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童話・昔話などで末子ばかりが活躍するのは

童話・昔話で兄弟があった場合、その末子が知恵を働かせたり、勇気を見せたりして活躍するものが目立ちます。 これは古今東西を通じて共通のように思えます。 日本の場合、大国主命の物語が典型です。 この理由は何なのでしょうか? 兄や姉が活躍すると都合が悪いのでしょうか? もっとも幼いものが活躍することが、読み手にとっては痛快なのでしょうか? 古代の末子相続の習慣なども関係しているのでしょうか。

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回答No.3

昔話は民俗学や歴史学の一分野として研究されているばかりでなく、精神分析的な解釈もなされています。 とくにユングは、個人の無意識のさらに下層に集合的無意識があるとします。この集合的無意識というのは、個人に生来的に備わったものであるだけでなく、人類に普遍的なものであると考えました。 たとえばわたしたちが見る夢や、神話や民話は世界共通のイメージがあります。 集合的無意識はそのままの形で意識されるものではないけれど、このイメージを通して、間接的に理解することができる、というものです。 そのようなユング派の解釈として、河合隼雄の『昔話の深層 ―ユング心理学とグリム童話』(講談社α文庫)を紹介したいと思います。 末子成功譚の多くは、ふたりでも四人でもなく、三人兄弟(もしくは姉妹)です。 まず本書では、三人兄弟ばかりでなく、三という数字が童話や昔話のなかで圧倒的に多い数字である、と指摘されます(二という数字の意味に関しては、別途考察がなされていますがここでは触れません)。 「ユングは夢内容の分析を通じて、無意識から産出される象徴としては、むしろ四が完全統一を示すことが多く、三はそれに到る前の力動的な状態を反映していると主張した」 たとえばグリムの「ものぐさ三人むすこ」は、死の床についた王と、三人のむすこの物語です。 この状況は、これまでの体制が危機に瀕し、つぎの王位を誰かが獲得する前の「力動的な状況」であると考えられます。 「意識が無意識と出会って新しい創造を成し遂げようとする自己実現への高い準備状態を描いているものということができる」 一番目、二番目の息子は失敗します。 三番目の息子は、愚か者としてだれにも期待されていない。 ところが、この末っ子が見事成功を収める。 「もっとも劣等なものが最高のものにつながるという逆説は、昔話のお得意である。これは、体制の改変を行いうるものは、その体制の目から見るかぎり愚かものに見えるということを示している。あるいは、これを個人のこととして見れば、自分にとって不得意の、劣等な機能が、自分の人格を変えてゆくためにもっとも役立つことを示しているとも考えられる」 末子成功譚が多く見られる根拠に、このような考え方もあるということを簡単に紹介しました。 興味がおありでしたら、ご一読をお勧めします。

yoshinobu_09
質問者

お礼

親切な解説ありがとうございます。 神話や民話は世界共通のイメージがあり、集合的無意識の産物であることは間違いない事実だと思いました。 >自分にとって不得意の、劣等な機能が、自分の人格を変えてゆくためにもっとも役立つことを示しているとも考えられる  これは注目に値します。こんな考え方もあったのですね。とても参考になりました。  数値に関する考察はあまり理解できませんでした。本を購入して読んでみます。

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  • neterukun
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回答No.4

ご機嫌いかがですか?neterukunです 長子が成功するなら2番目3番目は登場する意味がない感じもします。少ない登場人物のほうがわかりやすいし書きやすいんだから。 末っ子というのは同じように成長していっても 兄弟との比較となると体もそうですし、普通は一番 冷遇を受けてる(おさがりとかね)から 一番辛抱強いってイメージもあるんじゃないでしょうか? 私が一番嫌いなのは時代劇に出てくる兄と妹のパターンで たいていバカな兄に妹は苦労させられられるというパターンです。(またかい!とおもいます)(笑)

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 >長子が成功するなら2番目3番目は登場する意味がない感じもします。  おっしゃるとおりです。  一番目、二番目が失敗して試練の難しさを示しておく必要があるのでしょう。  ふだん冷遇されている人物が成功を勝ち取るストーリーは読者に爽快感をもたらすのかもしれません。 「時代劇に出てくる兄と妹のパターン」は気づきませんでした。今度注意してみてみます。

  • ruru-po2
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回答No.2

末子成功型と呼ばれるものですね。 サイトにあるとおり、末子神聖説、末子相続反映説、文学的伝承技巧説などありますが、個人的には同情的補償説を推しています。 長子が得をする世相において、末子をせめて物語の中だけでも幸せにしてあげよう、という流れがあっても不思議ではないですからね。 また、末子は長子の失敗・成功を見てから行動を起こす例が多いので、自然と成功する例が多くなるとも言われています。

参考URL:
http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/type/massi-seikou.htm
yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 4つの説の中では、古今東西に分布するところから文学的伝承技巧説に分があるかなとおもいました。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

末子相続は古代~中世の日本でも盛んに行われていたようです。大陸ではモンゴルの風習が有名です。古代中国では長子相続が確立されていたようです。日本で長子相続が普及したのは江戸時代になってからという説もあります。 想像の域を出ませんが、古代の習俗はその後の制度、価値観の変化などの中で都合の悪いものは伝承されなかったと思います。例えば兄妹婚(近親婚)などは神話の世界だけに残され他は抹殺されたのだと思われます。 長子相続制度が確立された時、制度、習慣としての末子相続に関する話は抹殺され、物語の世界の出来事として かろうじて生き延びることが出来たのでしょう。物語の世界なら誰も文句を言えない、言わないからだと思われます。 モンゴルなど遊牧民世界では、子供は成人すれば独立して家を去ったので老親と最後まで暮らすのは末子となり、末子相続の習慣が生まれたと説明されています。一方、定着農耕民、特に中国のように早くから農業を国の基礎として文化が発達したところでは長子相続が定着し これが後に宗教的に認められたものと思われます。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 末子相続が行われていた国だから、そのことが物語として残ったという説ですね。