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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:最愛の叔母を亡くし、現実を受け入れられません)

最愛の叔母を亡くし、現実を受け入れられません

このQ&Aのポイント
  • 最愛の叔母を亡くし、現実を受け入れられない私。叔母の思い出や後悔が心を苦しめる。
  • 叔母の思い出や取り残された後悔に苦しんでいる私。亡くなった叔母の存在が信じられない。
  • 最愛の叔母を亡くし、実感が湧かない。叔母の思い出や話せなかったことに後悔が止まらない。

質問者が選んだベストアンサー

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  • dolce0000
  • ベストアンサー率22% (217/951)
回答No.4

私も癌で身内を亡くして共感できる部分がありました。 あなたよりは落ち着いてますけど、まだ身内としか書く気にならないんですよ、詳しく書くと死亡確定になりそうな気がして。 アラフィフで、そういうことが何回かあったのでだいたい自分の場合2、3年かなという目安があります。 そのくらいたつと死んで会えなくても「あまり」関係なくなってきました。 私は古い時代の歴史本とかよく読んでたんですけど、昔の人ってよほど近所に住んでる同士以外、文通だけでしか繋がれなかったんですよね。 安全で楽な交通機関なんかないから、よっぽど生死に関わらない限りよけいな移動はできなかったし。 するとたまの手紙だとか、噂、あとは脳内の想像だけで「生きてるはず」「やりとりがあろうがなかろうが友情は変わらない」と判断するわけですよね。 それに洪水とか火事で同じところに住めなくなり、行方知れずになるのも今と比較にならないほど頻繁だったから、証拠なしで「たぶん生きてる(と思いたい)」ぐらいのことも多かったと思います。 それに近い感覚です。 簡単に行き来ができないところ(死後の世界?)に相手はいるけど、たぶん気持ちは通じ合ってるだろうとか、私から伝えきれないこともあったけど、私がこう思ってるようにあちらもきっとわかってるよ、そりゃ気が合ってたもの、という風にある程度いいように納得できるようになります。 習い事で気が晴れるとかは、個人や状況にもよるんじゃないでしょうか。 でも本当に人生において重要で心の通った相手であれば、どんな人生ルートを進もうが、その人との関係で得られたものも、ふくらんでいくんですよ。 会えなくなったから終わり、そこから減っていく感じはしません。 後から起きた出来事によっても、その人のイメージが変わったり、生きている間以上にわかってくる感じがしてきます。 そういう経験が増えていくと、もう会える会えない関係なくその人と共に人生を進んでいる気になれます。 あと私の「身内」は、先に亡くなった自分にとって大事な人のイメージを、ちょうど今の私のように「簡単に行き来ができない場所にいるだけ」と言ってたんですよね、今気がつきました。 ああやっぱり似てる、気があってたもんなーと思ったし、昔の私はその話を「へーそういうもん?」としか思わなかったわけですが、今は時間こそ遅れたけれども昔の彼女と同じ立場になったわけですよね。 つまり同じ時間に同じ場を共有できていても、相手と共有できていないものもたくさんあったはずだし、その逆もあるということ。 あなたが知らなかったり気に留めなかっただけで、あなたの叔母さんだって先に、会いたい人に会えない苦しみを抱えながらこれまでも生きてきたはずなんですよ、それを遅れてあなたも味わう番になっただけ。 そう考えると、大事な人を失う苦しみを知る前より、おばさんのことも深く捉えられる自分に成長したので、これからはもっとおばさんの生をいかせる可能性があります。

cocomimi228
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 物凄く身に染みました。 何度も読ませて頂きました。 私の心の奥に隠れていた部分?というか感情と言うか想いをそのまま言葉にして下さり、 「ああ、そうなんだよ、そうだったんだ」と、すごく納得できました。 ご回答頂き心が軽くなりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34531)
回答No.5

自分にとってかけがえのない人の死なんて、受け入れられるものではないですよ。 明石家さんまさんには異母弟がいました。けれど仲は非常に良くて、弟さんはさんまさんの一番のファンでもあったそうです。その弟さんを、若くして火事で失ってしまいます。状況から、自殺ではなかったかともいわれています。 この弟さんの死を「納得いっていない」と今でも仰るそうです。あの明るいキャラクターも、その悲しみを抱えてやっているのです。 生きるっていうのは、そういうものですよ。悲しみを知ることが、大人になるということなのかもしれません。なんで人は生まれるんだろう、なぜ生まれたのに病気になるのだろう、なぜ死ぬのだろう、そういうことを私たちはほとんど意識しないで生きているわけですが、それってすごい恵まれたことでもあるんですよね。 喪失感のさ中にあるときは、仕事をガッツリ入れるのがいいです。仕事をしているとその間は忘れることはできますから。戦場では、戦友を失ってショックを受けた兵士には無理やりどうでもいいような仕事をさせるそうです。例えば塹壕を掘れとかね。任務を与えることで、悲しみを意識させる時間を持たせないんですって。 私は若い人たちに「デートをするときは、今日が最後のデートかもしれないって気持ちでデートをしたほうがいいよ」とアドバイスするのですが、たぶん質問者さんはその意図がご理解いただけると思います。

cocomimi228
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 暖かいお言葉に心が軽くなりました。 悲しみを知った裏で大きな得るものもありました。 今も奇跡のような時間、かけがえの無い命、 本当に仰る通りです。 気付かせて頂き感謝いたします。

  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2378)
回答No.3

その人がやりたかったことを、代わりにしてあげることが、一番の供養です。 優しい方だったのでしょう? 貴方が代わりに、誰かに優しくしてあげてください。 叔母様がきっと喜んでくださるはず。 写真を持って、あちこち旅行に行かれるのも良いかもです。 ボランティアも、無理しない範囲ならいいと思いますし、 習い事もいいと思います。 何よりも、貴方に貴方らしい人生を送って欲しいと思ってらしたはずです。 その望みを叶えてあげてください。 人に優しく、微笑みを絶やさず、自分らしく生きている、そんな人生じゃないかな。 貴方らしい人生を生きて、叔母様の望みを叶えてあげてください。

cocomimi228
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 泣きながら読ませていただきました。 叔母の望みを想像しながら、喜んでもらえる自分のままに生きていきたいと思います。

回答No.2

  貴方のお婆さんは妖怪ですか?、永遠に死なないのですか? 貴方の年齢を20歳代として、親は50歳半ば~60歳。 そうなるとお婆さんは80歳半ば~90歳。 女性の平均寿命が87歳だから、病気の有無に関係なくそろそろの覚悟はあったはず。 お婆さんは「あんたも今のうちにやりたい事全部やっときや」と時を覚悟して貴方に伝えてます。 そんな言葉を聞く機会があったのは素晴らしい事です。 更に臨終に立ち会う事も出来た......... ちゃんんと言葉を伝え、臨終に立ち会える機会を残し立派に往生したお婆さんを自慢しましょう。  

cocomimi228
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 涙が止まりません。 心温まりました。 感謝致します。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

多分、一生忘れることは無いと思います。24年前に逝った母は今でも私の夢の中に生きているものとして登場し、時には大ゲンカしたりします。もう私自身がその時の母の年齢になってしまっているのですけど。

cocomimi228
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 愛する人の死はなかなか受け入れられるものでは無いと知りました。 貴重なお話ありがとうございました。

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