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戸塚宏氏の発言で問題となった自殺事件について
- 大阪桜宮高校バスケット部員の体罰による自殺事件が問題となっています。
- 戸塚宏氏はテレビ朝日の番組で問題生徒について発言し、ネットで話題となりました。
- 戸塚氏の発言は過去の不祥事やいじめについても含めて、体罰やいじめを肯定する意図があるようです。
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戸塚のオッサンも出て来るとは思ってましたが・・・。 このオッサンを引っ張り出すテレ朝が「どアホ」です。 まず、体罰の教育上の有効性や是非は「教育論」ですが、体罰そのものは法律論であり、体罰は「違法行為」「犯罪行為」です。 従い、戸塚のオッサンは、何度も手錠を掛けられてるワケです。 このオッサンの場合、確信犯的に違法行為を行っている体罰狂信者であって、オウム信者に「ポア(殺害)は正しいか?」とか、アルカイダに「テロは正しいか?」って聞いてるのと同じです。 「正しい」と言うに決まってます。 「正しい」と思って「犯罪」をやってる人格など、法治国家の中では、いわばキ〇ガイと同じです。 法律と言う、「共有せねばならない価値観」を共有出来ないのだから、ルールが違うんです。 野球の中で、サッカーしてるオッサンが、「オレの勝ち!」って叫んでるだけです。 「お前はアホか?ルールを知らないのか!」と言えば、「ルールが間違ってる!」と言い出す輩です。 また、体罰の是非と言う「教育論」の中だけで、「自殺論」など語れるハズもありません。 「体罰」は、山の様に存在する自殺の原因の一つに過ぎないのだから。 自殺の原因など、「セクハラ」と同じなんです。 キモい上司に触られたらセクハラで、憧れの先輩なら「嬉しい!」と感じる世界です。 セクハラ被害者が「イヤ!」と感じたら、それはもう絶対に「イヤ!」であって、その時点で加害・被害は成立です。 戸塚のオッサンが、「これはセクハラでは無い。セクハラだと言う被害者が悪い!」なんて言っても、全く無意味です。 自殺者にとって、自殺原因となり得るものは、加害者側や周囲などが決められるものではありません。 「愛犬が死んだ・・」でも、自殺原因になるのですから。 自殺者を「鍛え直す」など、バカじゃないか?と思います。 「自殺したら殺す!」とでも言う気でしょうか? 私自身は、完全な体罰否定派ではありませんが、何でも体罰で解決出来ると考えている戸塚の様なバカは、全否定しますよ。 スパルタ教育の有効性も存在しますが、それが万能の教育であるハズがありません。 正しい教育法など、「指導者と生徒の組み合わせの数だけ存在する」と考える方が正しいでしょう。 即ち今回の事件は、「最悪のミスマッチ」の一つの形・結果です。 生徒側に責任が無いとは言いません。 結果的にも、自殺と言う誤った選択をしたワケですから。 しかし、いずれに主たる責任があるかは明確です。 戸塚や加害顧問の様な、「ワンパターンの教育スキル」しか無い、「無能な指導者」が引き起こした事件です。 「プロの教育者」であれば、生徒に合わせて、最適な指導などを行えるハズだから。 一発屋芸人みたいに、飽きられた昔の芸風にしがみつくのと同じです。 自分の指導努力や能力の不足を全く自覚せず、過去の成功パターンに頼りっぱなしで、全く進化・成長せず、成功パターンを一層、強めていくだけ・・と言う指導だったのでしょう。 おまけに、指導者側が進化や成長せず、努力もしないコトを「信念」と勘違いしているカスです。
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- Xiong Qing Ying(@xiongqin)
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難しい問題ですね。 戸塚ヨットスクールへの応募は、親御さんが希望するケースが多く、校長が自ら強引に引き連れてくるわけではないですよね。 また、本人自ら希望する人達も少なからずある。それを批難しても始まらない。 人間も含めた動物の全てが、弱い者を抹消し、強いものを残そうとする自然ともいえる力がある。 人間社会においてのみ、この自然な力を借りる事無く、全てを生かそうと考えるのであれば、人間の成長は止まってしまうかも知れませんね(参考です)。 中国、東南アジアでもそうですが、乞食が多い。 彼等の殆どが身体的な問題があり、それでも、彼等の生きようとする力は、壮大とした感覚を受けることも屡。 また、一般の人達もこれに哀れみ、彼等を助けようとする意識がある。 まさに弱肉強食、苦しい中、己が生きる術を得られなければ、死を待つのみ。 多くの人達は必至で生活を得るために働いているようです。 最近、学生がホームレスに対して、人間の屑だとして暴力を奮うケースもある。しかし、東南アジアでは聞いたことも無い。自然に備わっている道徳概念と言えるでしょう。全ての親が弱い者を苛めてはならないと、人間道徳を自然的に教育するからと考えられます。 さて、日本を垣間見ると、高度成長に伴い、乞食は全く居ない。ホームレスは多い。彼等も生きる為に寝る場所を転々としながら生活をしている。 親としては、働く意気地の無い子供を視るのはいやである。どんなに苦しくても、小さな明かりを見い出せさせるを、願うのは当然と云えるかも知れない。 > いじめが嫌い体罰の日常が受け付けない人間は弱いから、自身のヨットスクール等の様な所で鍛え直さないといけない等の発言をしていたと思います。 これは、実質上鍛えられる希望を抱かない限り困難ですね。 戸塚校長は例えとして言っていると思います。 ただ、 仮に日本が大事に至った場合、民衆は、どこまで国を守ることができるか? 大げさに言えば、物理的な戦争意外、中国に勝てる状況に無い事は明白ですね。 40年以上前には、虐めは少なかった。有ったとしても夫々に解決してきた。 また、庶民同士の話合いでも解決を見出して来ましたね。 現在は、日本全国に渡り、虐めを語る事なしでスムースに人間関係がいくような状態ではない。 なぜ虐めが起こるか、それは親の子供に対しての道徳教育の欠如。 そして、先輩/後輩関係、更に目上の者を尊重する意識が無くなり、教育を受ける者も、だらけるのと、反感を抱く心が大きくなり、教育者も人間である事から、生徒からの反応が悪いと、それを判らせるために自然と手が出てしまう状況と云えるでしょう。 さて、みなさんも、国をどうしたら良いか、批難ばかりではなく、多くの若い人達が考え相談する場を設けてもらいたいと思います。 即ち、教育期間中の虐めについては、全校生徒が互いに小グループを作ってホームルームで話合い解決することが最も望ましい。 そういった、活動が大人になっても生きて行くのではないかと思います。 此の侭では虐めは絶対に無くならない。 参考にしてください。 参考にならなかったらご容赦願いますね。
お礼
戸塚宏氏の主張や実践で立ち直った方がおられて これは評価したいのですが 一辺倒の生き方しか認めない これが矛盾を感じるのですが 貧しくても東南アジアの方の生活等を見習っていく事は共感できます
- akr0007
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人殺しの鬼畜にも劣る戸塚宏の考えなんぞ麻原彰晃と同じで、まともに取ると頭が腐るぞい。 さすがヤラセのテレ朝じゃの。 褒め殺しと同じ(褒めてはおらんじゃろうが) これだけ極端で経験からしか考えられない「体罰」容認派のの意見を流したら、通常の感覚を持った者なら反感を持つわな。 「体罰」=暴力人間・国粋主義者=戦前の軍国主義 としてのプロパガンダの一種じゃろ
お礼
やはり万人に万能な方法は無いが それを狭い閉鎖的な処は頑なに万能な方法であるとするのですね
- LHS07
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基本的にそして単純に考えてくみてください。 確かに弱いものは悪いです。 そうでしょう。 でも暴力によって、暴力を受けることによって、目が覚める、本当に意味で覚醒し一生懸命やることになり、その結果良い結果を出し続けることはあるとは思います。 このときの暴力は愛のムチです。 暴力を振るえば、振るった人間には負の荷物、カルマというか負の財産が生まれるのです。 それでもこの子がよくなってほしという一点で暴力を振るうのですね。 しかしその子にとってはトラウマができ、殴った人にはカルマが生じます。 単純に暴力はわるいです。 ちょっとしたことで回りが騒ぎたて問題化する昨今では 新しい考え方を模索しなくてはならないのです。 この単純化した考えでやってみて数十年後結果が出ることだと思います。
お礼
暴力は一時的には奮起させるかもしれませんが、 トラウマ傷が残ることもあると云う事なんですね ありがとうございます
- cupsule_45
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彼の考えは非常に合理的だと思います。 優しい人間もいれば、厳しい人間もいる。 別に弱いから悪いとかそんな考えはないと思います。 自分のやりたい様にやってるだけですよ。 彼は、そこまで論理的に考えて行動しているとは思いません。 まぁ、やりすぎてるとは思いますがね。
お礼
考えてみるとそうですね 唯ついていけない人間を駄目と片付けているのは問題があると思います
お礼
ご回答ありがとうございます やはり万人に万能な方法は無く、一つの方法を万人に向けついていけない人間を駄目と云う 戸塚宏氏や桜宮の顧問も似た様なタイプなんですね 狭い閉鎖的な処で起きるのですね