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織田信長について。

織田信長の武術や野戦はどれくらいのレベルでしたか? 身体能力もそれなりにありましたか? 詳しい解説をお願いします。

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  • pri_tama
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回答No.3

 信長の武芸師範として、下記の人が伝わっており、他にも水練や馬術も熱心だったと言われています。     橋本一巴(鉄砲)     市川大介(弓)     平田三位(兵法)  壮年以降になっても、麓の屋敷から山上に有る岐阜城の天守まで毎日往復するほど体力に優れていたと伝わっています。  また桶狭間や天王寺の戦いなど自ら槍を取って戦っていたとの記録も残っています。 (天王寺の戦いでは、足を鉄砲で負傷するほどの激戦に身をさらしている。)  『信長公記』によると林美作守を自ら討ち取って、その首級を挙げたと伝えられていますし…。  ほかにも斎藤道三救援に向かった際の撤退戦では、自ら殿りを務めています。  最後の本能寺の戦いですら、弓や槍をとって幾人かを討ち取っていると伝わっています。  天下を統一寸前までいった大名の割に信長自身が戦ったエピソードは結構多いですよ。  個人の戦闘技量としても、女性をからかった兵士の首を一刀でのもとにはねた(一級の剣術家レベルでないとできない)とか、無礼をはたらいて台所の棚の下へ逃げ込んだ茶坊主を棚ごと切り殺した(腕力が並ではない)なんて伝わっています。  上記のエピソードが本当だとすれば、個人技量もそうとうだと思います。

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  • eroero4649
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回答No.2

「信長の野望」でだいたい武力80以上をレーティングされる猛将蒲生氏郷について、秀吉がこんな話を残したといわれています。 「蒲生氏郷の兵10万と、織田信長様の兵5千が戦えば、勝利するのは織田軍である。蒲生側が織田兵4千の首を取っても、信長様は必ず脱出しているが、逆に織田側が5人も討ち取れば、その中に必ず氏郷の首が含まれているからだ」 当事者を全員直接よーく知っている上に、文字通りに生き馬の目を抜く戦国時代で天下人になった秀吉がそういっているのですから、信頼できると思いますよ。

  • gunsin
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回答No.1

身体的な記録は残ってませんが、妹のお市の方は大女(おおおんな) との記録がありますので、身長は高い家系と思います。 「信長公記」にも、信長の武術の記載はないですが、 父の織田信秀を考えれば、それなりに鍛えられ、自分の身を守る 程度の武術は有ったと個人的に推察しますが。

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