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最後の小田原藩主・大久保忠良の人生
何故、小田原藩主として地位あった人が僅か19歳で西南戦争に参加して戦死したのでしょうか?
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- oska2
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回答No.1
>何故、小田原藩主として地位あった人が僅か19歳で西南戦争に参加して戦死したのでしょうか? 小田原藩の大久保家は、明治初期に「反政府活動」を起こして謹慎蟄居処分が科せられています。 そこで、分家だった大久保忠良が養子相続となり最後の藩主になります。 潘知事になりましたが、廃藩置県で知事免職。 慶応義塾に入学。 その後、陸軍に入隊しました。 何故西南戦争に参加したのか? 軍上層部の命令です。 陸軍伍長となり大坂鎮台に配属された時、東京鎮台第三連隊第三大隊第三中隊に転属。 征討軍として、参戦しました。 明治期の陸軍は、皇族・旧藩主など貴族が自ら入隊する暗黙の了解があった様です。 昭和天皇の親族も、陸軍に入隊していますよね。 徳川慶喜の子供・孫も、陸軍に一兵卒として入隊してしました。 戦地で負傷して野戦病院に入院した時「軍医が、徳川さん。爵位はありますか?子爵ですか?」と訊いた時「少し上です」と回答。 「では、伯爵ですか?」 「もう少し上です」 「・・・」 「ハム(公爵)です」と回答。 軍医は突然敬礼して、彼を大部屋から個室に移しました。 その後、野戦病院なのに「少将など軍幹部が見舞いに来た」と故・徳川慶朝さんの回顧録になります。 ※徳川慶朝さんの死去により、徳川慶喜家は断絶しました。 まぁ、「武士=天皇の軍隊」との考えが根底にあったのでしようね。