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不可算名詞に形容詞がついて可算名詞化する現象
- 不可算名詞に形容詞がついて可算名詞化する現象について説明します。
- 形容詞が付加されると数えられるものと見なされる不可算名詞について考察します。
- 形容詞が主観的判断と関わる場合に不可算名詞が可算名詞と見なされる可能性を提案します。
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「質問者からの補足」を拝見しました。 まずもって、膨大な検索結果をご教示くださり、ありがとうございました。 @googleの検索では、An acid rain is falling. 37500件 Acid rain is falling. 682000件 Acid rain is falling.にはAn acid rain is falling.が含まれるので、実質的にφAcid rain is falling, は644500件です。 同様に、An acid rain began to fall. 8件 φAcid rain began to fall. は1722件です。 ⇒この数値やネイティブさんの言われることなどを要約し、私の主観を付け加えさせていただけば、Standard Englishとしては、通常An acid rainは用いられない。しかし、「主観的なIdiolect としては、Acid rainと並んでAn acid rainを用いることもある」、と(暫定的に)結論してもいいかと思います。 @a useful informationも使えないと複数のネイティブに言われてきました。英語関連の海外の文法サイトにはa useful information VS useful informationといったようなタイトルで議論されています。形容詞がついてもaはつかないとネイティブ達が言っています。mass nounだからだそうです。ということは形容詞がついてもmassである性質は変わらないことになります。 私自身は、acid rainもuseful informationもどちらも一つの特定の種類・様相を表すものなので個別化されるはずだと思うのですが、現実に可算扱いされていないのでどうすることもできません。現実に対応するしかないと思います。 ⇒仰せのご指摘、全面的に了解いたしました。とりわけ、a useful informationに関する私の前言を取り消させていただきます。どうも失礼しました。そして、どうもありがとうございました。 ただ、今後についてですが、言語変化の観点から見て、a useful information VS useful information論は、(根拠もない「予感+希望的観測」で恐縮ですが)a useful informationも是認される方向へ進むかも知れない、という気がしております。 @an acid rainとa useful informationについてのNakayさんの見解を再確認してスレッドを締めたいと思います。 ⇒以上、はなはだ簡単ですが、ご返信申しあげます。 お返事遅れましたこと、申し訳ありませんでした。「臨機応変」というのが効かない性分のため、頭が何かに「占領される」と、なかなかほかのことに意識が回らず、その間は懸案の問題があっても、完全に忘れてしまうという「病気」を患っております!? すみませんでした、どうかご寛恕のほどを。これに懲りず、今後ともよろしくお願いいたします。
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- Nakay702
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前便で2か所誤植がありましたので、( )と→を使って、訂正させていただきます。 (その1) それはそれとして、「September rainで、Septemberという性質が話者によって主観的に判断されるとは思えません。French wineも同様です」と仰せですが、2つの事柄が錯綜しているように思います。(議論の順序が逆になりましたが)確かに、(形話者が容詞の→)話者が形容詞の字義それ自体に主観的な色づけをすることはないでしょう。しかし、ここで我々が「話者の主観が関与する」と言うのは、「形容詞+名詞」の全体についての主観的判断を云々しているはずですよね。それゆえにこそ、heavy rainは「(ひどい)どしゃ降り」という主観的・感情的な意味を表していると解釈できるわけでしょう。heavyだけでそういう意味合いがかもし出されるわけではありませんよね。同じ伝で考えれば、September rainやFrench wineから話者の主観的表現が喚起されることもあり得ると言えるでしょう。例えば、「あの忌まわしい(または、あの輝かしい新時代の到来を告げる)7月の雨」とか、「あの芳醇な味わいのフランスワイン」などのように。主観的表現は内包に関わるのでなく、むしろ外延に関わる、とも言えます。言語は一面心理的存在です。「不可算名詞につく形容詞は、《おしなべて》話者の主観的判断と関わることがあり得る」と思います。形容詞それ自体の間で違いがあるとすれば、それは共起の可能性や頻度差くらいでしょう。 (その2) #(「不可算名詞に形容詞がつけられて可算名詞になるかどうかの判定が話者の主観によるものかどうかということ」→)「属性集合が空間としてとらえられ、集合内の一つの性質が空間的なまとまりのあるものとしてとらえられるのかということ」については、属性集合が空間としてとらえられるとする見方も、集合内の一つの性質が空間的なまとまりのあるものとしてとらえられるとする考えも十分納得できます。賛同申しあげます。
お礼
ありがとうございました
補足
再度の回答、超長文の回答を頂き大変感謝しております。誤植の訂正も拝見しました。 ●<では、この部分のfeeders説を逆から言えば、「rainにつける形容詞が、話者の主観的判断と関わるものでなければ、その場合のrainは可算扱いできない」ということでしょうか。そうだとすれば、私の考えは否定的です。そもそも、この2つの事象は本来的に無関係だと思うからです。主観的表現に用いられる形容詞と不可算を可算にする際に用いられる形容詞との間に関係性を語るような有意な相関関係を見出すことができないからです。> についてですが、前々回の私の考えでは、「rainにつける形容詞が、話者の主観的判断と関わるものでなければ、その場合のrainは可算扱いできない」という考えでしたが、この考えが成り立たない例があることに気づいてこの説を前回の返信時に取り下げたつもりです。その例はSeptember rainです。Septemberは主観的判断と関わるものではない(9月を過ぎればSeptember rainではない)にも関わらず、可算・不可算どちらも可能です。 <とは言うものの、今回の議論において除外したSeptember rain (可算・不可算どちらもあります)を考慮の対象に入れると事情が違ってきます。Septemberという性質が話者によって主観的に判断されるとは思えません。後で、考察するFrench wine (可算・不可算どちらもあります)も同様です。属性を表す形容詞が固有名詞である場合は、話者の主観が関与する余地がありません。> というふうに前回の返信で書いたわけですが、その時に、「rainにつける形容詞が、話者の主観的判断と関わるものでなければ、その場合のrainは可算扱いできない」という考えを放棄したと明確に言うべきでした。 <そもそも、この2つの事象は本来的に無関係だと思うからです。主観的表現に用いられる形容詞と不可算を可算にする際に用いられる形容詞との間に関係性を語るような有意な相関関係を見出すことができないからです。>についてですが、私もそう思います。ですから、<もちろん、両者間に直接の因果関係はありません。>と書きました。でも、私の方の言い方が明確さに欠けるものだったかも知れません。ともあれ前回のこの返信では、この件に関するNakayさんのご意見に全面的な賛意を表明したつもりだったのです。 <そうした属性を重視するか、それともrainが本来持つ流動性を重視するか、そこに話者の主観が関与する>ということで、前回の返信時に言おうとしたことは、例えばheavy rainの場合、heavyという形容詞が話者の主観的判断を許容するということではありません。heavyという属性を重視するか、それともrainが本来持つ流動性を重視するか、そこに話者の主観が関与すると言いたかったわけです。 ●<「話者がそうした属性を意識しなければ、属性空間は意味を持たない」というのは、観念論的に過ぎると思います。それは言語の意味場としての構造上そうなっている、ということであり、そしてそれを我々が解釈したに過ぎません。たとえ話者がそうした属性を意識しないとしても、それはせいぜい我々の解釈の手法に影響するだけで、それを飛び越えて言語の意味場の構造に影響を及ぼすことなどあり得ないことだと考えます。> -その通りだと思います。<属性空間は意味を持たない>は言いすぎでしたね。 ●<September rainやFrench wineから話者の主観的表現が喚起されることもあり得ると言えるでしょう。例えば、「あの忌まわしい(または、あの輝かしい新時代の到来を告げる)7月の雨」とか、「あの芳醇な味わいのフランスワイン」などのように。主観的表現は内包に関わるのでなく、むしろ外延に関わる、とも言えます。言語は一面心理的存在です。「不可算名詞につく形容詞は、《おしなべて》話者の主観的判断と関わることがあり得る」と思います。形容詞それ自体の間で違いがあるとすれば、それは共起の可能性や頻度差くらいでしょう。? -実は、そのように考えたこともありました。そう考えることによって、nakayさんのおっしゃるように「不可算名詞につく形容詞は、《おしなべて》話者の主観的判断と関わることがあり得る」と言えるわけですから。そうであるなら、このことは教室で話すことが可能ですからね。 確かに、September rainの場合は(歌のタイトルにもなっていますが)、話者がある日散歩の途中で降ってきた雨に、暑さの和らぎを感じ取り、もうAugust rainではなくSeptember rainなのだと感じることはあると思います。ただし、French wineとかChampagne wineの方はどうなのでしょうか。私には、第一義的に銘柄あるいは生産地情報を与えるものだとしか思えません。でも、バーで出されたワインに舌鼓を打った人が、これは国産ワインではなくFrench wineに違いないと判断することはあると思いますが、主観的判断とはこういう状況をさすのでしょうか。 ●<「ここでは、時にある種の酸性雨が降りますが、南半球ではまた別の種の酸性雨が降ります」というような表現でan acid rainといった表現が可能だと思います。このような主観的な表現は、「化学物質の含有量が測定可能であるか否か」などとも関係ありません。情感的表現は、何も科学的測定数値に基づいてなされるわけではありませんから。> -an acid rainは使えないと複数のネイティブに言われてきました。 googleの検索では、An acid rain is falling. 37500件 Acid rain is falling. 682000件 Acid rain is falling.にはAn acid rain is falling.が含まれるので、実質的にφAcid rain is falling, は644500件です。 同様に、An acid rain began to fall. 8件 φAcid rain began to fall. は1722件です。 a useful informationも使えないと複数のネイティブに言われてきました。英語関連の海外の文法サイトにはa useful information VS useful informationといったようなタイトルで議論されています。形容詞がついてもaはつかないとネイティブ達が言っています。mass nounだからだそうです。ということは形容詞がついてもmassである性質は変わらないことになります。 私自身は、acid rainもuseful informationもどちらも一つの特定の種類・様相を表すものなので個別化されるはずだと思うのですが、現実に可算扱いされていないのでどうすることもできません。現実に対応するしかないと思います。 a piece of useful informationとa glass of waterの数え方については全く同意見です。 <an acid rainが「《一種の》酸性雨」なら、a useful informationは「《一つの》有用な情報」であり、a useless informationはまた別の、「《一つの》無用な情報」である、ということになりますね。つまり、いずれも可算化された例だと思いますが、いかがでしょうか。> -先ほども言いましたが、そう考えたいのはやまやまですが、現実はそうではないようです。私自身は、どのような名詞であっても可算・不可算の両方の意味を持つと思うので、教室でもそう教えたいところなのです。ですからinformationはa piece of をつけることによって数えられると教えているのですが、なぜan informationが駄目なのかの説明は非常に難しいです。あまりにも流動的だからと言ってお茶を濁しています。この問題はさらなる検討が必要だと思います。 以上、Nakayさんのご意見に対してこの点だけ留保をつけさせて頂きます。 <いかなる(不可算)名詞も可算化し得るし、いかなる名詞も主観的表現の修辞法が適用され得る、と言えます。ということは、《「場合によって属性空間ではなく3次元空間での扱いが優先されると考える」というような必要も一切なくなる》と思いますが、いかがでしょうか。> -先ほども言いましたが、この件に関しては問題が残っているように思います。よって要検討課題とさせていただきます。とりあえず、形容詞がつけられた不可算名詞が可算であるか不可算であるかの判断が話者の主観によるところが非常に大きいということと、属性集合をメタファー的に空間と見なすことができることの2点が確認されたことでよしとしようと思います。 今回もありがとうございました。 an acid rainとa useful informationについてのNakayさんの見解を再確認してスレッドを締めたいと思います。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12513)
(その2) @形容詞がついても不定冠詞が常につかない場合があります。例えば、acid rain, caesium-contaminated rain ---は普段の雨とは性質の異なるものなので、それらが降る地域や時間帯をそれ以外の地域や時間帯と区別して不定冠詞をつけることができそうですが、実際には不可算扱いです。ということは、acid, caesium-contaminated が降りざまを表す属性集合に属するものではないためにその集合体から除外される、すなわち属性空間ではなく3次元空間での扱いが優先されると考えるしかなさそうです。同様に、wineの場合、red wine, white wine, rose wine, におけるred, white, rose は内包的なものであって、品質・評価などを表す属性集合には属さないものなので、3次元空間での扱いが優先されると考えるしかありません。/形容詞がついても不定冠詞が常につかない不可算名詞があります。 例えばwaterの場合、pure, clear, dirty, Vichy ---などの属性が考えられますが、それらを付与しても数えられることはありません。同様に、informationの場合usefulとかdetailedとかがついても数えられません。他にfine weather, bad news, heavy traffic ---もそうです。なぜか考えてみました。water / information / weather / news / trafficに共通することは高度の流動性(連続性)及び可変性(変化しやすいこと)です。つまり、これらのものの流動性・可変性が高すぎて、属性集合が属性空間として機能しない、すなわち、これらの不可算名詞を認知する際には3次元空間が優先されるということだと思います。当然のことながら、この時の属性集合は空間性を持たないので、その中の一要素を焦点化しても不定冠詞がつくことはありません。 ⇒「acid rain, caesium-contaminated rain…は、普段の雨とは性質の異なるものなので、それらが降る地域や時間帯をそれ以外の地域や時間帯と区別して不定冠詞をつけることができそうですが、実際には不可算扱いです」とのご説明には驚きました。すでに一部触れましたが、私は、例えば、「ここでは、時にある種の酸性雨が降りますが、南半球ではまた別の種の酸性雨が降ります」というような表現でan acid rainといった表現が可能だと思います。このような主観的な表現は、「化学物質の含有量が測定可能であるか否か」などとも関係ありません。情感的表現は、何も科学的測定数値に基づいてなされるわけではありませんから。 また、「1件の有益な情報」は、正式にはa piece of useful informationかも知れませんけれども、a useful informationと言うことも十分あり得ると思います。上記のan acid rainもさることながら、このa useful informationも、「数えられること」を語ってはいませんか? ところで、伝統文法では、「1件の有益な情報」はa piece of useful informationと言うべし、と言いますね。なぜでしょうか。それは、例えば、a glass of waterのwaterは物質名詞ゆえに直接数えることができないので、それで物質名詞を数える必要がある時は「容器の数で計る」というように言いますね。それと同じように、informationなどの抽象名詞の内容を数える場合も、数的な計測ができないので量的なものとして「切片の個数で」計った、ということに由来するのではないかと思います。ということは、an acid rainが「《一種の》酸性雨」なら、a useful informationは「《一つの》有用な情報」であり、a useless informationはまた別の、「《一つの》無用な情報」である、ということになりますね。つまり、いずれも可算化された例だと思いますが、いかがでしょうか。 @もしかしたら、不可算名詞が可算名詞扱いされない理由として他にも考えられるかもしれません。もっと重要なポイントがあるのかも知れませんが、おそらくそれを探るのは私の仕事ではないと思います。私としては、今回の質問投稿において、最低限として二つのことを明らかにしたいと思っていました。一つは、不可算名詞に形容詞がつけられて可算名詞になるかどうかの判定が話者の主観によるものかどうかということです。もう一つは、属性集合が空間としてとらえられ、集合内の一つの性質が空間的なまとまりのあるものとしてとらえられるのかということでした。ですから、不可算名詞に形容詞がついても数えられることがない(可算性が全く存在しない)ことの考察は完璧なものでなくても構わないと思っています。ご意見を伺いたいと思います。 ⇒#「今回の質問投稿において、最低限として二つのことを明らかにしたいと思っていました。一つは、不可算名詞に形容詞がつけられて可算名詞になるかどうかの判定が話者の主観によるものかどうかということ」については、すでに触れましたように、半分異論があります。不可算名詞を可算名詞化するのは、元になる名詞の意味と不定冠詞の用法の一機能との総合作用によると思います。(ただし、縷々述べましたように、無冠詞で感情的に表現することは、文字通り話者の主観によるものと考えます。) #「不可算名詞に形容詞がつけられて可算名詞になるかどうかの判定が話者の主観によるものかどうかということ」については、属性集合が空間としてとらえられるとする見方も、集合内の一つの性質が空間的なまとまりのあるものとしてとらえられるとする考え も十分納得できます。賛同申しあげます。 *本文中でいろいろ紛糾しました「不可算名詞における可算・不可算の問題」について再考し、まとめておきます。 争点の中核は、 A.不可算名詞に形容詞を付加して可算名詞化すること B.その形容詞が話者の主観的判断と関わるものであること とする時、BがAの基底にあると言えるかどうか、でした。 これに対する私の結論: 基本的にAB間には有意な相関性はないと思います。相関的に生起する可能性・確率に多寡があるという違いはありますが、基本的には《いかなる形容詞も不可算名詞につき得る》、と言えるでしょう。しかも、生起の可能性がいかに低くとも、それは可能性ゼロというのとは大いに異なります。《前者は、「ある」のであり、後者は「ない」のですから。》 補足しておきたいこと: 形容詞+不可算名詞が可算化する機序は、その《「形容詞+不可算名詞」が当該名詞の意味に限定をつけることで、現象的には、名詞の意味の一部を独立させ、aをつけることで切り取られ、独立した意味を一つの単位とみなす可算化が実現する》、ということです。また、形容詞+不可算名詞のうちの形容詞について、《話者はいかなる形容詞も主観的判断を加えて自由に比喩的意味に転化し、主観的な表現にすることができる》と考えます。ゆえに、いかなる(不可算)名詞も可算化し得るし、いかなる名詞も主観的表現の修辞法が適用され得る、と言えます。ということは、《「場合によって属性空間ではなく3次元空間での扱いが優先されると考える」というような必要も一切なくなる》と思いますが、いかがでしょうか。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12513)
「質問者からの補足」ありがとうございました。お返事が遅れてすみません。 字数制限を越えますので、2つに分けて書きます。 (その1) @aのつかないほうを「どしゃ降りの雨」という考えは一つの考えとして非常に有力なものだと思います。aがつかないということはheavy rainを客体的にとらえていない、すなわち概念的にとらえていることになると思います。ということは、話者は対象物に対して何らかのつながりを持っている可能性があります。そのつながりは話者の精神面または情緒面におけるつながりだと思います。 ⇒精神面・情緒面におけるつながりは、いわば「話者の肌に密着したつながり」であって、その際の言表は、話者の特定の感情が込められる主観的表現になるわけですね。 @rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるための条件はいろいろあると思われますが、そうした条件が働くための基本的前提として存在するのが<その形容詞が話者の主観的判断と関わるものであること>ではないかと思います。不可算名詞における可算・不可算の問題の考察を可能にするための土台(platform)のようなものを想定しての発言です。もちろん、両者間に直接の因果関係はありません。とは言うものの、今回の議論において除外したSeptember rain (可算・不可算どちらもあります)を考慮の対象に入れると事情が違ってきます。Septemberという性質が話者によって主観的に判断されるとは思えません。後で、考察するFrench wine (可算・不可算どちらもあります)も同様です。属性を表す形容詞が固有名詞である場合は、話者の主観が関与する余地がありません。 @だとすると、rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるための条件は、その形容詞が(数量を表すようなものではなく)可算性を暗示するような属性(種類や様相や一時性)を表すものであればよいということだと思います。そして、そうした属性を重視するか、それともrainが本来持つ流動性を重視するか、そこに話者の主観が関与すると考えれば論理循環が避けられると思います。この考えがrain以外の不可算名詞にも適用できるか確認したいと思います。可算性を暗示する属性に共通する性質は考察対象の不可算名詞次第で様々だと思われます。rainの場合は様相(降りざま)が問題とされましたが、他の、例えばこれから検討するwineの場合は事情が全く異なります。 ⇒すみません、まだよく分かりません。では、この部分のfeeders説を逆から言えば、「rainにつける形容詞が、話者の主観的判断と関わるものでなければ、その場合のrainは可算扱いできない」ということでしょうか。そうだとすれば、私の考えは否定的です。そもそも、この2つの事象は本来的に無関係だと思うからです。主観的表現に用いられる形容詞と不可算を可算にする際に用いられる形容詞との間に関係性を語るような有意な相関関係を見出すことができないからです。 主観的・比喩的に(A1) green rain「緑の慈雨」と言うことはあっても、葉緑素でも溶け込んだ雨でも降らない限り(A2) a green rain と言うことはないでしょう。(B1) acid rainは普通に用いられても、an acid rainとは通常言いません。けれども、例えば、「昨日、一種の酸性雨/酸性雨のような雨が降った」のつもりで(B2) an acid rainと言うことはあるかも知れませんよね。とはいえ、「形容詞(A1, B1) のgreenやacidが、それぞれ(A2, B2) のgreenやacidの起用を可能にする」などという関連性は全然ないと思います。 @wineを考察対象にする動機は、rainの場合と違って出来事という意味合いが出ないので、時間的にも空間的にもまとまりを見いだすことが困難な例だと思われるからです。wineにつけられる属性を表す形容詞は、nice, tasty, bad, sour, French, Champagne ---などですが、いずれも品質・評価・銘柄などを表すものです。これらの属性集合から一つを取り出す時なぜ一まとまりのものと見なされるのかを考えなければなりませんが、今回、ある仮説を提示します。こういう品質・評価・銘柄などを表す属性だけを集めた集合を一種の(疑似)空間と見なすことが可能だと思います。/nice wineが数えられるのは、niceがwineの品質または評価を表す属性集合の一つとして(そういう属性空間の一部として)、空間的に一つのまとまりを持つものと見なされるからだということになります。/あるいは、品質・評価・特徴・銘柄を表す属性+wineという集合{nice wine, dry wine, tasty wine, bad wine, French wine ---}からnice wineを取り出す時、属性空間の一部として一つのまとまりを持つものと見なされるのではないかと思います。属性空間を背景(地)と見なし、niceまたはnice wineをクローズアップ部分(図)と見なすことができると思うわけです。当然のことですが、話者がそうした属性を意識することがなければ、属性集合-属性空間は意味を持ちません。その場合は、3次元空間における(飲料-流動物としての)把握が優先されるのでnice wineは数えられません。では、rainの場合を再確認します。rainにつけられる属性はheavy, mist, fine, hard, light, gloomy…などですが、これらの集合は属性空間を作ります。属性のうちの一つを取りだすとき、属性空間の一部として一つのまとまりを持つものと見なされると思います。よってaがつきます。話者がそうした属性を意識しなければ、属性空間は意味を持ちません。その場合は、3次元空間における(流動物としての)把握が優先されるのでheavy rainは数えられません。 ⇒「品質・評価・銘柄などを表す属性だけを集めた集合を一種の比喩的空間(または背景)と見なすこと」は多いにあり得ると思います。この件はよく分かります。いわば意味場における仮想空間で、言語のメタファー力ならではの重要な能力の一つかも知れませんね。それにしても、「属性空間」とは実に適切な表現で、いつもながらfeedersさんの独創的な着眼と発想力に敬服申しあげます。ただし、「話者がそうした属性を意識しなければ、属性空間は意味を持たない」というのは、観念論的に過ぎると思います。それは言語の意味場としての構造上そうなっている、ということであり、そしてそれを我々が解釈したに過ぎません。たとえ話者がそうした属性を意識しないとしても、それはせいぜい我々の解釈の手法に影響するだけで、それを飛び越えて言語の意味場の構造に影響を及ぼすことなどあり得ないことだと考えます。 それはそれとして、「September rainで、Septemberという性質が話者によって主観的に判断されるとは思えません。French wineも同様です」と仰せですが、2つの事柄が錯綜しているように思います。(議論の順序が逆になりましたが)確かに、形話者が容詞の字義それ自体に主観的な色づけをすることはないでしょう。しかし、ここで我々が「話者の主観が関与する」と言うのは、「形容詞+名詞」の全体についての主観的判断を云々しているはずですよね。それゆえにこそ、heavy rainは「(ひどい)どしゃ降り」という主観的・感情的な意味を表していると解釈できるわけでしょう。heavyだけでそういう意味合いがかもし出されるわけではありませんよね。同じ伝で考えれば、September rainやFrench wineから話者の主観的表現が喚起されることもあり得ると言えるでしょう。例えば、「あの忌まわしい(または、あの輝かしい新時代の到来を告げる)7月の雨」とか、「あの芳醇な味わいのフランスワイン」などのように。主観的表現は内包に関わるのでなく、むしろ外延に関わる、とも言えます。言語は一面心理的存在です。「不可算名詞につく形容詞は、《おしなべて》話者の主観的判断と関わることがあり得る」と思います。形容詞それ自体の間で違いがあるとすれば、それは共起の可能性や頻度差くらいでしょう。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
前回の回答で例文には脈絡がないと書きましたが、実際の会話で脈絡なく A heavy rain began to fall. だけを喋って、それで会話が終了することはあり得ません。つまり、出会って挨拶も何もなく、最近の話題に触れることもなく、話し手が A heavy rain began to fall. だけを喋って、聞き手が何も返事をすることもなく、挨拶もせずに別れてしまうということが、実際にはあり得ないと指摘しているのです。辞書や文法書には載っていそうな例文ではありますが、実際には上のような状況はあり得ないのです。 短くても会話として成立していれば「いつ降った雨のことを言っているのか」が両者の間で了解ができています。そして「その時の雨が激しかった」と展開します。例文ではその点が全く不明なのです。 rain は基本的には無冠詞で使います。しかし形容詞(例えば heavy)が着くと不定冠詞 a を伴うことがあり、雨が降り出して、やむまでの「1回の降雨」「聞き手の印象として短時間の雨」というニュアンスになります。 >不定冠詞がつくことは個別のものであることの表明なので、 とありますが、質問文の中の a heavy rain は個別の大雨ではなく、数ある大雨のうちの一例に過ぎません。 the heavy rain とすれば ①前後の脈絡なしだと、「人類創生以来、唯一の激しい雨(ノアの方舟のような)」となり、現実的ではありません。 ②実際の会話の流れの中で、「雨(rain)」という単語が使われていて、「いつの雨のことなのか」が了解できた時点で、「その時の大雨のせいで…、(The heavy rain ...) 」と繋がる可能性があり、こちらの方が現実的です。
補足
再度の回答ありがとうございました。 <前回の回答で例文には脈絡がないと書きましたが、実際の会話で脈絡なく A heavy rain began to fall. だけを喋って、それで会話が終了することはあり得ません。つまり、出会って挨拶も何もなく、最近の話題に触れることもなく、話し手が A heavy rain began to fall. だけを喋って、聞き手が何も返事をすることもなく、挨拶もせずに別れてしまうということが、実際にはあり得ないと指摘しているのです。辞書や文法書には載っていそうな例文ではありますが、実際には上のような状況はあり得ないのです。 短くても会話として成立していれば「いつ降った雨のことを言っているのか」が両者の間で了解ができています。そして「その時の雨が激しかった」と展開します。例文ではその点が全く不明なのです。> -もっともなご意見だと思います。ただ、今回は単純に分析の対象として扱って頂こうと思ったので、前後関係を付与しませんでした。それに、A heavy rain began to fall. が正しくなくて、Heavy rain began to fall. が正しいと見なされるような前後関係を作る自信がありませんでしたから、そうしませんでした。逆に、Heavy rain began to fall. が正しくなくて、A heavy rain began to fall. が正しいとい見なされるような前後関係を作る自信もありませんでした。 というのは、無冠詞か不定冠詞かという選択においては、常に話者の判断が優先されるからです。具体的に言うと、流動体としての雨を意識させるような前後関係を作っても、話者がそういうふうに意識しなければ、すなわち一回の降雨と意識すればA heavy rain を使うことになります。逆のことも言えます。どのような前後関係を付加しようとも、所詮は話者の主観で決まることです。 よって今回の質問に関して言うと、前後関係を確定させることについては意味がないと考えました。もう少し私の質問をよく読んでから回答して頂けるとありがたいです。 <rain は基本的には無冠詞で使います。しかし形容詞(例えば heavy)が着くと不定冠詞 a を伴うことがあり、雨が降り出して、やむまでの「1回の降雨」「聞き手の印象として短時間の雨」というニュアンスになります。> -その通りです。私もそのように書いたつもりです。 <the heavy rain とすれば ①前後の脈絡なしだと、「人類創生以来、唯一の激しい雨(ノアの方舟のような)」となり、現実的ではありません。 ②実際の会話の流れの中で、「雨(rain)」という単語が使われていて、「いつの雨のことなのか」が了解できた時点で、「その時の大雨のせいで…、(The heavy rain ...) 」と繋がる可能性があり、こちらの方が現実的です。> -今回の質問の趣旨がおわかりになっておられないようです。定冠詞の使い方は私の質問と無関係です。①は英語として存在しないと思います。②はたしかにそうでしょうが、こういうケースを忘れていませんか。Waking in the rain always makes me goomy. 回答は私の質問と関係のあることに絞ってください。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
Heavy rain began to fall まずはこの文からですが、前後の脈絡がなく一文だけを抜き出してありますが、この時の過去形は激しい雨が「いつ」降ったのか、必ずこの文以外で明らかになっているはずです。辞書の例文では時を表す言葉が省略されてることが多いのですが、それが実際の場面でそのまま使われるという訳ではありません。激しい雨はいつでも、どこでも降る可能性はありますが、この例文では「特定の一回きりの雨」(例えば昨日、大阪で降った雨)のことを表します。だから文頭に A (a) が必要なのです。
補足
---回答ありがとうございました。 ご意見によれば、Heavy rain began to fall. は「特定の一回きりの雨」を表すので、文頭に A (a) が必要とのことですが、そこから帰結することはHeavy rain began to fall. が誤りの文だということですね。googleで検索すると、Heavy rain began to fall. 126000件、A heavy rain began to fall. 72800件です。126000件の中にはA heavy rain began to fall. 72800件も含まれるので、φHeavy rain began to fall. は72800件ということになります。この事実をいかに説明なされますか。 また、私がこれまでにこの問題で問い合わせたネイティブは両方を認めることが多かったですが、A heavy rain began to fall. を認めなかった人も結構いました。 私の投稿文をお読み頂ければわかると思いますが、判断は話者の主観にゆだねられはずです。例えば、Yesterday heavy rain began to fall in Osaka. は何の問題もなく承認されると思います。話者がheavy rainを昨日、大阪で降った特定の雨ととらえればaがつくでしょうし、そうした意識がなければ無冠詞です。 <「特定の一回きりの雨」(例えば昨日、大阪で降った雨)のことを表します。だから文頭に A (a) が必要なのです。>ではなくて、<「特定の一回きりの雨」(例えば昨日、大阪で降った雨)を表現したいと話者が思う時、話者はA (a) をつける。>と言うべきではありませんか。
- Nakay702
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「不可算名詞に形容詞がついて可算名詞化する現象」について、 以下のとおりお答えします。 @数えられないものなのに形容詞がつくと数えられるものと見なされることがあります。例えば、 a heavy rain(A heavy rain began to fall.) という使い方があります。ただし、形容詞がついても数えられないこともあります(Heavy rain began to fall.)。 では、heavy rainが数えられるものであると判定される条件はどのようなものなのでしょうか。それと、なぜ、可算と不可算の両用の使い方があるのでしょうか。その二つが今回の質問投稿の趣旨です。 ⇒「heavy rainが数えられるものであるとされる条件は」、「なぜ可算・不可算両用の使い方があるのか」ですか。どちらも微妙な問題ですね。最終局面では、言語使用者の心的態度はおろか「知情意」までも関わってきそうな予感があります。 @まず、heavy rainが数えられるものであると判定される条件ですが、冠詞の解説書などでは、不定冠詞がつくのはrainが形容詞が付加されることによって種類分けされ個別のものと見なされるからとあります。不定冠詞がつくことは個別のものであることの表明なので、<個別のものと見なされるから不定冠詞がつく>という因果関係は成立しません。ということは、問題は形容詞が付加されるとなぜ個別のものと見なされるのかという点に絞られることになります。(…)何かが数えられるための基準は、そのものが空間的または時間的に制約(一つのまとまり)を持つことです。 ⇒「不定冠詞がつくから個別のものと見なされる」というのと「個別のものと見なされるから不定冠詞がつく」を並べて、そのうちの一方を他方の理由とする(またその逆)ことは、「鶏が先か卵が先か」にも似た「堂々巡り」で、時にしれっとやってしまいそうな誤りですね。しかしこの場合、仰せのとおり、確かに「形容詞が付加されるとなぜ個別のものと見なされるのか」ということこそが問題の焦点ですね。 @前回の質問投稿(…)で説明しましたが、何かが数えられるための基準は、そのものが空間的または時間的に制約(一つのまとまり)を持つことです。heavy rainの場合、時間的な観点で言うと、ざーざー降っている期間がそれ以外の期間と異なる(種類の)ものと見なされて、あるいは、その期間における降りざまがいつもの降りざまと異なるものと見なされて、その期間を時間的なまとまりとみなすことができます。空間的な観点で言うと、ざーざー(局地的に)降っている場所をそうでない場所を(と?、から?)区別して、その場所を空間的なまとまりとみなすことができます。ところが、heavy rainが数えられないことがある(aがつかない)ということは、heavy rainが上のような降雨(自然現象)として意識されるのではなく、ざーざー降る雨水(流動物)として意識されるからではないかと思います。この場合は、時間的にも空間的にもまとまりを持つものとしてとらえられることはありません。同じheavy rainという語を話者が降雨(自然現象)ととらえるか、それとも雨水(流動物)ととらえるか、その判定の主導権は話者にあります。よって、話者の考え方や生活習慣やその都度の気分次第でどちらにもなります。この考えでいいと思うのですが、いかがでしょうか。 ⇒はい、いいと思います。同じheavy rainという語をどうとらえ、どう表現するかは確かに話者の自由ですが、聞き手側としては、(それにaがついているか否かで)大いに違ってくる、といった構図ですね。aのつくほうを「降雨(自然現象)」、aのつかないほうを「雨水(流動物)」と呼んでおられるわけですね。つまり、それぞれは「《降り方の区分・分類から取り出して言う》豪雨」、「《話者が特定の感情をもって言う》どしゃ降りの雨」と言い換えることができるかも知れませんね。 @今回の質問に対する説明がこれで十全なものになったかということですが、そうは思いません。rainにつく形容詞すべてについて上のようなことが当てはまるか確認しなければなりません。つけられる形容詞としてはheavy以外に、mist, fine, hard, light, gloomy --- などがありますが、これらはrainの属性で様相(降りざま)を表すものです。その他の共通点は、どれもが話者の主観的判断と関わるものだということです。ということは、様相(降りざま)を意識するか、それとも空から降ってくる水(流動物)として意識するかの判定が話者にその都度ゆだねられることを意味します。 mist, fine, hard, light, gloomyにrainが後続する場合の空間的・時間的まとまりは容易に把握可能です。普段と異なる降りざまなので降雨の場所と時間帯がそのときだけ際だったものとしてとらえられるはずです。gloomy rainの場合は話者の気分が降りざまに投影されていますが、同じように考えることができるはずです。 ⇒「その他の共通点」と言われるのは、「形容詞heavy以外に、mist, fine, hard, light, gloomy…などに共通する点」という意味ですね。確かにこれらは、どれもが「話者の主観的判断と関わる」ものだと言えそうですが、その「話者の主観そのもの」は、使用言語の慣習や風俗、地域差、個人的経験や嗜好等が影響することによって千差万別でしょうね。 @ところが、acid, radioactive, caesium-contaminatedという形容詞もつきます。これらは降りざまを表すものではありません。また、化学物質の含有量は測定されるものなので話者の主観が関与することもありません。普段の雨とは性質の異なるものなので、それらが降る地域や時間帯をそれ以外の地域や時間帯と区別して不定冠詞をつけることができそうですが、実際には検索結果を見ると不可算扱いです。このことから仮説を提示できます。<rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるのは、その形容詞が話者の主観的判断と関わるものである場合に限られるのではないか>というのが私の仮説です。いかがでしょうか。 ⇒「rainに形容詞を付加することで可算扱いされたもの」は、「雨に属するすべての外延のうち、その形容詞によって囲い込まれた部分」を表す、とも言えると思います。ということは、例えばa heavy rainの場合、いろいろなタイプの雨の集合から取り出された、いわゆる「豪雨」を意味することになりますね。これに対して、「話者の主観的判断と関わるもの、それに委ねられるもの」は、生活実感に密着した降雨(被害を与えられるような雨、特定の出来事と結びつくような雨、詩情を喚起されるような雨など…)であることを表す、と言えますね。そうだとしますと、「rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるのは、その形容詞が話者の主観的判断と関わるものである場合に限られるのではないか」と仰せですが、確かに、こういう組み合わせになる「可能性は高い」かも知れませんが、両者間に「必然的なつながりはない」のではないかと考えられます。「rainに形容詞を付加することで可算扱いにできること」と「その形容詞が話者の主観的判断と関わること」とは、かなり大きな共起関係を見て取ることはできても、この両者の間には(線引きは困難ですが)ある種の乖離があるように思われてなりません。この一点のみ、意見を具申させていただきます。
お礼
ありがとうございました
補足
回答ありがとうございました。 <同じheavy rainという語をどうとらえ、どう表現するかは確かに話者の自由ですが、聞き手側としては、(それにaがついているか否かで)大いに違ってくる、といった構図ですね。aのつくほうを「降雨(自然現象)」、aのつかないほうを「雨水(流動物)」と呼んでおられるわけですね。つまり、それぞれは「《降り方の区分・分類から取り出して言う》豪雨」、「《話者が特定の感情をもって言う》どしゃ降りの雨」と言い換えることができるかも知れませんね。> -aのつかないほうを「《話者が特定の感情をもって言う》どしゃ降りの雨」という考えは一つの考えとして非常に有力なものだと思います。aがつかないということはheavy rainを客体的にとらえていない、すなわち概念的にとらえていることになると思います。ということは、話者は対象物に対して何らかのつながりを持っている可能性があります。そのつながりは話者の精神面または情緒面におけるつながりだと思います。 <「rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるのは、その形容詞が話者の主観的判断と関わるものである場合に限られるのではないか」と仰せですが、確かに、こういう組み合わせになる「可能性は高い」かも知れませんが、両者間に「必然的なつながりはない」のではないかと考えられます。> ---私の言い方が舌足らずだったように思います。 rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるための条件はいろいろあると思われますが、そうした条件が働くための基本的前提として存在するのが<その形容詞が話者の主観的判断と関わるものであること>ではないかと思います。不可算名詞における可算・不可算の問題の考察を可能にするための土台(platform)のようなものを想定しての発言です。もちろん、両者間に直接の因果関係はありません。 とは言うものの、今回の議論において除外したSeptember rain (可算・不可算どちらもあります)を考慮の対象に入れると事情が違ってきます。Septemberという性質が話者によって主観的に判断されるとは思えません。後で、考察するFrench wine (可算・不可算どちらもあります)も同様です。属性を表す形容詞が固有名詞である場合は、話者の主観が関与する余地がありません。 だとすると、rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるための条件は、その形容詞が(数量を表すようなものではなく)可算性を暗示するような属性(種類や様相や一時性)を表すものであればよいということだと思います。そして、そうした属性を重視するか、それともrainが本来持つ流動性を重視するか、そこに話者の主観が関与すると考えれば論理循環が避けられると思います。 この考えがrain以外の不可算名詞にも適用できるか確認したいと思います。可算性を暗示する属性に共通する性質は考察対象の不可算名詞次第で様々だと思われます。rainの場合は様相(降りざま)が問題とされましたが、他の、例えばこれから検討するwineの場合は事情が全く異なります。 不可算名詞のすべてについて考察することには意味がありません。その他の一つだけで十分だと思います。その他の一つとしてwineを考察対象にする動機は、rainの場合と違って出来事という意味合い(出来事が起きている時間帯・場所)が出ないので、時間的にも空間的にもまとまりを見いだすことが困難な例だと思われるからです。 wineにつけられる属性を表す形容詞は、nice, tasty, bad, sour, French, Champagne ---などですが、いずれも品質・評価・銘柄などを表すものです(可算・不可算のどちらもあります)。これらの属性集合から一つを取り出す時なぜ一まとまりのもの(個別のもの)と見なされるのかを考えなければなりませんが、今回、ある仮説を提示します。 こういう品質・評価・銘柄などを表す属性だけを集めた集合を一種の(疑似)空間と見なすことが可能だと思います。数学の世界では集合すなわち空間ということでいいと思いますが、言語の世界だとどうなるのでしょうか。おそらく、空間のメタファーという考えを適用した場合であれば成り立つと思います。だとすると、nice wineが数えられるのは、niceがwineの品質または評価を表す属性集合の一つとして(そういう属性空間の一部として)、空間的に一つのまとまりを持つものと見なされるからだということになります。この考えでいかがでしょうか(属性空間は通常の物理空間とは異なります。属性の集合をメタファー的に空間としてとらえたものです)。 あるいは、品質・評価・特徴・銘柄を表す属性+wineという集合{nice wine, dry wine, tasty wine, bad wine, French wine ---}からnice wineを取り出す時、属性空間の一部として一つのまとまりを持つものと見なされるのではないかと思います。 属性空間を背景(地)と見なし、niceまたはnice wineをクローズアップ部分(図)と見なすことができると思うわけです。 当然のことですが、話者がそうした属性を意識することがなければ、属性集合-属性空間は意味を持ちません。その場合は、3次元空間における(飲料-流動物としての)把握が優先されるのでnice wineは数えられません。 では、rainの場合を再確認します。rainにつけられる属性はheavy, mist, fine, hard, light, gloomy…などですが、これらの集合は属性空間を作ります。属性のうちの一つを取りだすとき、属性空間の一部として一つのまとまりを持つものと見なされると思います。よってaがつきます。 話者がそうした属性を意識しなければ、属性空間は意味を持ちません。その場合は、3次元空間における(流動物としての)把握が優先されるのでheavy rainは数えられません。 ここまでの説明はいかがでしょうか。 可算性を暗示する属性集合はあらゆる不可算名詞が持ちますが、属性集合に共通する性質は名詞によって異なるので、これ以上他の不可算名詞について考察することはひかえることにします。 ところで、形容詞がついても不定冠詞が常につかない場合があります。例えば、acid rain, caesium-contaminated rain ---は普段の雨とは性質の異なるものなので(化学物質の含有量は測定可能です)、それらが降る地域や時間帯をそれ以外の地域や時間帯と区別して不定冠詞をつけることができそうですが、実際には不可算扱いです。ということは、acid, caesium-contaminated が降りざまを表す属性集合に属するものではないためにその集合体から除外される、すなわち属性空間ではなく3次元空間での扱いが優先されると考えるしかなさそうです。 同様に、wineの場合、red wine, white wine, rose wine, におけるred, white, rose は内包的なものであって、品質・評価などを表す属性集合には属さないものなので、3次元空間での扱いが優先されると考えるしかありません。 一般に、不可算名詞につけられる属性が(可算性の性質を持つ)属性集合に属さないケースは多々あると思われますが、その事情は個々の不可算名詞によって異なると思うので、これ以上の追究は差し控えます。 ところで、形容詞がついても不定冠詞が常につかない不可算名詞があります。 例えばwaterの場合、pure, clear, dirty, Vichy ---などの属性が考えられますが、それらを付与しても数えられることはありません。同様に、informationの場合usefulとかdetailedとかがついても数えられません。他にfine weather, bad news, heavy traffic ---もそうです。 なぜか考えてみました。water / information / weather / news / trafficに共通することは高度の流動性(連続性)及び可変性(変化しやすいこと)です。つまり、これらのものの流動性・可変性が高すぎて、属性集合が属性空間として機能しない、すなわち、これらの不可算名詞を認知する際には3次元空間が優先されるということだと思います。当然のことながら、この時の属性集合は空間性を持たないので、その中の一要素を焦点化しても不定冠詞がつくことはありません。 もしかしたら、不可算名詞が可算名詞扱いされない理由として他にも考えられるかもしれません。もっと重要なポイントがあるのかも知れませんが、おそらくそれを探るのは私の仕事ではないと思います。 私としては、今回の質問投稿において、最低限として二つのことを明らかにしたいと思っていました。一つは、不可算名詞に形容詞がつけられて可算名詞になるかどうかの判定が話者の主観によるものかどうかということです。もう一つは、属性集合が空間としてとらえられ、集合内の一つの性質が空間的なまとまりのあるものとしてとらえられるのかということでした。ですから、不可算名詞に形容詞がついても数えられることがない(可算性が全く存在しない)ことの考察は完璧なものでなくても構わないと思っています。ご意見を伺いたいと思います。
- chie65536(@chie65535)
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ご参考。 https://www.youtube.com/watch?v=FC7UlFQibq8 (当方はこの動画の投稿者ではありません。反論がある場合は動画投稿者へお願いします)
補足
動画を掲載して頂きましてありがとうございます。ただし、当方の質問と趣旨が異なるもので、それほど有益なものではなさそうです。 なお、当方はa とtheの使い分けで困るようなことはありません。
お礼
再度の回答ありがとうございました。 不可算名詞に形容詞がついても数えられないものがあることについて賛同いただきありがとうございました。よって、「流動性・可変性が非常に高い不可算名詞は、形容詞が付加されても、属性空間ではなく3次元空間で優先的に扱われるため不定冠詞がつかない」というふうにまとめておきます。useful information, acid rain, heavy traffic, fine weather, bad news, good advice --- ここで、ネイティブや検索結果の取り扱いについての私の姿勢を表明しておきます。 定冠詞か不定冠詞かという問題であれば一応の論理が働きますから、ネイティブに匹敵するだけの理論的および実践的知識を持つことが可能です。ですから、ネイティブにお伺いを立てる必要はあまりないと思います。 ところが、無冠詞か不定冠詞(あるいは定冠詞)かということになるとわけが違います。こればかりは、英語国民の長年の言語習慣や生活習慣やものの感じ方など我々nonnativeには計り知れないものがあります。必ずしも論理が通用するとは限らないと思います。もちろん、ネイティブによっても個人差があるでしょうから、彼らの多数意見を参考または尊重するということで暫定的な決着をつけるしかないことが多いと思いますが、私自身はそうするしかないと思います。 今回もありがとうございました。 次回の質問投稿は、以前、at presentとin futureと題したものの再投稿です。<in the past in the future>です。昨年10月の投稿の際にはNakayさんから一応の回答をいただいて私なりに納得していたのですが、その回答を現場で生徒に説明するのは相当に難しいと思いました。そこで、もっと説明しやすい方法がないか探るために再検討してみました。よろしければ、またおつきあい頂けるとありがたいです。