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二つの違い
「程度の差こそあれ、気分が落ち込む」 「気分が落ち込む」 この二つの違いは、前者が「10~1」までの間なのに対し、後者は「10~0」までの間、という認識で問題ないと思いますか?
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- petertalk
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回答No.2
「程度の差こそあれ、気分が落ち込む」 「程度の差」というのは、落ち込みが複数回あって、 その程度にそれぞれ差があるという意味、 また「こそあれ」は「~はあるけれど」の意味で逆接なので、 「程度の差こそあれ」は、 「程度に差はあるけれど」=「前回ほどではないけれど」です。 なので、この文全体では、 「前回ほどではないけれど、気分が落ち込む」となります。 他には、こんな使い方があります・ 「程度の差こそあれ、美人だよ」:他にそれ以上の美人がいる場合 「程度の差こそあれ、残念だな」:他にもっと残念なことがある場合 数値で表すなら、「10~前回の落ち込み~今回の落ち込み~1」ですね。 また、もう1つの「気分が落ち込む」は、 0だと落ち込んでいないことになるので、「10~1」ですが、 特に「非常に」とか「少しだけ」が何もなければ、 中央の5の前後という感覚でいいと思います。
- Nakay702
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回答No.1
以下のとおりお答えします。 >「程度の差こそあれ、気分が落ち込む」 「気分が落ち込む」 この二つの違いは、前者が「10~1」までの間なのに対し、後者は「10~0」までの間、という認識で問題ないと思いますか? ⇒一見、それでいいように思われますが、よく考えてみると、特に後者の「10~0」という認識では間違いになると思います。「気分が落ち込む」と言っている限りは、「ゼロである可能性はない」わけですよね。したがって、「数値化する限り」この後者もまた前者と同じく「10~1の間」と言わざるを得ない、ということになるでしょう。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 今までの質問とお答えに関連しますが、 「大抵の人は、当人だけではなく、他人もいる場所や状況で、その他人のほとんどが見える」などのように書く(言う)場合、 「見える」は、 「他人がこちらの意思などとは別に、視界に映ってはいるが、だからといってその他人を意識しているわけではない」という意味になるでしょうか(とお考えになりますか)? また、「大抵の人は、当人だけではなく、他人もいる場所や状況で、その他人のほとんどが見える」などのように書く(言う)場合、「見える」は「(見ることができるという)可能」の意味も同時に意味しているのでしょうか(とお考えになりますか)?