「回天」についての、横山一郎海軍少将のエピソード
「回天」についての、横山一郎海軍少将のエピソード
一般に、日本海軍の記録と米軍の記録を照合した「回天の確実な戦果」は、
『大型タンカー1隻撃沈、駆逐艦1隻撃沈、歩兵揚陸艇1隻撃沈』
『輸送船1隻大破、米軍艦船4隻小破』
であるとされます。
大破とは、沈む寸前の大損傷を受けた状態、小破とは、損傷を受けたが自力航行や戦闘行動に差し支えない状態と理解しています。
一方、昭和20年8月18日に、停戦の軍使としてマニラに行った横山一郎海軍少将は、米軍のサザーランド少将から
「回天を積んでいる潜水艦は、洋上に何隻出ているのか。直ちに攻撃中止命令を出してくれ」
と言われたとされます。
回天の実際の戦果が最初に示した程度であれば、米軍が回天をそれほど恐れる理由はないはずで、腑に落ちません。
(1) 回天の脅威 (米軍の被害) が実際はもっと大きかった。
(2) 巷間伝えられる、横山一郎少将のエピソードが誤っている。
のどちらかではないか?と思います。
質問ですが
『横山少将のマニラでのエピソードは、どのような史料に書かれているのか』
です。よろしくお願いします。
※ 横山少将の回顧録
「海へ帰る―海軍少将横山一郎回顧録」昭和55年 原書房
が出版されていますが、そこに書かれているのでしょうか?
お礼
ありがとうございます