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表現の自由の誤用

憲法で定義されている表現の自由は、民主主義を犯すことを禁じること。 すなわち、国が人民を支配することを禁じているものだと。 ところが、実際の表現の自由は、何でもアリとなっている。 おかしいと、思います。 上記の考え方の、どこが、おかしいと思われますか。

みんなの回答

  • deltaufp
  • ベストアンサー率39% (136/341)
回答No.8

No.6です。お礼ありがとうございました。 なかなか長文で読むのが大変でしたが、要は質問者様は表現の自由とは体制批判をする権利であるというお考えなのでしょうか? 「圧政する体制を批判する。これを保証するために、盛り込んだと解釈するのが妥当だと、思われます。」 この部分からそう読み取れたのですが… その前提で述べさせていただきます。 表現の自由の由来はその時代の人達にしかわかりません。何のためにそれを保障しようと思い立ったか、どこまでを想定していたのか。 ですか、大事なことは昔のことではなく、今はどうかではないのですか? 例えば、日本国憲法の制定当初は想定外だったプライバシー権。当然憲法にはそのことが書いてありませんが、プライバシー権を幸福追求権の一部だと「解釈」することで対応しています。この「解釈」というものが最終的には答えになるのではないかと… もしかすると、質問者様のおっしゃる様に表現の自由とは憲法制定当初は圧政を批判する権利かもしれません。しかし、時代と共に憲法の解釈は変わります。元々日本国憲法の表現には曖昧な点も多々あり、時代に合わせるのが難しくなっているように思います。例えば、戦争放棄の中に自衛戦争は含まれるのか含まれないのか等です。しかし、政府は憲法解釈を変えることでそれらに対応しています。 そして、表現の自由の日本政府の解釈はおそらく、体制批判に関わらず、個人が自己の意思を表現すること全般の権利でしょう。事実、国会の法案審議などもその解釈の下に行われ、表現の自由の侵害を理由に廃案となったものも多いはずです。 よって、今日の表現の自由とは個人の意思表現の自由であると僕は思います。だからと言って何をしても良いということではなく、その点は憲法第12条の通り、公共の福祉のためにそれらの自由を利用する責任を負うものであると考えます。 結局は、解釈の仕方によるものなのかと…

dropyork
質問者

お礼

解釈自由。 〇曖昧な点も多々あり、時代に合わせるのが難しくなっているように思います。 人間が作成したものは、完全ではない。よって、憲法には、不備がある。事実と合致しております。 憲法に不備がある。 個々人の自由性や商業活動が更新・刷新され、新しいルール作りの要求が生まれています。事実と合致しております。 さて、条文に個々の人が内在しているものを、設けるでしょうか。例えば、昔の社会だと、「他人のことは、あれこれ詮索してはいけない」と。もちろん例外がありました。どの国にも、集団にもはずれ者がいるものです。対比上、人間サイドに不備が、ほころびが出てきたのでしょうか。それとも。 個人も企業も。 ここで明言しますが、活動や知的によって得られる自由はなく、自己を律することにおいて自由を見出すのだと。 これも、解釈自由の俎上に乗るのだと、思われます。 この観点を得るのは、難解です。 返答してくださって、ありがとう。解釈自由の言葉をありがとう。 幸、ありますように。さようなら。

  • jess8255
  • ベストアンサー率45% (1084/2359)
回答No.7

ここは質問と回答をするサイトであり、議論をする場所ではないんだ。議論をしたければ、他でどうぞ。

dropyork
質問者

お礼

あなたは、文章を読めないのですか。 私は議論を求めているのではなく、私の解釈間違いの指摘を求めているのです。 質問が有って回答がある。回答者の指摘を受けていますが、私の解釈を突き付けて、 矛盾探しをお願いしているのです。 私は、幼少では、ありません。回答者の指摘を無条件に、そのまま受け入れられるとお思いですか。 初めから、整合性のある回答ならばと、思うのですが。 あなたは、あなたのパターン認識を用いて、自己の思考をおろそかにされていると、思われます。 損をされていると、思われます。

  • deltaufp
  • ベストアンサー率39% (136/341)
回答No.6

なんか僕の思うところの表現の自由と全くイメージが違うのですが… 憲法は政府が国民を拘束する法律に対するもので、国民が政府を拘束するためのものです。国家権力を制限し、国民の利益を確保するものが憲法だと解釈しています。 表現の自由とは、国民の言論、創作活動、その他自己の意志を表現する事に対し政府が国家権力で規制を加える事を禁止するものであると思います。質問者様のおっしゃる「民主主義を犯すことを禁じる」という部分が意味不明です。 「民主主義(みんしゅしゅぎ、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。」(Wikipediaより) とあり、民主主義は国家運営の手法です。なので、表現の自由を語る上ではあまり関係ないものと思います。民主的国家として自由が保証されているということと民主主義であるということは違うのではないかと… 極端はなし、独裁政権の国家でも良心ある主導者が表現の自由をしっかりと保証すれば、表現の自由が確保されているといえるでしょう。 すなわち、国が人民を支配することを禁じているものだと。 >ここも仰る意味がわかりません。日本国民は日本国政府によって管理されています。言い換えれば、政府の支配下にあります。仮に、支配を禁じた場合、政府が存在できません。よって日本は無政府状態。というより、政府がないのに憲法だけがあるという無茶苦茶な状態になると思いますが?国家として成り立っていない。というか国家が存在できない???

dropyork
質問者

お礼

○民主主義は国家運営の手法です。 旧約聖書を読むと、言ってもクリスチャンではありませんが、城塞都市と思えるような記述があります。城塞都市と城塞都市が争い、併呑する。 膨れ上がり、集団を束ねる機構、組織が必然となるでしょう。有史以来、様様な体制が連綿と成り立っていた以上、国家運営の手法として、 民主主義は、その一形態との指摘は、事実に合致しています。しかし、反面、常に変化しなかったのは、民衆という存在です。例えば、独裁者の現出を たどれば、民衆にあります。王朝制でも、原初は民衆です。旧態の運営手法から、民衆が国家運営を行う、政治形態を選択する。これが民主主義だと、思われるのです。 ○民主的国家として自由が保証されているということと民主主義であるということは違うのではないかと… ○表現の自由を語る上ではあまり関係ないものと思います。 中世のフランスや、米国で、例えば、変顔を禁ずると。違反すると処罰。民衆は、変顔をしたくとも出来なかった。近代になって、法律を創案する際に、過去の苦い経験を想起して、表現の自由を法律に盛り込んだと。変顔もしたい放題自由であると。こんなことがあり得るでしょうか。 圧政する体制を批判する。これを保証するために、盛り込んだと解釈するのが妥当だと、思われます。 ○独裁政権の国家でも良心ある主導者が表現の自由をしっかりと保証すれば、表現の自由が確保されているといえるでしょう。 同意です。 ○国家が存在できない??? 日本の場合は、立憲君主制から、GHQの手を経て、民主主義国家と変貌されました。定義上、議会制民主主義を採り、民主主義を施行する手法です。 管理ではなく、民衆が仮想的に議会を運営しているのです。とは言っても、日本国民は、国家の枠組みにはまっているという認識にいるのではないかと、思われます。日本は、民主主義を与えられた。人によっては理解していない。 思うのですが、人文科学と、歴史哲学を習得されたら、それに同意できなくとも、興味深いセンスを得られるのではないかと思われます。 ○国民が政府を拘束するためのものです。国家権力を制限し、国民の利益を確保するものが憲法だと解釈しています。 ○日本国民は日本国政府によって管理されています。言い換えれば、政府の支配下にあります。 相克。あるいは、現状が、憲法違反の体制となっています。こう言っておられます。

  • jess8255
  • ベストアンサー率45% (1084/2359)
回答No.5

あなたの投稿文にはいくつも論理的、かつ合理的でないところがある。 まず、 >憲法で定義されている表現の自由は、民主主義を犯すことを禁じること。 この前提らしき文が誤りである。 1. 憲法では表現の自由を「定義」などしていない。定義の意味を再確認されよ。 2. 憲法の保障する表現の自由は、民主主義を否定する表現の自由も認めている。 あなたの節の大前提がまったく間違いなので、当然だが後半の結論も間違っている訳である。

dropyork
質問者

お礼

1. 憲法では表現の自由を「定義」などしていない。定義の意味を再確認されよ。 集会、結社及び言論、出版その他一切という、文言で規定されています。 2. 憲法の保障する表現の自由は、民主主義を否定する表現の自由も認めている。 民主主義というものは、主権在民ではありませんか。だから、どのようなイデオロギーを取ろうとも、主権在民なのです。 現憲法が廃止されない限り、主権在民であり、現憲法が廃止されることを同意したならば、永続性は判別できませんが主権在民です。 異論をお聞かせください。 現憲法が民主主義を謳っていないとおっしゃるでしょうか。そうならば、私は会話をあきらめるしかないでしょう。 私の無知なのかわかりかねるので困るのですが、あなたは、法の精神を理解されているのでしょうか。 お聞かせくださいませんか。

回答No.3

前提条件の誤認、論理破綻。

dropyork
質問者

お礼

論理破綻とは、興味深い指摘です。 お手数でなければ、詳細をお願いします。

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.2

日本国憲法 第21条 1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 これによると、どこにも民主主義を犯すことを禁じるとは書いていません。 別に主義なんてどうでも良いのです。 それは第19条 思想・良心の自由で補償されています。

dropyork
質問者

お礼

法律が生成されるのは、由来があるものです。 否定されるのですか。 思想を、行いを拘束することを禁ず。何の?

回答No.1

どこもおかしくありません。 マスメディアが第四の権力と呼ばれながら、この”権力”に対するけん制・規制が実現できていないのは、人類社会が未だ未熟であることの証左です。 解決策として、大規模マスメディア規制法を提案しております。 これは大規模小売店規制法によって零細・弱小小売業の存続を保護するのと同様の趣旨で、小規模マスメディア事業者(=ミニコミ)を擁護・育成する事によってマスメディア業界を健全化させ、また独占・寡占による横暴を阻止することが目的です。 売上高1億円以上の大規模マスメディア事業者には、以下の義務を課す。 1.国益擁護の義務 2.両論併記の義務 3.個人情報保護の義務 4.収益、および収益源開示の義務 5.マスメディア事業に於ける子会社支配の禁止 一方、売上高年間1億円未満のメディアには上記の規制を課すことなく、言いたい放題を言ってもらって、国家権力や巨大資本に対して社会の木鐸としての役割を担ってもらいます。