宗教を国,国家に置き換えてあなたの疑問の自問自答してみると答えが見つかるかも。
日本国という信じる物,自分が生きている場所,自分のルーツ。
親も兄弟も,恋人も,そこで生きている。
韓国に日本は悪だ,最低だといわれれば,否定されれば,少しは腹が立つのでは?
オリンピックやサッカーやノーベル賞を日本人が活躍すれば誇らしいのでは?
もし全否定され,日本人というだけで殺されたら,あなたは殺した相手を恨みますよね?しかもその殺した犯人だけでは無く,日本人だから死ねばいいと思っている国を敵視しませんか?
国は人々が生きやすいために,守ってくれるためにあるものですよね?
じゃあ国などない方がいい。
それも正論だと思います。全世界が統一国家。
でも社会主義のひとと民主主義がいきなり同じ国では生きていけません。
すこしその視点をキリスト教やイスラム教に移してみましょう。
イスラム教徒はキリスト教徒に自分の先祖を殺されたと思っているし,キリスト教徒は最近テロでアメリカを攻撃したと思っている。
これは,どちらの宗教も自分の宗教が最高で他は認めてないからなのです。
ただ唯一(少なくとも私が知っているなかでは),仏教や神道は他の宗教を勉強しなさい。良いところを学びなさい。という姿勢が昔からあります。
仏教などはむかし寺の中で他の宗教の教えを学んだという文献まで残っています。
つまり日本で栄えた宗教は他者を蔑まない。リスペクトすることで良いところを学ぶ。だから自分は信じていると強調しない,まるで無宗教なのですが,
「お天道様が見ている」とか「ご先祖様に申し訳ない」と目に見えない何かに自分を律してもらっています。私はこの自分を律する美徳自身もある意味宗教だと思います。
日本人の全てが褒められる事ばかりでは無いですが,それでも他の宗教を学ぶ人からリスペクトされるところは,あなたのように想う心を子供の頃から自然と教えてもらえる状況があるからなのだと思います。
「宗教って、人が幸せになるためのものだと思うのですが、対立を生むのって何か矛盾していないですか?」
この心こそ,日本人の宗教の教えに思います。
魂,意志,精神,誰かがいることが大事なのでは無くて,自分が自分の正しいと思う事に向かえることが宗教そのものなのではないでしょうか。
お礼
回答いただけてありがとうございました。