたためであり、それが梅毒だったことが多かったようです。しかし、これと梅や梅子の名前には直接的な関係はありません。

  • 4017B
  • ベストアンサー率73% (1336/1814)
回答No.3

明治時代以前の日本の古語では、梅毒のことを "瘡気(カサケ)" とか "癩(カッタイ/カタイ)" という風に呼んでいて、現在のような「梅毒(ばいどく)」という言い方が一般的になったのは明治時代以降からです。 ですので仮に明治時代以前の吉原遊廓で花魁の芸名が「梅太夫」だったとしても、そこには何のマイナスイメージも無く、むしろ晩冬から初春の寒い中に孤高に咲き誇る美しい梅の花しか連想しないので、むしろ苦界の頂点に経つ花魁の源氏名としては最適だと考えられていたのではないかと。 一応、web上の解説記事などでは "楊梅瘡(ようばいそう)" という古語から音便変化して「梅毒(ばいどく)」となった~的な解説がなされていますが。実のところ、この説もハッキリしてなくて、いつの間にか「梅毒」という言葉が登場して来ているんですよね。その間の変化がよく分かっていません。 ただしこの「楊梅瘡」という言葉自体の起源は恐らく、16世紀頃の中国だと推測されますので。日本でも当時の知識人(蘭学医など)がこの言葉を見聞きして、そこから古来の謎の病気である「瘡気」に "梅" という言葉を連想する様になっていった可能性は高いですね。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (417/1292)
回答No.2

松、竹、梅は縁起の良い漢字の代表だからです。 梅毒はアメリカインデアンの風土病でコロンブスが持ち帰り 欧州に流行り、19年後の1512年に日本で発症した記録 があります。 梅毒が来る以前から、梅と桜は日本人が目出ていた樹木で、 梅毒と結びつけてはいけないですよ、津田梅子さんが怒りますよ。

回答No.1

梅干しは万病に効くと思われていたから。

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