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箸の持ち方は、昔は教育されている人なのか、良い家の
箸の持ち方は、昔は教育されている人なのか、良い家の出身なのかを見る一つの指標だったが、箸の持ち方なんかささないことと考える世代が現れて、文化が断然した。箸持ち方大事文化の人が、箸持ち方大事ではない文化の人を攻撃しているのが本質かと。高学歴が低学歴を差別するのに、近い現象なのだろうか? 社会カテゴリー皆さまの ご回答のほど、 お待ちしております。
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- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
価値観の問題でしょうか。いまは和服の着方を知っている人はむしろ特別な人ですね。お箸も同じでしょう。言葉でもいえませんか。
- pluto1991
- ベストアンサー率30% (2015/6674)
お箸は教育ではありません、「しつけ」です。 親のしつけの姿勢が子供のお箸に出てしまう。これはとても大切なことでしょう。 現代版箸の持ち方はキーボードです。 正しいフィンガーポイントで入力できる女の子は、おお、この子はきちんと教育を受けているんだな。って思います。 まあ、高学歴と言ってしまってもいいかもしれません。 でたらめなキーボードの打ち方をする女の子はきちんとお箸を持てない女の子です。親の顔が見てみたいです。なんちゃって。
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- Pochi67
- ベストアンサー率34% (582/1706)
箸の持ち方が大事でない文化って、それって文化として成立しているの? まぁ、差別というのはマウンティングであることも多いので、そういう人がいないとも言えません。 じゃあ全てが優越感に浸りたい人ばかりかと言うとそうじゃなくて、単純に見ていて見苦しいという話なんですよ、箸の持ち方論争は。 マナーやエチケットと呼ばれるような、他者に不快な気分を与えないように振舞う・・・が、「知らない」ではなくて「やりたくない」と言っている人達に公私は使い分けろと言っているんです。 親しき仲にも礼儀あり派と、超個人主義派の、主張の違いですね。 怪我などで正しく持てないのは仕方ないとして、矯正しようとしないのは相手を思いやる気持ちが薄い、親が矯正しなかったのは無知か礼節を重要視しない人でその子もまた同様だろう、と見られてもおかしくないかと。 酒宴で、上司ではなく部下が「今日は無礼講だ!」と真っ先に騒いでいるようなものです。 差別と言えば差別なのでしょうけど、どれだけ注意されても己の無知や損しているを自覚出来ない人が問題な気がします(あえてマナーなんてクソ食らえというスタンスの人は勝手にどうぞという感じですが)。
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