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社会的存在にする教育とは?
- 教育とは社会的存在にすると云います。
- 集団の一員であることの自覚を持つことが重要です。
- いじめや格差を乗り越えて成長するために教育が必要です。
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質問者が選んだベストアンサー
日本の教育は、富国強兵で従順な兵隊をつくることから始まったらしいですよ。だから親に従い、上司、先生に従うようにするのが目的で、それができるのが優秀とされるのでしょう。 人は、誰とも関わらずに生きていくことはできないので、ある程度の社会化は必要でしょうが、自分の意思を大切にし、過度に他人に対しておもねることをせず、生きている人はいくらもいらしゃると思います。他人を支配したい、弾きたいという欲求がない人が軟弱者ということではないでしょう。勝ち組負け組、優劣といった視点で眺めると、そのように感じられるのかもしれませんが、本人が満足して生きられることが第一ではないでしょうか。
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- panja2021
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社会に出て仕事をすれば社交的になると思います。 会社で会議の場で発表する機会があれば社交的になっていくと思います。 学校でも発表の機会を設けてみてはどうでしょうか?
お礼
御回答有難うございました。 >社会に出て仕事をすれば社交的になると思います。 会社で会議の場で発表する機会があれば社交的になっていくと思います。 学校でも発表の機会を設けてみてはどうでしょうか? 学校でも一人ずつ発表の機会を与える事をする処もあります。良い事だと思います。
- Don-Ryu
- ベストアンサー率24% (256/1051)
色々勘違いされていると思います。 戸塚ヨットスクールの子供の多くは、いじめられっ子ではなく、いじめっ子です。あるいは家庭内暴力で手が付けられなくなった子です。 戸塚校長の方針は、 「お前ら暴力が全てだ、と言うのであれば、真に暴力が全ての世界の中で自分が無力な状況を一度経験してみるといい、そうすれば元の世界に返った時に、弱い他者の気持ちを想像できるようになるだろう」 ということで、ある意味凄絶な指導がなされたのです。 別に戸塚校長が自らの支配欲を満たすためにやっていたわけではありません。 教え子たちはいつまでもその意味を学ばなかったため、指導がエスカレードして、結果的に事故に至ったのです。 鬼滅の刃でも、冨岡義勇の、 「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」 って言葉がありましたよね。 アメリカ海兵隊にも"GRID"(やり遂げる力) という言葉はあります。 西洋人は合理的=進歩的=「弱くてもいい」 ではないんです。 学校は 「社会に出て世の不条理と戦う、勝てなくても何とかする」 を、事前にシミュレーションして、事前にその方法を学ぶ場です。 失敗したって、構わない。まだシミュレーションの段階なんだから。 学校の先生は、軍隊の教官と同じ。 厳しいけど、ただ自分の兵隊を死なせてしまっては、意味がない。 いちいち「支配欲を満たす」なんて、そんなヒマはないです。そんな時間があったら、旭川のいじめ事件の担任の女教師みたく彼氏とデートしたい、それが本音だと思います。 学校で厳しい指導が嫌だというのは、単に自分の能力が低いことを突き付けられるのが嫌だからで、それは、「自己の能力を過大評価している」だけなんです。 自己の能力を過大評価しているからこそ、厳しい指導が嫌で、そこから逃げようとするんです。自分の能力の低さに自己嫌悪になっているということは即ち、自己の能力を過大評価しているんだと思います。
補足
御回答有難うございました。 >戸塚ヨットスクールの子供の多くは、いじめられっ子ではなく、いじめっ子です。あるいは家庭内暴力で手が付けられなくなった子です。 確かに普通に学校(社会)生活を送っていれば、 あの様な処に行く訳は無いと思います。 戸塚校長の方針は、 「お前ら暴力が全てだ、と言うのであれば、真に暴力が全ての世界の中で自分が無力な状況を一度経験してみるといい、そうすれば元の世界に返った時に、弱い他者の気持ちを想像できるようになるだろう」 ということで、ある意味凄絶な指導がなされたのです。 別に戸塚校長が自らの支配欲を満たすためにやっていたわけではありません。 教え子たちはいつまでもその意味を学ばなかったため、指導がエスカレードして、結果的に事故に至ったのです。 戸塚校長の「本能を養う」と云う事はそうかもしれませんが、そこで「いじめ肯定論」を出した事が問題だったと思います。「体罰は今うるさいから出来ない」、その代わりに訓練生同士のいじめを奨励させ「顔が腫れる」怪我をしても、 「嫌なら強くなれ」と云う風に見ているのが問題かと思います。
お礼
御回答有難うございました。 >日本の教育は、富国強兵で従順な兵隊をつくることから始まったらしいですよ。だから親に従い、上司、先生に従うようにするのが目的で、それができるのが優秀とされるのでしょう。 確かに頷ける処はあります。 それも完全に否定はされず、そこで社会性を身に着けることもあったと思います。 >人は、誰とも関わらずに生きていくことはできないので、ある程度の社会化は必要でしょうが、自分の意思を大切にし、過度に他人に対しておもねることをせず、生きている人はいくらもいらしゃると思います。他人を支配したい、弾きたいという欲求がない人が軟弱者ということではないでしょう。勝ち組負け組、優劣といった視点で眺めると、そのように感じられるのかもしれませんが、本人が満足して生きられることが第一ではないでしょうか。 そうだと思います。本人が満足できると良いと思います。