定冠詞は「全体」を表すか。
冠詞についての質問です。少し専門的になる部分がありますがご容赦下さい。
定冠詞theは指示方法に関しては「限定」を表し、指示範囲に関しては「全体」を表す、という言い方をこれまでよく聞いて/読んできました。
でも、私としてはもう一つしっくりしません。たしか、この話は、定冠詞が話し手と聞き手の共有知識内の唯一のものを指し示すという議論から発展したものだったように記憶しています。その話から入ります。
たしかに、The book I bought at the store was interesting. というように、もともと数えられるものであれば唯一のものを指し示すという説明が可能ですが、数えられないものの場合は、唯一のものという言い方ができません。複数名詞の場合もできません。
<定冠詞theは唯一物を指示する>という言い方は数えられないものや複数名詞に適用しにくいわけですが、そうした事態に対処するためにひねり出したのが「全体」を指示するという言い方だったのではないかと思います。
では、具体的な分析に入ります。
The water dried up. において、たしかにthe waterは「水」の全部を表します。でも、これは定冠詞の働きによるものではなくて、upという語句と文脈に加勢されてのことだとも言えます。Shall I drink the water? において、waterが大きな水瓶一杯の水を指して行われた発言であれば、the waterが全体を指すことはありえません。
数えられない名詞が物質の場合を例としてあげましたが、抽象観念(抽象名詞)の例は割愛します。
つぎに、複数名詞の場合です。I gave back the CDs I borrowed from my friend. においてはたしかにthe CDsは全部を表します。ただし、「全体」の意味は文脈から生じたものではないかと思います。特別の事情がない限り全部を返却するものと思われます。
Would you come to New York with me? No thank you. The people are unfriendly, and talk too fast for me. において、the peopleがその国の人たち全員を表すとは思えません。
おそらく、「全体」の意味は語用論的に発生したものでしかないと言えそうな気がします。
では、数えられないものと複数名詞の場合に<定冠詞theは唯一物を指示する>という言い方ができないという事態をどう打開すればいいのかという問題になります。
結論として言うと、どこまでも<唯一のものを指し示す>という言い方で押し通せばよいのではないかと思います。
例えば、The water dried up. においては、話し手と聞き手の共有知識空間において問題とされる唯一の物質を指示する、と言えばいいように思います。また、The people are unfriendly, ---においては、話し手と聞き手の共有知識空間において話題化されている唯一の集団を指示する、という言い方でどうでしょうか。
以前、In autumn the leaves turn yellow and red. において、the leavesが全部の木々の葉を意味するかどうかをネイティブに質問したことがありました。前後の文脈を示しませんでした。文の雰囲気から、秋の風物について述べられていることがわかると思うし、北半球での出来事だということと、常緑樹が話題から除外されることは明らかだと思ったからです。
反応が割れました。all the leavesだと答えた人もいましたが、some of the leavesだと答えた人の方が多かったことを覚えています。
また、It is said the Americans are friendly people. において、the Americansが全体を表すか尋ねるとこれまた反応が割れました。all of the American people とmost of the American peopleとAmerican people in generalとがありました。
the複数名詞が全体を表すという見解を、少なくともネイティブ達の全員が共有しているわけではないと感じました。
たぶん、全体を表すかどうかは、指示されるものの性質、または文脈や状況によってそのものが分割可能かどうかということで決まるのではないかと思います。
The United States of America voted against the proposal at the United Nations General Assembly. において、the United Statesは分割不可能なので全体を表します。これはかなり集合名詞的な表現ですが。crewやteam同様に、要素(成員)内の結合力が強いものは分割不可能だということだと思います。
The water dried up. やI gave back the CDs I borrowed from my friend. においては、the waterやthe CDs の分割は可能ではあっても、状況的に見て分割はそうとうやりにくいはずです。
The people are unfriendly, ---においてはthe peopleに結束力があるとは思えません。全体を表すことはないと思われます。
以上、これまで空間形式による認知の場合を取り上げましたが、今度は時間形式による認知の場合をとりあげます。
I was a second year college student at the age of 19. において、日本の場合は、the ageは19歳の年の全体を表すのが普通ですが、I first met him at the age of 19. においては、the ageは19歳の年の中の時間幅が意識されない時を表しているはずです。前者は分割不可能な時間を、後者は分割可能な(細分化してとらえることが可能な)時間を表しているように思います。
The construction of the airport was a great success. においては建設事業の全体について述べていることは間違いないと思います。a great successと言ってるくらいだから、中断はありえないことです。逆に言えば、戦争とか資金難とかで中断(分割のバリエーション)という事態がありうる場合は、全体を指し示すことがやりにくくなるということです。
The construction of an airport is always my great concern. と言うとき、建設事業・作業の全体に関心が持たれているとは限りません。
また、The arrival of the train was delayed. においては、the arrivalは時間幅が意識されない出来事なので、分割不能ではあっても全体という言い方は困難です。
the constructionもthe arrivalも話し手と聞き手の共有知識空間において唯一関心が注がれている出来事だと考えた方が良さそうに思います。
これまで、the名詞が特定のものを示すケースを扱いましたが、一般的なものを表す場合、つまり総称表現の場合を考えてみます。
The lion is a wild animal. と言う時、the lionは種族の全体を指し示すと言われますが、たしかにその通りです。
でも、全体を指し示すことを可能にするのはtheの働きと言うより、文脈によるところが大きいと思います。例えばThe lion is hungry.では種族全体を表せません。種族全体を表すような文脈が必要なはずです。The lion is a wild animal. においては、a wild animalという種族を表す上位概念が明示されている上に一般的な事実を述べるのに適した文が使用されています。
総称表現のthe lionはlion A, lion B, lion C ---などの持つ個々の差異が捨象されて、それらの共通部分だけを持たされたlion X を指すのであれば、唯一的に特定できるものだと言えると思います。(lion A, lion B, lion C ---のイメージはライオンのもつ共通部分+個別の差異を表しますが、lion X のイメージはライオンのもつ共通部分だけです)
また、他の野生動物との対比においてlionが唯一的に焦点化されるためにlionにtheがつくとも言えます。
このように、theを使った総称表現においても、theが全体を表すと言うより、唯一のものを指し示すと言った方がよいと思います。
以上、定冠詞が全体を表すという説に反論を示しました。結論として、定冠詞は何かを唯一的に指し示す働きがあるということになりました。ご意見を伺えればありがたいです。
お礼
ありがとうございます。