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表現の不自由展
表現の不自由展のどこが芸術なのでしょうか?
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あれは芸術と言う名を借りた韓国のプロパガンダでした。 最近になり大阪など各地で不自由展の資金は韓国から出ていることがわかりました。 でもそれより許せないのは、外国からの反日に一部の日本人が相乗りしていること。 津田とか大村知事がそういう人でした。 それが許せないこと。
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- eroero4649
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>反日ヘイトから芸術は生まれそうでしょうか。 ナチスドイツやソ連は「国家推奨の芸術」を積極的に支援しました。そういう芸術ってその体制が崩壊したら実質的に消滅するんですよね。 そしてロックンロールに代表されるように、新しい時代を創り出す芸術というのは得てして保守的な人たちの眉をひそめさせるところから出てくるものです。そもそも天才芸術家って反体制の人が多いですよ。ジョン・レノンみたいにね。個人的には体制におもねってる時点でもうアートじゃないと思いますけどね。
お礼
マスコミ、政治、教育、日本は左傾化が完了したので、反体制派といえば、ごく少数しか残っていない右翼でしょうか? 例えば、なんとかおばさん像の顔にみんなでパンケーキをバンバン投げつけたら、新たなアートが生まれるのではないでしょうか!
- yaasan
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>芸術だと言えば、万引きでもなんでも犯罪してよろしいのでしょうか? 何を思ってこの一文を書かれたのか、理解できませんが、今まで私の書いた文章を何もまともに読もうと思わず、自身の愚痴だけをまき散らしているのでしょうか。とても悲しいです。おそらく考え方の方向性はそんなに変わらないと思うのに、こういう曲解した上に必要のない文章を差し込んでくることに非常な悲しみを覚えます。誰が何をしてもいいという話を書きましたか?芸術だといえば、何事も許されるものだと誰が書きましたか? こういう考えを平気で書き込まれるから、「表現の不自由展」などが開催されても反対する人間だって、根っこは同じ、自分が認めないものに対しては理由も理屈も飛び越えて、批判すると思われれるのです。 相手に屁理屈を与えてどうするのですか。粛々とあんなのはおかしいから、完全無視ね、でいかないと相手の考え方と同じようなものですよ。 税金の使用は愛知県が主催で開催された「あいちトリエンナーレ」内での出品だったので、その際に補助金が使われた、という経緯だけで、その後の展示は税金なんて使われていないように思いますけどね。そして、税金使われるのは問題だと中止に追い込まれたじゃないですか。バカ知事ではないと開催なんてしないと思いますが。 表現の不自由展は税金使って全国転々と開催しているって解る資料でもありますか? 味噌も糞もごっちゃにして、ただ不愉快という気持ちだけ先行して、不満をぶつけるのは身内でやってもらって、一応公共のサイト内では、建設的な意見のやり取りをしたいものです。
お礼
私は自分の愚痴だけを言っているわけではありません。 表現の不自由展は反日を掲げる展示物のみを扱った反日ヘイトであり芸術性は皆無だと思っておりましたが、様々な方の回答の通り、考えを改め、どうやら芸術性を認めざるを得ないようです。そしてあなたがおっしゃる通り、対価を払う事で芸術となるというのは、正しい意見であり、否定する方法が見つかりません。 私は芸術としては認めたくないので、対価を払いたくありません。補助金といえば聞こえはいいものの、それは本当に国民から集めた税金では無いかどうか疑問です。 ならば、表現の不自由展に補助金を使用する事に反対する団体に加勢したいと思いました。 法に触れれば犯罪ではあるが、表現の不自由展で行われている名誉毀損や誹謗中傷、肖像権侵害などは、取り締まりされず容認されている事から、芸術であれば、法に触れても良いのでは無いでしょうか。 表現の不自由展が表現の自由を主張して頂けた事で、名誉毀損や誹謗中傷、ヘイトスピーチを正当化できそうです。 私は真面目に議論しておりますが、不快感を与えてしまいましたので、これ以上不快感を与えないようお礼は以上とさせて頂きます。素晴らしいご回答ありがとうございました。
- eroero4649
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「作者は芸術のつもりで作ったけれど、世間が芸術だと理解してくれなくて出展を拒まれたものを集めた展覧会」ですよ。 その出展物の中には、横尾忠則さんの作品もあります。電車のラッピングのデザインの依頼を受けたのですが、作ったものを見せたら「JR福知山線事故を連想させる」という理由で採用を拒否されたそうです。 もう既にアートというのはおそよ思いつくものはすべて誰かがやっているので、そういう中で「まだ誰もやっていない新しい表現」を模索しようとすると往々にして「不適切な表現」になってしまうのです。 けれどそれは時代によって「不適切な表現」は変わりますので、発表当初は酷評されたけれど後に大芸術作品になったなんてのは山のようにあります。その典型がゴヤによる「裸のマハ」ですね。当時は裸婦を描くことは現代だと女性器を詳細かつ克明に描いたものを「芸術です」といって発表するくらいの信じられないほど下品な行為でした。当時のヨーロッパでは服を着て風呂に入るのが常識でしたからね。裸の女性を描くことは、女性器を広げて見せるくらいの「ただの猥褻」だったのです。だからそれを隠すための「着衣のマハ」を描かないといけませんでした。18世紀に「表現の不自由展」があったら出展されていたでしょうね。
お礼
反日ヘイトから芸術は生まれそうでしょうか。終戦から半世紀以上が過ぎてもこんな状況ではこの先、数百年経っても芸術としては認められないのではないでしょうか。 今回の展示物を燃えるゴミとして廃棄処分したら、また新たな芸術の発想がうまれてくるのではないでしょうか。 街宣車や抗議演説の大和魂こそが日本の芸術なのではないかと思います。 二度と表現の不自由展が開催できないよう芸術的な迷惑防止条例が制定される事を期待しています。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2731/12290)
>そこら辺に歩いている反日左翼を模したサンドバッグを用意して、入れ歯が飛ぶまでぶん殴ったらどうでしょう。 >これって誹謗中傷や名誉毀損ではなく、芸術と言えるのでしょうか。 >肖像画を燃やして踏んづけるのが不自由展なので、展示の趣旨としては相違無いですよね。 それも芸術の一つだと自分は思いますよ。だけど、回答に書いたとおり、それをどう捉えるかは各個人の自由かと思います。誹謗中傷だという声が強ければ、そうなるし、嫌だ嫌いということが強ければ、そうなるかと思います。法律に引っかかれば、犯罪ですね。 そして、その行動に対して対価を払うような人が出るとひとつの作品になるかと思います。
お礼
誹謗中傷、名誉毀損、肖像権侵害、いくつかの法に抵触してますので、表現の不自由展は芸術ではなく、間違えなく犯罪ですね。 芸術だと言えば、万引きでもなんでも犯罪してよろしいのでしょうか? 犯罪も表現の自由なんですよね? 入場者の対価だけでなく、多額の税金が投入されて開催されているようです。 一般市民としてはこんなものの為に税金が投入されているのは心外なので、税金を払わなくてもよろしいでしょうか。 脱税と言われても、犯罪行為に税金を投入している行政が悪いと思います。 芸術でもなんでもない犯罪を助長する粗大ごみに対価を払いたくありません。
- HAL2(@HALTWO)
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私は「表現の不自由展」が大嫌いですが(^^;)、芸術って大多数の人には「理解できない、何処が良いのだろう?」と思わせるものだろうと思っています。 誰が見ても「美しい」とか「心地好い」等と感じさせるものは最早「Art (芸術)」と言うよりも「容認される表現・手段・記録・媒体……(Media)」だろうと思っています。 感動するか否かが芸術か否かを分けるものではなく「感動しようと嫌悪しようとよく解らないのだけれど、作った本人 (或いは売り出している人々) は悦に入っている」というのが私にとっての芸術の定義です(^^;)。 芸術作品として知らぬ人はいないであろう Pablo Picasso の GUERNICA なんて私には「何? こんな気持ち悪い子供だましみたいな絵!」でしかなく、現代美術作品には「えっ、これって幼児が壁に絵の具ブチ捲いたのとどう違うの?」ってのが結構あります……因みに Pablo Picasso がまだ写実主義だった初期の頃の作品って「うわぁ上手いなぁ、奥さん、美しく描いてるよなぁ、やっぱり腕は確かなんだなぁ」と思ったものですが……。 本人だけが悦に入っているようでは高名な芸術作品にはなり得ないのですが、それを本人或いは後世の商人達が理論武装して反論をねじ伏せてしまうと歴史に残る芸術になります。 今 Olympic の Gossip でちょっと話題になっている「4 分 33 秒 (Piano の前に 4 分 33 秒座っているだけ)」という音楽作品を作った John M Cage Jr という米国の作曲家は、別々の放送を受信している 10 台ぐらい (何台だったか忘れた(^^;)) の Radio を Stage に設置して「これが音楽芸術だっ!」と聴衆に聴かせるような音楽芸術家なのですが、歴史に名を残していますね。 実は私は米 New York 在住時代、John M Cage Jr の講演を聞きに New York の大学会場 (Hofstra Univ' の Wolfgang A Mozart 没年 200 周年祭) に行った事があるのですが、大学の音楽教授達が仕掛ける反論を悉く跳ね返して説き伏せる理論武装力には感銘を受けてしまいました(笑)。……勿論「4 分 33 秒」も演奏 (?) してくれたのですが、私はずっと苦笑いしながら頭を振っていましたね(^^;)。 「表現の不自由展」……不愉快で大嫌いですが、芸術か? と問われれば「芸術なんでしょうねぇ(^^;)」としか言えません。
お礼
変なおばさんの像があったと思いますが、顔面にパンケーキを投げつけて、そのクリームの崩れ具合を鑑賞するのも芸術のひとつではないでしょうか? それから街宣車で街中を引きずり回して、ボロボロにした方が芸術的ではないでしょうか?
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2731/12290)
芸術はありとあらゆるものであると認識し直されるのがいいと思います。例えば、お年寄りが喋ろうとしたら入れ歯が落っこちた、も芸術の一つと思うのが一番自然になるかと思います。 そして、そういう一つの芸術に対して、お金を払う行為があった時点で作品となります。ピカソの絵が凄い、と言われても高い値段が付いているから、そうなのかな、と思うのが多くの人の感想になるでしょう。芸術の深みは解る人にしか解らないのです。 ですから、表現の不自由展自体は芸術の一つで間違いないと思います。ただし、理解できない、というのも真実ですし、不快だと思うのも真実です。不愉快に思う人ができる行為はそのためにお金を使わないことです。作品に昇華させないことで世に出回る機会も奪われていくでしょう。見ないなら、何も感じないし、芸術という認定も必要ありません。 今、大阪で開催されているんでしたっけ。開催を拒否できなかったのは表現の自由を守るために、内容を問わず、開催することは否定できないからだと思います。そこで、私も含めて不快に思う人がやるべき行為は徹底的な無視であると思います。赤字でも嫌がらせで開催するような邪な考えで開催を続けていたとしても資金が枯渇すれば、開催は無理になります。興味本位であっても絶対に見に行かない、この行動が大事だと思います。
お礼
そこら辺に歩いている反日左翼を模したサンドバッグを用意して、入れ歯が飛ぶまでぶん殴ったらどうでしょう。 これって誹謗中傷や名誉毀損ではなく、芸術と言えるのでしょうか。 肖像画を燃やして踏んづけるのが不自由展なので、展示の趣旨としては相違無いですよね。
お礼
いじめ問題の隠蔽やヘイト問題が社会問題と表面上していく現代社会において、表現の不自由展で行われている誹謗中傷、名誉毀損、肖像権侵害などのヘイト行為が芸術として讃美される事はあってはならない事だと思います。 ご回答ありがとうございました。