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転職回数が多い方
これまで転職を5回以上された方っていますか? それでも、結果的に良い職場に恵まれたとか、今は長く働くことができてるって方いますか? 結局、それだけ転職回数が多くても良かったって方はいますか? ある知り合いは、2社似たような求人があり、その内の1社に入ったが、ひどい環境で1か月で辞め、もう1社の方に入った。 そしたら、そこはすごく働きやすい環境で、そこで長く働いてるようなんです。入ってみないとわからないと話してました。 もし私であれば、1社目でどんなに辛くても何がなんでも続けようと頑張ると思うんです。結果的に病気になって壊れるまで。 逃げたらダメだ、甘えたダメだ、すぐやめたらどこ行っても同じだという声が聞こえてきそうだから。 これまでもずっとそうして生きてきました。 でも、その結果体を壊し数回転職を繰り返しています。なので、理想とは違うダメな自分を否定してばかり。 でも、これって本当に幸せな生き方なのかなって、その知り合いの話を聞いてわからなくなりました。
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- jbke
- ベストアンサー率0% (0/6)
向き不向きというのもあるだろうし、 自分と正反対の考えを持った上司もいたりする。 なので、自分とその会社が合わないのかもしれない。 その仕事で必ず成功するぞというやりかたもあります。 しかし、石にかじりついてもといった考え方はよい面もありますが、 健康を損なうことにもなり得ます。 そうなると働くこと自体出来なくなります。 私も転職は多い方です。悪いことばかりじゃないです。 何よりいろんな人たちとの出会いがあります。 その職業でしか体験することのできない苦労とか喜び 畑違いの仕事をすることで多くの知識を得ることもできます。 そんな経験は無駄にはならないのです。 たった1度しかない人生、冒険したくなりませんか? 最後に、今は犬と猫の人気が昔とは逆転しました。 その理由がわかりますか? 生意気に聞こえるかもしれませんが、ご幸運をお祈りします。
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
コメントへの回答です。 >要するに、相手からの攻撃によるものではなく、自分で自分の首を絞めていたってことでしょうか? 相手が攻撃したかは分かりませんが、あなたはそう受けて、自分を守ろうとしたのだと思います。 >それは自分を大事にするということではないのですか? 私は自分のことが好きですが、大事にしようと思ったことはありません。 ましてや、”身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”と説いているのですから、はっきり言えば自分のことは考えてはいけないと言うことです。 >自分も相手も客観的に見るってことでしょうか? そうです。それによって初めて関係が見えてきます。 もっとも関係が見えたからといって、何かの対応するのではありません。 相手と自分の関係はこうなんだと受け入れるためだけです。 >回答者さんは仏教を学ばれてる方なんですかね? いいえ。でも、興味はあります。 35歳の時、フリーになるに当たり、怖かったので般若心経にすがったことがあります。ご存知と思いますが、”色即是空 空即是色”で何事にも執着してはならない、全ての事にとらわれてはいけないという教えです。 これも”身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”の根本の考えだと思います。 仏教を学んで、ベクトルが自分に向いたのは、学んだ内容が何だったのでしょう? 般若心経は仏教の真髄ですので、お薦めします。 まったく関係のないことですが、ギタリストのEstas Tone氏をご存知でしょうか。 私は彼の”Introspection"という曲が好きです。 (https://www.youtube.com/watch?v=5OXcXv0rUNI) 癒しになると思いますので、興味があったら聞いてみてください。 では、笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
コメントへの回答です。 >そこに、理解や共感は必要ないんですよね? >器が広いとかということでもないってことですよね? >なぜそう言ったのか、相手の真意は考える必要ないってことでしょうか? >なぜそう言ったのか、相手の真意は考える必要ないってことでしょうか? すべて、「はい」です。 >要は自分の何がいけなかったのか、どうすれば言われないかってことを。 何がいけなかったを考えるのは良いことです。 しかし、どうすれば言われないかと考えるのは、自己防衛です。 人はそれぞれ違うのですから、相手から言われないようにしようと考えることは無駄です。仕事の成果を出すことを基準により良くすることを考えるので筋でしょう。 >感情もあるし難しいです…。 感情は理性で乗り越えましょう。 理性は鳥瞰する心です。 鳥の様に上から見るのです。 自分自身と相手を同時に見る心があることを意識しましょう。 それが受け入れることにも繋がるでしょう。 自己防衛をしているうちは、”身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”のことわざは生きません。 笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。
- gongorogon
- ベストアンサー率16% (706/4250)
今の会社は6社目で、勤続20年です。 転職理由は将来に不安を覚えたのが殆どですが、リストラも1回あります。 今の会社にはもっと早く入っていればとも思いますが、なんせ絶対にしたくなかった仕事でしたから、巡りあわせって分からないものです。
お礼
20年ですか~。 それは、たまたま良いところだったからですか? それとも、それまでの経験がったからこそですか? もしくは、それまで以上に何かを勉強したり、メンタルを強くしたり、自分が変わったり、何か努力したことで変わったから事の結果なのでしょうか? 私の場合、たまたま運が悪かったと思えればどんなに楽かと思いますが、どこ行ってもパワハラにあうって、なかなかそうは思えなくて。 でも、明らかに理不尽なことでしたし、私以外にも病気になって辞める人もいたし、一定数は同じ思いして辞めてる人はいたんですけどね。 どちらにしても、次の職場もそういう人がいるものだと思って、色々対策も考えてはいますが、そのたびに嫌なことを思い出すし、また同じ思いをして病気になってまた失敗したらどうしようって考えたら、働くことが恐怖でしかありません。 前職では、部署内で1番上司から信頼され高い評価をいただいてました。しかも、私が好きでやっていたことが評価されていたので、それはすごく嬉しいことでした。 でも、部署内でも1番仕事ができない先輩で、でも1番年上で態度もでかい人がいて、その人が何か気に食わないと怒鳴りつけられていたんです。 例えば、定時より早く帰りたくて、バスの時間に間に合いそうにないとわかると、機嫌が悪くなって怒鳴りつけるとか。本来の定時には間に合うレベルなのに。 今思うと馬鹿らしいですが、私はそれで激し動悸が起きるほど壊れてしまったんです。半年以上働いてないのに、それから体が本調子ではありません。 こんな自分が果たして、以前のように働けるのかなって…。
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
コメントへの回答です。 >気にしなければいいとはよく言われますし、何千回とそれは試してましたが、(以下略) 気にしないのではなく、受け入れるのです。”この人はこうなんだ”と。 >真に受けるとは違うんですよね? そうです。真に受けてはいけないのです。”その人はこうなんだ”とです。 無視するわけではありません。受け流しているのでもありません。 受け入れるのです。人の考えや行動はそれぞれで違うのですから。 >相手は60過ぎの古株でした。 >これも、受け入れることで気楽になると思いますか? この場合は、”耳が聞こえにくくなっているのかな?”というのもありますが、いちいち考えるのも面倒なので、やはり”この人はそうなんだ”で受け入れましょう。 >何故あそこまで言う必要あるんだ!なぜこんなこと言われないといけないんだ!もっと普通に言ってくれればいいじゃないか!皆の前であんな風に言われて恥ずかしいし屈辱だ! その人にとっては、言いたいのでしょう。理由などは分かりません。考える必要もありません。普通に言う思いやりがないのでしょう。そういう人なのですから。だから恥ずかしいと思うこともありません。 あなたが恥ずか良いと思うのは、皆がどう思っているだろうと考えるからです。しかし、皆がどう考えているかは、絶対に分かりません。分からないことは考えるだけ無駄です。 笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。
お礼
気にしない、無視する、受け流すということでもなく、受け入れるですか。 分かるような分からないような…。 そこに、理解や共感は必要ないんですよね? 器が広いとかということでもないってことですよね? なぜそう言ったのか、相手の真意は考える必要ないってことでしょうか? 私は必ずそう考えるんです。原因さえわかれば、私が改善する努力もできますから。とにかく、原因を探します。何がいけなかったのか。なぜそのような言い方されることになったのか。 要は自分の何がいけなかったのか、どうすれば言われないかってことを。 でも、それで答えが出たことはありません…。分かりません…。 これかもと予測して色々やっても無駄でした。 たしかに、恥ずかしいと感じるのは、周りからの視線を意識した上での発言です。 周りは見て見ぬふりか、陰で気にしない方が良いと言ってくれることはありますが、実際どう考えてるかは分かりません。 分からないことは考えるだけ無駄。 ほんとその通り。でも私は、考えれば何かしら答えが出ると思い込んで、いつもそうしてしまっていたのかもしれません。 考えて解決できるのか、無駄なのか、その見極めは大事かもしれません。 感情もあるし難しいです…。
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
再々度、回答致します。 >その視線や聞き耳を意識してしまって、いつ何言われるか意識しながら、目の前の仕事に完全に集中できてないことはよくありました。 ポイントはこれです。 意識は自分に対してではなく、作業そのものに向けることです。 大げさかも知れませんが、次のことわざが参考になると思います。 ”身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ” 周りがあなたに意識を向けた時には、その人は作業に専念せずに無駄なことをする人なんだと受け入れましょう。そして、それで終わりに、作業に専念しましょう。 意識しないわけには行きませんので、受け入れてしまうのです。 そうすれば、”そうなんだ”と納得でき、気楽になりますよ。 何度でも、これの繰り返しです。 笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。
お礼
気にしなければいいとはよく言われますし、何千回とそれは試してましたが、ロボットではないし感情はあるので、言われたら傷つくし、話しかけるのが怖くなるし、聞きたいことも聞きにくくなるし、休みの日でさえもそのことで頭がいっぱいになってしまいます。 これは周りを意識してるということではなく、自分に意識が向いてるってことなのでしょうか? 受けれいるですか。 真に受けるとは違うんですよね? 無視はできませんし、言われたことで色々考えてしまう。これは受け入れるとは違うのでしょうか。 もちろん、明らかに私のミスや過ちを指摘されたならまだ分かります。でも、大抵は些細なことやその人の思い通りにいかずに当たてくるような言葉ばかりです。 質問され、~ですと答えたら、その「です」という言葉が聞こえなかったらしく、~ですだろ!誰に向かって言ってるんだ!!と皆の前で怒鳴り散らされたこともあります。相手は60過ぎの古株でした。 これも、受け入れることで気楽になると思いますか? 何故あそこまで言う必要あるんだ!なぜこんなこと言われないといけないんだ!もっと普通に言ってくれればいいじゃないか!皆の前であんな風に言われて恥ずかしいし屈辱だ! そんな怒りや悲しみでいっぱいになってしまいます。
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
度々、回答致します。 >1つ驚いたのは、回答者さんは人間関係が理由で退職されてないんですね。 確かに、人間関係が主たる理由ではありませんね。でも、要素の一つではあります。人間関係が悪いとやる気がなくなりますからね。その結果、仕事が旨く回らなくなり、体調を崩して辞めたのが2回あります。 >でも、私にとって人間関係は最も大事なこと。 これは、職場において悪いことだと思います。 職場は仕事第一です。人間関係によって成果が変わります。 だからといって、人間関係を第一とすることは間違っています。 そこで、良い成果を出すことを第一とすれば、変わってくると思います。 そこには、理想の自分はいりません。皆と向き合うのではなく、皆で同じ方向を見て、進んでいくことです。 これが解決策になるような気がします。
お礼
要素の1つに留めることができてるだけでもすごいです。 でもそのヒントが、おっしゃってくれた良い成果をだすことが第一にされてることでしょうか。 私の仕事はチームワークを要する仕事なんです。中には嫌いな人ともペアで作業することもあります。 だからこそ、その人との関係が少しでも良い関係でないと、ものすごくやりにくいし、当然良い仕事もできません。 なので、シフト制の所だと嫌な人がいない日はパフォーマンスが高くなり、いる日は一気に悪くなってしまうなんてことはよくありました。 なので、毎日同じ職場であれば、毎日低くなり、仕事ができない。そしてまた色々言われ、さらに気持ちやパフォーマンスが落ちの悪循環。 でも人のせいには絶対したくなかったので、そのためには相手といかにして上手くやるか、という方向にすべて向かってたように思います。 今は冷静にこう言えますが、当時はそんな余裕はなく、なんとかしてうまくやらなきゃ!って取りつかれたように必死になってました。 中には無視したり、質問しても嫌そうな扱いされたり、ちょっとしたことで大声で怒鳴りつけられたり、ちょっとした言い方や話すタイミングでも怒鳴りつけられたり、するとどんどん委縮してました。 みなで同じ方向を見て進む。おっしゃるとおりです。実際、その仕事のゴールや目的は同じなんですから。 でも人によってやり方も違うので、同じにやれと強要する人。自分にだけ強く当たてくる人がいると、どうしてもその相手にベクトルが向いてましたね。 それに、私だけでなく、人にベクトルが向いてる人もいます。特に女性に多いんですが、常に聞き耳を立てて周りを監視しながら作業してるというんでしょうか。 その視線や聞き耳を意識してしまって、いつ何言われるか意識しながら、目の前の仕事に完全に集中できてないことはよくありました。 逆に、そういう人がいない時は、集中できるので結果も付いてきます。 情けないですが、いつもこれは同じでしたね…。 周りの人間に流され感化され影響受けまくってます。狭い職場ですし、嫌でも声は聞こえるし視界にもはいってきますからね。
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
お礼のコメントへの回答です。 >5社目は良い会社だったということは、それまではいい会社ではなかったから転職したってことでしょうか。 1社目も2社目も不況が原因です。 3社目は派遣で帰属意識が持てませんでした。 4社目は、業者の口車で新たな会社を起こし、その業者の責任者が社長になり、私は納得できなかったので辞めました。 良い会社ではなかったことになりますね。 >そして5社目で上手くいったのは、別にそれまで以上に努力したとか我慢したとか身を削ったとかそういうことでもないんですね。 はい、最高に待遇の良い会社でした。 >そういう人からは決してそんなことはなく、どんどんエスカレートしていくばかりでした。 得意先に、その様な人がいました。同じ会社でなくてよかったと思っています。同じ会社であれば、私は辞めます。 出会いで世界は変わります。 出会いで新しい自分を見出すことが出来ます。 転職することは、勇気がいります。 でも、それは新しい自分と出会うチャンスなのです。 私は我慢しません。 人は価値判断をして道を選びます。 価値は、損得勘定。 それは、尊徳感情でもあるのです。 気持ちと金のどちらに価値を見出すか。 とにかく、自分が良いと思ったものに価値があるのです。 他人が決めることではありません。 価値判断が違っていたならば、補正すればよいのです。 わたしは、嫌な人と一緒にいることはマイナスの価値しか感じません。 自分で決めた道、それにこそ価値があります。 私は後悔をしたことがありません。 それは、自分で決めたことをしてきたからだと思います。 笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。(中村天風)
お礼
お忙しいのにありがとうございます。 1つ驚いたのは、回答者さんは人間関係が理由で退職されてないんですね。 私は人間関係でしかなかったし、逆を言えばそこさえ問題なければ辞める理由はなかったです。 でも、私にとって人間関係は最も大事なこと。だからこそ、そこが上手くいかなければ他がうまくできても今いないんですよね…。 もっと言えば、いい人とはうまくやれても、嫌な人ともうまくやれなければ意味がないということ。でもそれが1番難しい。 だから私にとって同じ職場で働き続けることは難しいんです。嫌な人がいたらその時点で終わりで、どんなに頑張っても結局だめだから。 最初はやめることで解決を求めましたが、どこ行ってもいる。だから今は、自分をもっと強化し変わることを求めてやってますが、なかなか理想通りの自分になれません…。 でもそれって、完璧な自分を求めてることなので、そもそもが難しいことなんですよね。 最高に待遇が良かったというのは、私が必死がやってるような、それまでのやり方考え方や自分を変えることがきたからというわけではないんですかね? 運がよかったとうことでしょうか。 人より何倍も努力してるから、何倍もメンタルが強いから、何倍も上手くやれてるから、別にそういうことではないんですかね。 私には、それができてないから上手くいってないのかなって思ってたので。 同じ会社に嫌な人がいたら辞めるですか。 でもそれだとどこ行っても同じですよね? どこ行ってもいるんですもん。 私も病気になるまで我慢はしてましたが、結果的にはやめています。でもその結果が今です…。 やめて後悔したことはありませんが、なぜあの人と上手くいかなかったのか、あの時どうしたらよかったのか、その正解は分かりません。 少なくても、私のように我慢し続けることだけは良くないのは、さすがにもう痛いほど分かりましたけどね。
- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
5社目がすごく良い会社でした。 しかし、顧客の都合で転勤することになったので、フリーになりました。 フリーと言っても契約社員で派遣ですので、転職が続くような感じです。 五年程で派遣でない会社と契約しました。面接の役員の方に気に入って貰い、私もその方を尊敬しました。残念ながら、その方は引退してしまい、その会社も大手に吸収されることになりました。その時に正社員になるようにと言われましたが、別の会社と契約することにしました。 人は関係に生きています。 ですから、相手が変われば関係は絶対に変わるのです。 どこへ行っても同じなどということは絶対にありません。 良いか悪いかは関係でかわるのです。 会社数では10、派遣先を含めると都合15社位?で勤務しました。 行った先で変わります。 そんな経験から得たことは、 人生は、人間関係を教材とした”受け入れ”を学ぶ場 ということです。 受け入れることができれば、幸せに暮らせます。 笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。(中村天風)
お礼
ありがとうございます。 5社目は良い会社だったということは、それまではいい会社ではなかったから転職したってことでしょうか。 そして5社目で上手くいったのは、別にそれまで以上に努力したとか我慢したとか身を削ったとかそういうことでもないんですね。 私に足りないのはもっともっと努力して我慢して必死にやることしかないのかなって。 でもこれまでもずっとそうしてきて、結果的に心と体を壊したので、これ以上度やって頑張ればいいのかなって、怖くなってしまって。ただでさえ、後遺症というか以前ほどの体調には戻れてないですし。 ただ運が悪かったと言うには、5回も同じようなことが続いてるので、それはただの言い訳にしか思えなくて。 これまでの経験で言うと、このさえいなければって思う人ほどいなくなることはなかったです。そして関係も他の人からは信頼を得たり評価されるようになっても、そういう人からは決してそんなことはなく、どんどんエスカレートしていくばかりでした。 私は別に敵意があるわけでもないし、友達なんて求めてませんが、同じ仲間としてせめてお互い気持ちよくやりたいだけなのに。でもこれは私のただの価値観であって、そうしなければいけないことではないんですよね。
- lived_in_room13
- ベストアンサー率52% (248/469)
まあ、結局は運しだいなんだろうね、と最近は思っています。 私自身の頭脳も能力も昔から変わらないと思うのですが、全然評価されない場所では全然評価されないですし、職場によっては「え~!こんなに給料くれるの!いままでの3倍以上なんですけど!!!しかも、メッチャ大事にされてる!!!」と評価される場所もあり、不思議ですね。 そういえば学生時代も、メチャクチャ私を評価してくれる教授とそうでない教授がいました。正直いまだに「同じ能力なのになぜこうも評価がわかれるのかな~?」と理解できません。(ちなみに成績は上位でした。) ただ、そういう良い職場の見分け方は、私も今でも分かっていないので、何にもアドバイスできないのですが、、、。
お礼
ありがとうございます! まさにそれです!! 同じ職場でも、毎日のように怒鳴りつけて、何やっても否定してくる人もいれば、全く逆の評価をしてくれる人もいます。 前職が良い例で、私は上司からは部署内では1番良い評価をしてると教えてくれたことがあります。給与に反映することなので。 でも、別の先輩からは、ことあるごとにいつも怒鳴りつけられてました。内容はいくらでも出てきますが、しょうもないどころか身勝手な理由ばかり。 例えば、その人は仕事が遅くていつも手伝っていたんですが(職場で暗黙の了解になってた)、たまに手伝う余裕が無くて手伝えない時があると、俺に全部やらせる気かよ!!こんなにできねえよ!!と大激怒。 いやいや、それお前の仕事だぞと。もはや、手伝ってもらってることすら分かってなくて、やってもらうのが当たり前になってるレベル。 なんでこの人にこんなこと言われなきゃいけないんだっていつも我慢して耐えてました。結局そこは5年働いて、最後は病んでしまったんですが。 とにかく、その人に限らず、人にきつく当たられるのは、仕事ができるできないは関係ないんだなってのはすごく感じてるんです。単純に弱い者(抵抗してこない相手限定)いじめとしか思えません。 大人の世界でもこんなことあるんだなと。 とは言え、あまりにもそれが当たり前の職場ばかり。バイトも入れれば10社近くありますが、必ず1人はヤ〇ザみたいな人で怒鳴る人はいたし、その周りの人も怒鳴ることはなくてもきつい人が多かったです。 いかにも優しそうな人は絶対先に辞めてしまう。 たまたまと思ってましたが、こんなにたまたまが続くものなのかなって…。 友人だと、別の職種ですが、嫌な人合わない人はいても、職場で怒鳴る人なんて見たことない!という人の方が圧倒的に多いですし。 やはり、調理の職場は何かあるんだなと…。
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お礼
ありがとうございます。 すべてハイになるんですね…。 では、私が必死で考えて悩んでたことは、実は考えなくてもよかったことなんですね…。 もしそうだと知りそれができていれば、今ほど悩んだり病気になってなかったかもしれません。 要するに、相手からの攻撃によるものではなく、自分で自分の首を絞めていたってことでしょうか? いかにして相手から言われないに、嫌われないようにするかが1番大事なことになってました。 それがクリアして初めて、お互い良い関係で気持ちよくいい仕事ができるものだと。 自己防衛という言葉がすごくポイントになってるような気がするのですが、それは自分を大事にするということではないのですか? でも、今の私はそれができてないからこそそうなったんだと思ってました。 自分も相手も客観的に見るってことでしょうか? 回答者さんは仏教を学ばれてる方なんですかね? 実は私も、ある知人との出会いで知ったんですが、仏教の考え方がすごく好きで色々勉強はしているんです。 そのおかげで、ベクトルが相手ではなく自分にも向けられるようになったんですが、でもそれが逆に自分への攻撃にもなってしまってるんだと思います。