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惑星名と月曜、火曜、水曜、木曜など・・疑問。
惑星の名前と、一週間の曜日の名称の関係を教えてください。曜日には太陽の日曜日の他、惑星の名前がついていますが、天王星や海王星は入らずどうして衛星の月が入ったのでしょうか?また英語表記で、sunday 、monday、saturdayはsun 、moon 、saturnとわかるのですが、他は似ていないのはどうしてでしょうか?スッキリしません。
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勘違いしている人が少なくないのですが、日月火水木金土の七つの曜日、いわゆる「七曜」は、別に明治になって西暦を採用した際に初めて伝わったものではなく、西洋の曜日名の翻訳でもありません。日本語の曜日の名称は、ご指摘の通り天体の名称に由来しますが、起源はもっとずっと古いものです。 もともと曜日という概念は古代バビロニアで生まれたといわれ、ヘレニズム時代のアレキサンドリアで天体名で整備されたようですが、東西両方向に伝わりました。天体名で使われたのは、もちろん当時よく知られていた五大惑星(水星・金星・火星・木星・土星)と太陽と月だけで、18世紀以降に発見された天王星や海王星は入っていません。ユダヤ教徒からキリスト教徒に伝えられたものが現在の西洋のカレンダーのもととなっています。 西洋では一部の曜日の名前は天体名から宗教的な名称(神話の神々など)に変わりました。英語の曜日名に天体名とそうでないものが存在するのはこのためです。 一方東方へはインド・中国を経て日本へも伝わりました。具体的には「宿曜経」(文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経)というインドの暦学・占星術を著した中国の経典を空海が持ち帰ったことに由来すると言われています。この際の曜日の名称は天体名のままです。 空海が持ち帰ったのなら、日・月・火・水・木・金・土という曜日名が日本に伝わったのは9世紀ということになります。実際にのちの時代の藤原道長の日記である御堂関白記には、日付の上に曜日が記入されています。例えば長保六年二月十九日(ユリウス暦1004年3月12日)には日と書かれていて、実際に日曜日であったことが計算で確認されます。 ただし当時の日本の曜日(七曜)は現在のように1週間という7日の周期で暦を区分する週日制のためではなく、暦注として吉凶の判断をするためのものでした。平安時代の貴族は曜日を知って使っていたことになります。暦そのものは当時の日本と西洋で使われていた暦はそれぞれ全く違うにもかかわらず、「曜日」だけは同じで現代とつながっているというのも考えてみれば興味深いことだと思います。 なおこの御堂関白記は現物が残っている自筆の日記としては世界最古とされ、国宝に指定されユネスコの世界記憶遺産にも登録されている貴重な史料ですが、具注暦という暦に書き込んだものです。
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- nananotanu
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曜日の名前は当時知られていた『惑星』の名前からついています。昔は星座の星が常に同じ位置に見える事から恒星と呼ばれたのに対し、その中を移動していく星は全て惑星だったのです。そう、太陽も月も、当時は「惑星」でした。一方で、天王星海王星はNo.1さんもおっしゃられるように、まだ見つかっていませんでした。 なお、曜日の順番が決まった経緯は以下などが分かりやすいかと。 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0001.htm の「曜日は「バビロニア」生まれ」の節
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ご回答ありがとうございます。
- phosphole
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月は太古の昔から肉眼で見えていたから、先に命名されたからです。 天王星や海王星は望遠鏡でもなかなか見えません。 また、名前の問題については、あなたが英語のみ調べているから違和感が生じてるだけです。ラテン語系だと、たとえば水曜日は、メルクリウス(=マーキュリー)の日、という形になります。 英語をはじめとしたゲルマン語系だと、ラテン語の神を、自分たちの神(オーディンとか)に置き換えた名前に変えているため、あなたのような誤解が生じます。
お礼
ご回答ありがとうございます。
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