• 締切済み

大衆受けする文化をどのように捉えるか。

以前に鬼滅の刃を映画館で観る文化がコロナ禍でありました。 命をなんだと思ってるのでしょうか? 人間の命は失ったら取り戻すことは出来ません。 ヒトに対する恨みは自らが幸せを見つけることで昇華することが良いようです。 ゲームなどで何度も命があるものと、現実の世の中は違います。 ゲームのなどの変な文化が流行ったためこうした生命に対する考え方が起きてるのでしょうか? 生命と倫理にお詳しい方にお答えいただきたいです。 お願い申し上げます。

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.4

>鬼滅の刃を映画館で観る文化がコロナ禍でありました。 あれは別に鬼滅の刃をそれだけ推したくなったんじゃなくて、コロナで007とかトップガンなどの他の作品が軒並み公開延長になって映画館が流す映画がなくなっちゃったので、仕方なくバカみたいに鬼滅の刃を流すほかなくなったのです。映画館もやりたくてやってたわけではありません。 「人を殺す映画を公開するとは何事だ!」というのなら、批判するのは鬼滅の刃より、ホラー映画や戦争映画じゃないですかね。あっちはバカみたいに人が死んでいくし、ホラー映画に至ってはわざわざ残忍な殺され方をする場面も出てきます。

noname#254462
質問者

補足

後からお礼を書きます。

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.3

先に、この場所は、あくまでも分からないことを質問する場所であり、貴方の思想や信条、また主張をする場所ではありません。また、回答する私なども、質問事項への回答を行うのであり、持論を展開し質問者の方や他の回答者の方を説き伏せる、論破する、といったものではありません。 これを前提に、貴方の質問へ回答します。 >大衆受けする文化をどのように捉えるか。 大衆受けする文化、とは何を指しているのか、少しよくわかりませんでした。鬼滅の刃という映画のことでしょうか。 よくわからなかったので、この主題たる問いについては保留とさせてください。 >以前に鬼滅の刃を映画館で観る文化がコロナ禍でありました。 >命をなんだと思ってるのでしょうか? 鬼滅の刃というアニメ作品は、もともとは週間少年ジャンプの漫画が原作のようです。私はアニメを見る習慣はなく、このアニメ映画も見てはおりません。 ですが、原作漫画を拝見したところ、主人公である「人間たち」は、人を喰らう「鬼」を打ち倒すことを目的に戦っているようです。もちろん、その戦いは命のやりとり、殺し合いですね。人が滅びないようにするために、異種族であり捕食者である鬼を滅するのが、物語の大きな骨格のようです。 ですが、その人に対しての捕食者である「鬼」も、さまざまな因果で、元は「人間」であった存在のようです。ゆえに、物語は、勧善懲悪という体裁をとりつつも、かつて人であった鬼に対しての同情も併せ、人と鬼、双方に共通する「命」への悲哀を描いていると推察されます。そして、この「命」への悲哀、という部分へ多数の人が共感し、日本映画史上、最大の興行収入となる記録的なヒットとなったようです。 よって「命をなんだと思ってるのでしょうか?」という質問に対して、鬼滅の刃という作品の作者は、「命」への悲哀を考えてもらいたいと思い、鑑賞者は、物語を通じて、命があるがゆえの悲しさや喜びなどを考え、特にコロナ禍という状況でもあったので、共感がより強まったのでしょう。 先にも述べましたが、私は、鬼滅の刃というアニメ作品を見ておりません。 原作漫画を拝見したことと、あくまでも物語の構造を解釈したうえでの推測です。 少なくとも推測の域を超えないものなので、これが貴方の好まれる回答であるかは別として、確固たる断定的な回答ではないことを考慮してください。 >人間の命は失ったら取り戻すことは出来ません。 >ヒトに対する恨みは自らが幸せを見つけることで昇華することが良いようです。 これは質問ではなく、貴方の思想・信条でしょうか。 文面から質問のようには思えませんでしたので、回答は割愛いたします。 >ゲームなどで何度も命があるものと、現実の世の中は違います。 >ゲームのなどの変な文化が流行ったためこうした生命に対する考え方が起きてるのでしょうか? こちらは質問のようですが、具体的に何を聞きたいのか、よく分かりません。 詳しく書くと、「こうした生命に対する考え方」という部分が、ここまでの文中のどこに該当するのか、具体的には示されていないのです。 ご質問の文章を直接そのまま読むと、「こうした生命に対する考え方」が示す箇所が、「ゲームなどで何度も命があるものと、現実の世の中は違い」という部分になります。 「ゲームのなどの変な文化が流行ったため」とも述べられているので、これを踏まえて解釈すれば、貴方の質問内容は、『ゲームなどで何度も命があるものと、現実の世の中は違う、という生命に対する考え方は、ゲームのなどの変な文化が流行ったから起きた』ということでしょうか。 この質問であれば、私の回答は「違うと思う」です。 ゲームやアニメ・漫画、それどころか小説や演劇のような文学的価値の高いものでさえ、現実とは違う架空のものである、ということは、明白な事実ですので、「ゲームのなどの変な文化が流行ったから」そのような考えが起きたのではないでしょう。 ただ、もう少し質問を意訳した場合、貴方が疑問に思われていることは「ゲームやアニメなどでは人が死んでも生き返るといったことがあるが、現実での命は一回性のものである。なのに、昨今では命が一回性ではないと考えるような人が増えているのではないか。この理由は、アニメやゲームが流行したことではないか」というものでしょうか。 しかし、この質問であっても、私の回答は「違うと思う」です。 先にも述べましたが、ゲームやアニメは架空のものです。で、しかし小説や映画や演劇や戯曲なども、あくまでもフィクションであり、仮にノンフィクションの作品であっても、内容が史実に基づいているだけで、あくまでも劇としては架空のもの(すなわち現実の舞台上で人が死ぬわけではなく、物語に沿って死ぬという演技をしているだけ)です。 ですので、ゲームやアニメだけが、命が一回性ではないと考えるような人を生み出したのではなく、創作物全般があくまでも架空のものなので、そのような人を生み出す可能性を持ちうると考えられます。 私の持論を展開するのは好ましいことではないと考えますが、私は、おそらく様々な創作物に、害悪はない、とは考えてはおりません。創作物の内容を検閲などで統制するのは、表現の自由を担保するため、あってはならないと考えますが、しかし、年齢無制限で視聴を可能にするのは好ましいとは思えません。 ただ、成人であれば、命に対しての分別がついているか、と問えば、それもまた疑問です。 成人ならどのような創作物でも視聴が可能である、ということの定義は、成人するに至るまでに、義務教育や社会活動の経験などで、倫理観や道徳心が育っていると仮定しているからです。しかし、それはあくまでも仮定に過ぎず、実際には、いい歳した大人でも、命に対する分別だけでなく、ごく日常的なレベルでの倫理観が伴っていない例もあるでしょう。 ですので、命を軽んじるような考え方が生まれるのは、何かひとつのことがきっかけや要因としてあるのではなく、それはあくまでも受け取り手となる個人の問題ではないか、と思います。 このような、倫理的に問題のある人は、小さな思考を日々積み重ねること(たとえば義務教育などで)を怠ってきてしまったのではないか、とも思います。 さて、このような話は、おそらく、倫理的に言うならば『悪の凡庸さ』に尽きると思います。 仮に差別や不都合を受けている人たちが、何らかの象徴的事例をその根源的悪と見做し攻撃することで、その人たちにとっては救われた気持ちになるか、もしくは受けた傷への代償行為としてストレスの緩和になるかもしれません。 しかし、このような「象徴的事例をその根源的悪と見做す」ことは、根源的な意味での悪を滅ぼすには至らず、実際の悪の要因となるのは、生活の中に小さく細切れになって潜んでいるさまざまな『凡庸なもの』です。 つまり、フィクションの世界では二項対立による勧善懲悪ができても、現実の世界は複雑なので、勧善懲悪はできない、ということです。 しかし、多くの人はこの事実を受け入れられる思考はなく、そのため、『わかりやすく邪悪なるものと善なるものの対立』を仮想し、その邪悪なるものをバッシングすることで気を紛らわせようとしてしまいます。 今回の貴方の質問も、この構造(『わかりやすく邪悪なるものと善なるものの対立』を仮想すること)と一緒で、アニメやゲーム等を、命を軽んじる考え方を産んだ原因と見做してしまっているのではないでしょうか。 ですので、私の持論を踏まえつつ回答すると、アンナ・ハーレントが示した『悪の凡庸さ』を引用して、実際の原因はもっと複雑で、かつ小さく細分化され、さまざまなところに潜んでいる、ということです。 すなわち、「大衆受けする」さまざまなことを、もしも貴方が受け入れ難いと感じた場合、なぜ、そのようなものが大衆に受けているのか、と考えれば、その要因は複雑で、小さく細分化され、さまざまなところに潜んでいる、ということです。

noname#254462
質問者

補足

後からお礼を書きたいです。 すみません。

回答No.2

>以前に鬼滅の刃を映画館で観る文化がコロナ禍でありました。 「文化」ですか?ただ劇場用アニメがヒットしただけですよね。 >命をなんだと思ってるのでしょうか? >人間の命は失ったら取り戻すことは出来ません。 ヒトに対する恨みは自らが幸せを見つけることで昇華することが良いようです。 質問者様のお考えはそうなのかもしれませんが、アニメ製作者にも表現の自由があり、観客は望んでその映画を見ているので、質問者様がとやかく言っても何も変わらないと思います。 >ゲームなどで何度も命があるものと、現実の世の中は違います。 >ゲームのなどの変な文化が流行ったためこうした生命に対する考え方が起きてるのでしょうか? ゲームと現実は区別がつくのに、アニメは現実と混同してしまうとお考えでしょうか?

noname#254462
質問者

補足

生命と倫理にお詳しい方とあらかじめ記していました。 https://youtu.be/2BWEKcjA9GU https://youtu.be/CldFJvsfiJY 質問に不備があったことをお詫びします。

noname#254450
noname#254450
回答No.1

コロナ禍でというか今もコロナ禍で毎日4万人の新規感染者が発生しています。 それでもみんな何でもやっています。 世界でマスクをしている人をみたら日本人だと思えというくらい、もう日本以外でマスクはしていません。 コロナが怖いから外出するなと言うのは、行きつくところ隕石が落ちてくるのが怖いので外出しないと言っているようなものでしょう。 要は確率の問題です。 ゲームのせいで命を軽んじると言いますが ファミコンが出る前の昭和中期の日本は暴徒活動で命を落としたりテロ行為が起きたり今は禁止されているドラックが普通に買えたりしました。命重んじていますかね。 さらに戦争まで遡るとお国の為に喜んで特攻していました。 何かにこじつけたい気持ちは分かりますが、それがゲームと言うのはあまりにもズレているのではないですかね。

noname#254462
質問者

補足

実際に長く知ってる人たちに命は亡くなったもすぐに会えると思ってる人がゲームばっかりやってました。 https://youtu.be/JKfcZFsLjac 恋愛や結婚が出来ず、生まれてくる子供の減った日本の人口はどうなっているかでわかりませんか? 日本人は命を大切にする民族だったです。 ゲームで人生をダメにしてしまう方々が多いことは知ってます。 大昔のよど号事件などのことは鮮明に覚えています。 https://youtu.be/cOhCoEJzPsk https://youtu.be/cVLo1zAe5oU