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高家

忠臣蔵では吉良少将が浅野内匠頭を「田舎大名」と罵るシーンがありますが、実際には高家の価格・立場は五万石程度の小大名より上だったのでしょうか?

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  • ベストアンサー
  • magdara
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回答No.1

高家とは、室町時代より続く、由緒正しき名家が就任するしきたりの役職ですが、一応は旗本で1500石高ほどで老中の支配下にありました。 貴種好きの家康が由緒のある家を旗本として残し、高い位を与え、大名並みの特別な扱いをしていました。家康のお墨付きだったのです。 中でも吉良家は、高家胆煎(高家筆頭)といって、高家のうち禁裏典礼をつかさどる役にある家でしたので 別格に官位が高く、四位の少将で、上野介でした。 旗本でありながら、官位は並の大名をはるかに上回る家格で、吉良からみたら、 一国の大名といえど、赤穂の田舎で、官位も従五位下内匠頭というのであれば 侮蔑の対象になってもおかしくはなかったでしょう。 まして、吉良家の出自は清和源氏足利氏流なので、血統的にも高貴とされていたでしょうから。

noname#30350
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 高家の極官は中将で並の国持ち大名より高位なのですよね。 今風に言えば、資産は20億円しかないけど伯爵の称号を持つ由緒ある貴族が、一代限りでナイト号を授与された資産数千億円の大富豪を成り上がりと侮蔑する様なものでしょうか。