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日本は「児童ポルノ大国」だったのでしょうか。
かつての日本は「児童ポルノ大国」と見做されていたような気がします。 確かに未成年の少女のヌード写真集が堂々と売られていたり、ドラマの入浴シーンでも親役はバスタオルを巻いているのに子供だけすっぽんぽんで映っていたりしました。 ただ、海外でも「サリー・マン」の写真集(森林地帯に住み、自分のこども三人を屋外でも全裸で過ごさせてその写真を作品として発表していた)のように子供の裸に芸術性を表現していた写真家や芸術家は多数います。 日本だけ「児童ポルノ大国」だったわけではなく、誰でも気軽に手に届くところにあったからそう呼ばれているに過ぎなかったような気もしますが、皆様の見解を伺いたいです。
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- eroero4649
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>元々開放的だったはずなのになぜこのようになったのでしょうか。 我々日本人は「基本セーフで、一線を超えたらアウトとする」というルールが苦手です。「基本アウトで、見つからなければセーフ」が原則なのです。 いい例が道路の速度制限で、大抵の道路では速度オーバーで車が流れていて、警察も取り締まっているとき以外は見て見ぬふりをしています。 給付金なんかもそうですね。「全員一律じゃないから不平等だ」という声がずーっと上がっています。考えてみればコロナ禍でも収入が落ちていない人(年金受給者や生活保護受給者、公務員など)もいれば、むしろ収入が増えている人もいます。だったらそういう人にお金を渡すよりその分困っている人に分厚くした方がいいでしょう。でもそういう柔軟な対応は気に食わない人たちが無視できないほど大勢います。 そんな彼らが言う先は「一律じゃなければ、給付金そのものが反対」です。「朝三暮四」って言葉がありますが、いっそみんながもらえないなら平等だ、というわけです。 なので性に関するアレコレもそうですね。あっちがセーフでこっちがアウトというのは平等ではないから、一律アウトにしろとなるわけです。 ・・・というその割に、裏本や無修正エロ動画などアンダーグラウンドという形をとれば無修正がほぼ見逃されているというダブルスタンダードが平然と存在しています。風俗もヘルスと呼ばれる業態では陰茎を膣に入れると「売春防止法違反」になるのに、ソープランドでは「客と嬢が恋に落ちた」ということにしてセーフになります。なぜそのセーフがヘルスには認められないのかは意味不明です(実際のところはソープランドは新規開業が認められないので、ソープランドの本番OKは既得権益として黙認されているという状態ですね)。 「そういう国なんだ」と思うしかないですね。でもまあアメリカでもレイプやロリコンを彷彿とさせる演出はNGとか、よく分からんルールはあると思いますよ。
- eroero4649
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元々日本人はゲイにもロリコンにも寛容な民族ですからね。 「源氏物語」じゃ10歳そこそこの少女に光源氏は手を出しているし、「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次さんと喜多さんは「そういう関係」です。だから彼らは道中で派手な喧嘩をしばしばするのです。あれって痴話げんかなんですよ・笑。 「源氏物語」のパロディでもある「好色一代男」の主人公、世之介は女性約3000人とヤりましたが、若い坊や800人ともヤりました。 江戸時代なんかは、ギャンブルで大負けした男が「妻」を掛け金にしてギャンブルすることもありました。負けると勝ったやつに奥さんを寝取られるのです・笑。 「八つ墓村」の元ネタになった「津山30人殺し」も、夜這いの習慣が原因のひとつでありました。 現代にある風俗文化はテクノロジーを伴うものでなければほぼ全てが江戸時代にあったといっても過言ではありません。「会いに行けるアイドル」もいましたし「萌え」もありました。 江戸時代の春画にも、女性がタコに犯されるというものがあります。エロマンガの定番である触手モノってやつですね。200年前も同じ妄想をした変態絵師がいたのです・笑。 児童ポルノ大国というより、エロ文化大国といっていいのではないでしょうか。なにしろもう「hentai」も国際語になっていますし、女性に精液をかけるプレイも「bukkake」が国際語となっております。
- aeromakki
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元々、日本はポルノ大国だったと思います。 江戸時代に、春画の本が大量に流通していた国です。この時代に、紙が一般に普及している国も少なかったでしょうし、識字率も当時としては異常に高かったらしいです。 昭和後期、世界的に規制が始まったときに、コミックが取締対象になるのが随分遅かった気がしますし、元々、人権後進国です。 規制がなかなか進まなかった結果として、児童ポルノ大国という情けない国に落ちぶれたのではなかろうかと思います。 AV成人物の規制はサクサク進んだため、コミックとして小児性愛を対象としたものが抜け穴として残った、 その弊害として小児性愛者が増えて、性犯罪被害に男女とも児童が遭っているという認識が出てくるまでのタイムラグが数十年あるため、性犯罪者予備軍を量産してしまったというのが現状だと思います。 臨床心理学や精神医学に多少通じているなら、40年前には予想がついていたはずです。 現在も、性犯罪者、特に小児性愛者に寛大な社会と成り下がっているのは、全く情けないことです。
お礼
池田満寿夫が自署の「エーゲ海に捧ぐ」を映画化した時、「日本の映画界は僅かでも性器が映ったらダメなど、性表現に制限が多すぎてはらがたつ」という意味の発言をしていました。元々開放的だったはずなのになぜこのようになったのでしょうか。