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学歴と教育
私は専門学校に進学し、友達は大学へ行きました。 友達がやっぱり「大学に行かないと子供が出来たときにも自分で教えてあげられないし」と言っていました。 自分もそのとおりだなと納得しました。私の父は2部ですが、それなりの有名大学出身なので、子供の頃はよく勉強を教えてもらうことができました。 よく大卒の人でも「勉強のことなんて忘れちまったよ」と言う人もいれば「一度覚えたものはそうそう忘れないので身になる」など様々な意見があります。 自分の学歴は教育にとって有意義になるでしょうか?。それともそれほどの損にはならないでしょうか?
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独身、子なしですので、子どもの立場から。 私の場合、「わからないところは学校の先生に質問する」が基本でしたから、親に学校の勉強を教えてもらったのは小学校低学年まででした。なので、最終学歴は関係ないと思います。 身内にはつい感情的になってしまって教えられないこともあります。 私の勘違いだったら申し訳ないのですが、学歴が子どもの教育を左右するとしたら、中卒・高卒・専門卒の親から大卒の子どもはあり得ないということになりませんか? 学歴というよりも「それまでの人生で身につけてきたこと」を伝えることが子どもの教育に役に立つんだと思っています。
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知識があることと、教えるのが上手いことは、別ものだと思います。 でも、どんな動機でも、知識欲を満たすために、努力することは、立派だと思います。 私は、当人の学歴と、当人を分けて考えるほうです。 ある、漫画家さんが、一流国立大学卒であることと、ヤクルトの外人選手が、マサチューセッツ工科大学卒であることを知ったときは、「ほほぅ」と、感心しました。 せっかくの学歴が「生きてねー」と、思ったからです。
- MayField
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子供が勉強する素養は、親の学歴よりも自宅の蔵書ですね。 本棚にどれだけの書籍があるかで、子供の学習意欲は大きく異なります。 私の場合、小さい頃から父の書斎に入り込み、様々な書籍を読み漁りました。 最近リフォームで蔵書を整理しましたが、その量の多さには吃驚したものです。 これらを読破してきたんですから、ある程度の教養も身に付くというものです。 最近では、インターネットの普及で新聞や事典すら要らない時代になりつつありますが、 やはり「本を読む」という基礎的な習慣は、書籍でないと得られないでしょうね。
>自分の学歴は教育にとって有意義になるでしょうか? 難関大ならまあ一応はなるんじゃないですか? たとえそれが高校3年の3学期だけだとしても、 17、18の若さでそれなりに必死こいて受験勉強をしたという事は、 何らかの糧になるはずだと私は思ってます 単純に勉強を教えられるかといったら、 そういう傾向はあるにしてもあまり関係ないと思います (大学生はよく塾講師や家庭教師のアルバイトをするのでそれは影響あるかもしれませんが) ただ家庭内の環境として「勉学はそれなりに大事である」という雰囲気は 学歴が高いほどきっと自然とできあがりますよね それが多少、子供が勉強を熱心にする動機というか根拠になる事はあると思います
「大学に行かないと子供が出来たときにも自分で教えてあげられないし」・・・・・・ まったくおかしな言葉だと思います。子供に資本論や流体力学でも教えるというのでしょうか。大学に進学した人は進学しなかった人に対していろいろな理由を挙げたりしますが、既に皆様がお答えのように、こればかりはなんとも不思議な言い訳にしか受け止められませんし、すくなくとも本気で受け止めるほどの言葉とも思えません。 教養や知識といったものは人それぞれが自分の努力で身につけるものです。大学に進学したからといってもなにひとつ身につけていない人も多いですし、専門学校なら御の字中の御の字、中学しか出ていない人でも心から尊敬できる人も私、沢山知っています。 大切なことは、ご自身にまずプライドを持つことです。心のどこかに大学に進んだ人にコンプレックスを抱いていらっしゃいませんか。まして、これからの社会では、ただアタマでっかちな人材よりも実務に確かな即戦力のある人材が求められるようになるでしょうし、まして技能や技術に明るい人が大切にされる時代になるでしょう。それを考えたら、専門学校に進みお出になった方はもっともっと胸を張っていいと思いますよ。 まして、お子さんへの教育、なにも大学や専門学校で学んだ高度な教養がそのまま必要とも思えません。草の葉にとまった小さな昆虫のこと、植物が伸びる理由、雲や雨のこと、機械の仕組み、こんな身近なものに興味と細かな観察の目を向けさせ、その訳や仕組みを話して聞かせてあげる.......こんなことは日頃からの知識の蓄え次第、すくなくとも学歴にはまったく関係のないことでしょう。でも、そうした知識を披瀝する物知りな父親の姿をどんなお子さんが不満に思うでしょうか。
学歴は関係ないと思います。 私は、まだ独身で子どもはいませんが、教育を生業としている者です。 勉強を子どもに教えるのは、親の役割じゃないはずです。 分からなかったり、忘れたときに、その先どうするか、あきらめるのか、それともあきらめずにどうにかするのか、(誰かに聞くとか、自分で調べるとか、)その選択方法を生活の中から身をもって教えるのが親だと思うのです。 ですから、表面的な「お勉強ができる親」じゃなくて、仕事でも趣味でもなんでもいいので、「一生懸命頑張っている姿を見せられる親」そして、「子どもに、『あんな風に自分もなりたい』と思わせられる親」になりたいと思います。 いろんな子どもと親の組み合わせを見てきましたが、やっぱり親が努力家のおうちは、子どもも頑張りやさんです。 親が子どもにどんなに頑張らせようとしたって、大人の頑張っている姿を見たことがない子どもは、頑張ることができません。 私は、大学卒業しています。 でも、彼は中卒です。 彼は、勉強ができなかったのではなく、「早く自立したかった。自分で稼いで自分で生活したかったから。」と言っています。 そして、職人として、私の町で1人しか持っていない技術や、特許などを持っていて、素晴らしい仕事をしています。 学歴をコンプレックスに思っているような感じは全くありません。 話しをしていて、学がないなと感じることも一度もありません。 知的で、常識人で、本当に素敵な人です。 そして、自分の職業に誇りを持っています。 こんな人が父親になったら、きちんと子どもを育てるだろうなと思います。 「これを学びたいんだ」という目的があって大学に行くことは、もちろん、素晴らしいことです。 でも、(日本の)大学は、勉強したい人はものすごくいろんなことを学べるし、勉強したくない人は勉強しなくても卒業できるというところがありますから、 目的や意欲がなく大学に行くことは、全然意味のない、お金の無駄遣いだと思います。 長文ですみません。
- Turbo415
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子供に教えると言っても、小中学校ぐらいまででしょ。でしたら、学歴なんて関係ないです。大卒だって中学の数学は分からなかったりしますし、(答えは分かっても、教え方が分からなかったり) 実際私は一応名の通った大学を出ていますが、娘の中一の数学を教えるのに精一杯です。 結局学歴ではなく、その人がちゃんと理解して知識としていれば教えられるし、たんなる丸暗記だと教えられません。 自分の学歴がこどもの教育に為にはならないです。 それより、小さいうちに勉強をする環境を整えてあげる方が重要です。 うちの子は特に親が教えなかったですが、本を良く読むのと、パズルが好きで良くやっていたせいか、国語、英語、数学が得意になっています。 また、うちの子供は中学にはいるまで親がどこの学校を卒業したのかなんて知らなかったですし。 参考までに。
- gyamboi
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知識として直接役に立つかどうかはわかりませんが、 背中を見せるという意味では確実に役に立つと思います。 損になることは、無いでしょう。 でもまあその点で大事なのは、世間で言われている学歴の高低よりも、 やりたいことをちゃんと実現して成功させているかどうか、ですね。 ただ、特にやりたいことが無ければ、少しでも難しい大学に行かせておくのが 正解だとは思います。
大学で学ぶ勉強は、子どもに教えてあげても専門的すぎて意味をなさないことが多いのでは? ”子どものため”には必要ないと思います。 事実、官僚を一番多く輩出してるので有名な某国立大学出のおじの娘は大学浪人し、名前も知らない私立大へ、 叔父の兄は街の理容師さんで、その娘は某国立大学に現役合格。 現役合格が私ですが、父や母に質問して分からないことほとんどありませんでしたよ。 2人揃って読書家だったので。 (高校受験の頃に、さすがに塾に通いました。) そもそも学校で勉強を教えてくれますから、両親が大学出である必要は、みじんもありません。 大学は自分の為に行くところです。 その結果、子どもに教えられる知識量が増えるのでしょうが、専門分野を学ぶのは専門学校と変わりませんので、 専門学校で学ぶ専門分野であって何か都合が悪いのでしょうか? むしろ、実生活に近い知識を持っている方がいいくらいだと思っています。 教育の為に必要な物をあえてあげるなら、学歴よりも、読書量です。 子どもが知りたい、尋ねたいことは、だいたいあらゆる書物になっています。 どの書物を読めば、その知識を得られるか、ということだけを把握しておくだけでも有意義です。 大学に行ってまで勉強したがる人にはそもそも多いのだと思いますが、 少なくとも私の学生時代の友人の頭いいなぁと思った人は、必ず読書家です。
これは何とも言えない問題ですね。 例えば私ですけど、大学で単位を取るためだけにフランス語を学びました。 今となっては全く理解できませんが、教科書や辞書は手元にあるので、娘にフランスの映画などで質問されると、調べれば一応判ります。 大学の専門は近世経済史で、江戸時代の経済活動を研究しましたけど、歴史全般に興味を持つことができ、暇なときは図書館で歴史の本を読んでいます。 こういう点では学歴が物を言ったと思います。 逆に文系大学なので、理系の素養はなく、パソコンは叩き上げで覚えましたが、基礎がないのでプログラミングなど、独自のものを作るということはできず、誰かが作ったものを使えるだけです。 多分、大学に限らず、工業高校や専門学校に行っていれば、基礎ができるので、自分でプログラムを書いたりできるのにと、今でも悔やまれます。 よく小学校を出ただけで大会社の社長になった方、松下幸之助や本田宗一郎も会社の規模が大きくなると自分の能力に限界を感じ、教育の重要性を説いて、後継者には高学歴の人間を指名します。 学歴というのは、意味がないようであるような気はします。 専門学校も同じことで、基礎を学ぶわけですから、それを生かせるかどうかは今後のあなた次第ではないでしょうか。 卒業しただけでそこで終わりなら、学んだことは無駄になりますし、卒業後も旺盛に知識を求めれば、次々に道は開けると思います。 これは大学でも専門学校でも同じことです。 子供は親の背中を見て育ちますから、あなたが向学心旺盛なら、子供もそうなりますし、日々の生活に埋もれるような生き方をすれば、子供もグーたらになるかと。 私は専門学校も行きました。