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【日本史】日本で初めて名字を名乗ったのは藤原さんっ

【日本史】日本で初めて名字を名乗ったのは藤原さんって本当ですか?

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  • oska2
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回答No.2

>日本で初めて名字を名乗ったのは藤原さんって本当ですか? 間違いですね。 藤原姓は、中臣鎌足が「天智天皇即位に莫大な支援を行った恩賞」として新たに与えた姓です。 古くは、蘇我・石川・物部・占部・浦部・浦邊・鴨などが既に存在しますよ。 これらの姓は、天皇家よりも古い歴史があります。 そうそう、乃木坂の「五百城」姓も愛知県熱田神宮では「ヤマトタケルと同時代の人物」として日本書紀に記載があります。 国造各家は、新しい姓を名乗っているのです。 例えば・・・。 出雲の国譲りでは、オオクニヌシ命一族がアマテラス一族との戦いに敗れた記述がありますよね。 この戦に敗れたオオクニヌシ命の子孫は「富」姓を名乗り生き延びます。 明治維新まで、「富」姓・「向」姓と度々姓を変えています。 時の権力者(天皇家・武家)によって、姓を変えられたのですね。 明治維新後は、「富」姓で今に至っています。 出雲の国造家は、出雲大社創建時は「北嶋家」でした。 戦国時代以降は分裂し、北嶋家と新たに千家家が分担で行事を行いました。 明治維新では、北嶋家が出雲大社を追われ千家家が国造を名乗ります。 姓名だけでも、色んな逸話が残っていますね。^^; 余談ですが・・・。 「富家」子孫は、元サンケイ新聞編集局次長でした。

redminote10pro
質問者

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その他の回答 (4)

  • gonveisan
  • ベストアンサー率20% (477/2365)
回答No.5

そうゆう事みたいですね

回答No.4

すみません3です。 間違いがいくつかありましたので修正失礼します。 「工藤」さんは「姓(せい)」の方でした。 「伊藤」さんが「藤原氏」系から出た「名字」では早い方らしいです。 「鈴木」さんは藤原氏平氏の他に源氏もありました。 が、「鈴木」さんも「姓」でした。 「山田」さんは「氏(中国渡来)」の方もいますが、「名字」の方は平安時代末なので、「伊藤」さんたちよりは新しいようです。 「姓(せい)」と「姓(姓)」は似て非なるもの…… 「姓(かばね)」です。 江戸時代になって「名字」と「姓(せい)」を合わせて、明治になって「名字」「姓(せい)」「氏」を合わせて「苗字」としているようですが、現代では正式な場では「名字」と書いているようです。 名字(苗字)・通称・氏・姓(かばね)・諱を分かりやすく「徳川家康」を例にすると フルネーム:徳川二郎三郎源朝臣家康 名字(苗字):徳川 通称:二郎三郎 氏:源 姓:朝臣 諱:家康 だそうです。 源頼朝などは名字(苗字)が無いということですね。 フルネームは前右大将源朝臣頼朝 です。 時期によって「通称」が変わります。

回答No.3

まず「名字」の定義を…… 「名字」は平安時代になって同一の「氏」が増えてしまったために、領地や住んでいる土地の地名などにちなんで付けられたもののことです。 当然「名字」を日本で初めて名乗ったのは飛鳥時代に「氏」を与えられた元「中臣」の「藤原」さんではありませんね。 「名字」は「藤原氏」ならば「伊藤」(三重県旧伊勢国や伊賀国)や「加藤」(石川県旧加賀国)、「佐藤」(新潟県旧佐賀国)などが当てはまります。 正確には分かりませんが、「藤原氏」から初めに「名字」を名乗ったのは「工藤」さん(852年)らしいですが、「氏」や「姓(かばね)」と違い自由に名乗ることが出来たので、日本で初めて「名字」を名乗ったのは意外と「物部氏」の「鈴木」さん(藤原氏平氏出身の鈴木さんもいます)とか同じく「物部氏」の「山田」さんだったりして。 ちなみに職業や身分から付けたものは「姓」といい、「名字」よりも古くからあります。 「斎藤」や「佐藤」(土地由来もありますが、身分由来もありますので佐藤さんは多くなっています) いつの間にか「名字」と同じ扱いになってしまいましたが。 ついでに「姓(せい)」と「姓(姓)」は似て非なるもので、だいたいの歴史上の著名人の「姓」は「朝臣」です。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

 「それは名字ではない」と言われるかもしれませんが、藤原姓を頂戴した人物は藤原姓を頂戴する前「中臣鎌足」さんでした。  で、鎌足さんが藤原姓をもらった後も、中臣一族のうち祭祀を担当し続けた人、〇〇さんは「中臣〇〇」を名乗り続けたそうです。名字なんじゃないでしょうか。