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苛めを肯定する人の心理とは?
- 苛めを肯定する人の心理には、「苛めの経験により人間関係を学べる」という考えがあります。
- 苛めを容認する人たちは、絶対者に従いハイレベルな目標を追求し、苛めが感情のコントロールを提供すると信じています。
- 一方、苛めをいけないと考える人たちは、苛めは軟弱さを示す行為であり、個人の尊厳と精神的健康を害するものだと考えています。
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いじめというのは被害に遭った人がその行為をいじめと判断したら、いじめなので、そんな方程式は実はありません。あなたの言ってるのは加害側から判断した「しごき」や「いじり」となります。 故にいじめを否定、肯定という相対関係にはありません。 しごきの肯定は人間は何をするにも負荷をかけてでしか成長はしないということから、理不尽な要求に応えることで心に負荷をかけ、成長を促す行為であるとしているからでしょう。 しかし、心への負荷は日常生活の中で人間関係を含め、不可をかけられるシーンはありますし、当然ながら人によって耐えられる負荷には違いがあるので、一律な負荷を与えようとすることが果たして正しいのかというと一概には言えないし、いじめに見えるようなきつい負荷をかけることはよろしくないのだと思います。また、負荷をかけることとセットでケアも必要で、その部分を無視していることが問題になるのだと思います。 スポーツをして上手くなっていくのに、きつい練習に耐えて、という過程は必要ですが、練習前後にストレッチをしたり、筋肉にケアをしているからこそ、思い切った負荷をかけれていると考えると戸塚式がケアのないしごきだけしているのが正しいかといえば、とてもおかしいと思いますよ。
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- nagata2017
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質問にストレートに回答すると 肯定する人たちはいじめをする側の人間なので いじめられる側の心理を理解できないのでしょう。 いじめられる側は非常に大きなダメージを受けますが それを理解できないので 必要悪であると考えるのでしょう。 それよりも問題なのは 他の回答にもあるように 教育現場の環境がよくないことが第一だと思います。 教師は公務員です。公務員は減点評価主義の世界で生きています。 具体的な事柄で説明すると 公務員は終身雇用です。何ごともなければ定年まで勤められます。定年になると 高額な退職金と 高額な年金を受け取ることができます。 何ごともなければです。つまり 自分の勤務している現場で いじめなどにより死亡者が出るといった重大な事件が起きて その責任を追及されて 懲戒免職になれば「高額な退職金と高額な年金」を受け取ることができなくなります。 減点評価主義とは そういうことです。 だから常に減点されないように考えているのです。 いじめ問題における 彼らの最大の対策は「いじめはなかったことにする」なのです。 記者会見などでよく聞くセリフ 「いじめがあったという認識はございません」 「友達同士でじゃれあっていただけです」 「亡くなられたのは自宅ですから 家庭に問題があったのでしょう」 高額な退職金と 高額な年金を受け取ることができなくなると大変ですから必死なのです。
お礼
御回答有難うございました。 >質問にストレートに回答すると 肯定する人たちはいじめをする側の人間なので いじめられる側の心理を理解できないのでしょう。 いじめられる側は非常に大きなダメージを受けますが それを理解できないので 必要悪であると考えるのでしょう。 「いじめはなくならないが、もしそうなったら対応すべき」と云う考えなら良いが、「嫌なら強く成れ、苛めを止めてはいけない」と云う戸塚ヨットスクールなどの思考はそうだと思います。結局その人は苛められなくなっても、誰かが変わる、これを「弱いから」「鍛えてやっている」と云う風にしているのが、自殺者を生み出しているのだと思います。 >それよりも問題なのは 他の回答にもあるように 教育現場の環境がよくないことが第一だと思います。 教師は公務員です。公務員は減点評価主義の世界で生きています。 具体的な事柄で説明すると 公務員は終身雇用です。何ごともなければ定年まで勤められます。定年になると 高額な退職金と 高額な年金を受け取ることができます。 何ごともなければです。つまり 自分の勤務している現場で いじめなどにより死亡者が出るといった重大な事件が起きて その責任を追及されて 懲戒免職になれば「高額な退職金と高額な年金」を受け取ることができなくなります。 減点評価主義とは そういうことです。 だから常に減点されないように考えているのです。 いじめ問題における 彼らの最大の対策は「いじめはなかったことにする」なのです。 記者会見などでよく聞くセリフ 「いじめがあったという認識はございません」 「友達同士でじゃれあっていただけです」 「亡くなられたのは自宅ですから 家庭に問題があったのでしょう」 高額な退職金と 高額な年金を受け取ることができなくなると大変ですから必死なのです。 それでも生徒の事を思い、行動してくださる先生と、保身に走る人の違いで大きく分かれて来ると思います。
- sutorama
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>苛めを肯定する人の心理とは? いえ 肯定ではありません なぜ、肯定と捉えてしまうのか?は、ご自身でお考えくだされば良いですが、そこが実は大切なところです 教育者や政治の場では「いじめはなくならない」という、位置づけであるので、いじめを肯定しているのではないのです 故に「いじめはいけない」という意見と「苛めの経験により人間関係を学べ」という意見は、まったく別モノで、否定派と肯定派ではないのです 普通に「苛めの経験により人間関係を学べ」と言う人に「いじめはいけないものですか?」と、聞くべきかと思いますよ ので、立論から組み立てなおすと良いと思います
お礼
御回答有難うございました。 >肯定ではありません なぜ、肯定と捉えてしまうのか?は、ご自身でお考えくだされば良いですが、そこが実は大切なところです 教育者や政治の場では「いじめはなくならない」という、位置づけであるので、いじめを肯定しているのではないのです 故に「いじめはいけない」という意見と「苛めの経験により人間関係を学べ」という意見は、まったく別モノで、否定派と肯定派ではないのです 普通に「苛めの経験により人間関係を学べ」と言う人に「いじめはいけないものですか?」と、聞くべきかと思いますよ ので、立論から組み立てなおすと良いと思います 肯定している人は少なく、なくならないが、その時にどう対応すべきかと云う事を云っているのだと思います。
- DAMSAREX
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いじめは、「人が増え過ぎたことによる人間のストレスの発散方法の1つ」になっているように思います。 「人を増やして利益を生む=資本家は企業に投資し、企業は働く人同士を競争させることで分からないように搾取し、利益の大半を投資家に還元する=資本主義の仕組み」では、人を増やしたからにはもっともっと増やして競争させようとするため絶対に減らせなくなります。 そんな「資本主義の仕組みを肯定する社会」では、「いじめも肯定するしかない」と開き直る人が出てくるのは致し方ないかと。 グローバル資本主義の仕組みが、「(お前が)人より楽をしたいなら、嫌なことは全て他人に押し付けろ」と間接的に私達にほのめかしているのですから。
お礼
御回答有難うございました。 >いじめは、「人が増え過ぎたことによる人間のストレスの発散方法の1つ」になっているように思います。 「人を増やして利益を生む=資本家は企業に投資し、企業は働く人同士を競争させることで分からないように搾取し、利益の大半を投資家に還元する=資本主義の仕組み」では、人を増やしたからにはもっともっと増やして競争させようとするため絶対に減らせなくなります。 そんな「資本主義の仕組みを肯定する社会」では、「いじめも肯定するしかない」と開き直る人が出てくるのは致し方ないかと。 競争は良いが、そこで「精神を病む」「犯罪レベルにまで成る」事が問題かと思います。 >グローバル資本主義の仕組みが、「(お前が)人より楽をしたいなら、嫌なことは全て他人に押し付けろ」と間接的に私達にほのめかしているのですから。 確かに、先程おっしゃった投資家に還元する仕組みですから、嫌ならそうなれと云う事かもしれません。
- RESOLD
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物事を杓子定規に1,0で判断するのは、ある意味判断が偏ることがあります。 「苛めの経験により人間関係を学べ」と云うのは、ルールや常識ではなく、いじめれる側の(極めて前向きな)心構えに近い話かと思います。 例えば、犯罪者がいるこの世界で「犯罪を犯す人間が悪い・取り締まるべき」というのは勿論その通りでそのために警察組織等があるわけです。 しかし、犯罪者は残念ながらいなくなりません。一定数はまるで自然摂理のように発生します。 いつまでたっても物を盗む人も、人を犯す人もおります。そのために私達は家に鍵をかけて、痴漢に遭わないように夜道に一人で歩かないように気をつけたりします。 犯罪者前提の防犯意識です。 いじめも学校を超えて、会社でもどこでも起こりえます。老人になってもありえます。そのたびに誰かが守ってくれるとは限りません。何かが起こってから守ってくれるかもしれませんが、何も起きないようにするというのは難しい話です。 またいじめは犯罪と違い、受け手側の心理に大きく左右されます。相手が嫌だと思ったらいじめと取られます。これを回避するのは不可能に近いです。私も過去いじめられた側の人間ですが、不用意な発言でいじめと取られ「いじめた側に回った」ことがあります。 その1つ1つを自殺まで追い込むか追い込まないかはまた受け手側の心の余裕に依ります。どんなときにも私達は人と関わる以上、人を傷つけ追い込むことを忘れてはなりません。SNSを見ればなんでもない発言で「傷ついた!」という人がいるのでよくわかると思います。 悪い人間に合わせて善人が生きなければいけないというのは窮屈な世界ですが、しかしそれが変えられない以上、ただの一個人は自衛ができるようにならなければなりません。それが「苛めの経験により人間関係を学べ」という心構えです。 またいじめている人間はこの際絶対悪として一旦置いておきます。 世の中に絶対的強者はおりません。ライオンですら生態系の頂点ではありません。では人間が頂点か。これは往々にして人間側が有利ですが、手ぶらで人間がライオンに勝てるわけもありません。 すべては環境に拠ります。 生存戦略上は逃げることも勝ち、環境場の強者(たとえば銃を持っている人)に頼るのも勝ち、手段は1つではないのです。 つまり絶対的強者はいません。勝ったとか論破とか本人が言っているだけで、実際に社会の役に立っているかはあまり関係ありません。 辛いのは環境が良くないことです。いじめをいじめと見ない学校、友人、家族。 これではいじめられている側が取る手段も限られます。転校もできない、家に引きこもれない、誰も助けてくれない。 どうか選択肢が少ないないことを願っています。
お礼
御回答有難うございました。 >物事を杓子定規に1,0で判断するのは、ある意味判断が偏ることがあります。 「苛めの経験により人間関係を学べ」と云うのは、ルールや常識ではなく、いじめれる側の(極めて前向きな)心構えに近い話かと思います。 腕力だけでなく法的処分等の事も考慮に入れ「泣き寝入りせずに」対応せよと云う事だと思います。 >例えば、犯罪者がいるこの世界で「犯罪を犯す人間が悪い・取り締まるべき」というのは勿論その通りでそのために警察組織等があるわけです。 しかし、犯罪者は残念ながらいなくなりません。一定数はまるで自然摂理のように発生します。 いつまでたっても物を盗む人も、人を犯す人もおります。そのために私達は家に鍵をかけて、痴漢に遭わないように夜道に一人で歩かないように気をつけたりします。 犯罪者前提の防犯意識です。 いじめも学校を超えて、会社でもどこでも起こりえます。老人になってもありえます。そのたびに誰かが守ってくれるとは限りません。何かが起こってから守ってくれるかもしれませんが、何も起きないようにするというのは難しい話です。 またいじめは犯罪と違い、受け手側の心理に大きく左右されます。相手が嫌だと思ったらいじめと取られます。これを回避するのは不可能に近いです。私も過去いじめられた側の人間ですが、不用意な発言でいじめと取られ「いじめた側に回った」ことがあります。 その1つ1つを自殺まで追い込むか追い込まないかはまた受け手側の心の余裕に依ります。どんなときにも私達は人と関わる以上、人を傷つけ追い込むことを忘れてはなりません。SNSを見ればなんでもない発言で「傷ついた!」という人がいるのでよくわかると思います。 悪い人間に合わせて善人が生きなければいけないというのは窮屈な世界ですが、しかしそれが変えられない以上、ただの一個人は自衛ができるようにならなければなりません。それが「苛めの経験により人間関係を学べ」という心構えです。 確かに、詐欺に合ったり犯罪に巻き込まれる事もあります。私も仕事で此方は気にしていないが何気ない一言で相手を傷つけた事もあります。(これは直ぐに謝罪しましたが) 多分その様な時に対応する力を身につけよと云う事だと思います。 >またいじめている人間はこの際絶対悪として一旦置いておきます。 世の中に絶対的強者はおりません。ライオンですら生態系の頂点ではありません。では人間が頂点か。これは往々にして人間側が有利ですが、手ぶらで人間がライオンに勝てるわけもありません。 すべては環境に拠ります。 生存戦略上は逃げることも勝ち、環境場の強者(たとえば銃を持っている人)に頼るのも勝ち、手段は1つではないのです。 つまり絶対的強者はいません。勝ったとか論破とか本人が言っているだけで、実際に社会の役に立っているかはあまり関係ありません。 辛いのは環境が良くないことです。いじめをいじめと見ない学校、友人、家族。 これではいじめられている側が取る手段も限られます。転校もできない、家に引きこもれない、誰も助けてくれない。 どうか選択肢が少ないないことを願っています。 が、戸塚宏氏はスクール内では苛めを奨励させ、 「泣き言は許さん 嫌なら強く成れ」と云う事で縛ろうとしております、それを法的手段の対応などで、 「俺の事を悪く云って苛める」と云う風に云っております。
お礼
御回答有難うございました。 >いじめというのは被害に遭った人がその行為をいじめと判断したら、いじめなので、そんな方程式は実はありません。あなたの言ってるのは加害側から判断した「しごき」や「いじり」となります。 確かに、此方が「いじり」でも相手が「負荷」と感じると「パワハラ」に成ると思います。 それが、女子柔道の監督と部員の関係もそうだと思います。 >故にいじめを否定、肯定という相対関係にはありません。 しごきの肯定は人間は何をするにも負荷をかけてでしか成長はしないということから、理不尽な要求に応えることで心に負荷をかけ、成長を促す行為であるとしているからでしょう。 その様な事が私の学生や資格試験の研修等では未だ行われておりましたが、「しごき」はあっても「死に至らしめるようなものではなく」私の行っていた処は未だ何処かで 「息抜き」が出来る場があったので救いでした。 >しかし、心への負荷は日常生活の中で人間関係を含め、不可をかけられるシーンはありますし、当然ながら人によって耐えられる負荷には違いがあるので、一律な負荷を与えようとすることが果たして正しいのかというと一概には言えないし、いじめに見えるようなきつい負荷をかけることはよろしくないのだと思います。また、負荷をかけることとセットでケアも必要で、その部分を無視していることが問題になるのだと思います。 それが、きつく逃げ場の無い処は「下の者を苛める」事などでそのバランスを保っている処があります。 これが問題に成ったのだと思います。 >スポーツをして上手くなっていくのに、きつい練習に耐えて、という過程は必要ですが、練習前後にストレッチをしたり、筋肉にケアをしているからこそ、思い切った負荷をかけれていると考えると戸塚式がケアのないしごきだけしているのが正しいかといえば、とてもおかしいと思いますよ。 戸塚式はこのケアを「せんでもええ 必要なし」と云っております。スパルタやしごきがあっても、何処かで受け入れられている処は良いが、耐えれるものだけが偉く、それで耐えれると「いじめでも何でもあり」と云っているのが問題で自殺者を生み出していると思います。