- ベストアンサー
最愛の伯母が他界したときの過ごし方と精神状態の回復期間について
- 最愛の伯母が他界した直後の過ごし方や通常の生活と精神状態の回復期間について教えてください。
- 伯母が家族を大切に思い料理を作ってくれた思い出や、告別式で伯母が他者に尽くすことを喜びとした生き方をしていたことを紹介しました。
- 伯母を失った寂しさや悲しみ、後悔などの気持ちに襲われ、精神状態が不安定になってしまっていること、仕事を辞めて一人でいる時間が長く辛いこと、ストレスで流産したこと、メンタル面が不安定でどう過ごせば良いか悩んでいることを述べました。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
はじめまして。 とても悲しい苦しい思いをされているのですね。 今まで一生懸命伯母さまを愛されて大切に思われていた気持ちは、文章から伝わります。 私のつたない経験ですが、少しでも慰めになればと思い書かせていただきます。 私も実家の独身の弟を一昨年11月に肝門部胆管がんで亡くしました。 会社の健康診断で発覚、大学病院で治療、入院、手術もしましたが、1年7ヵ月しか生きれませんでした。 最後に緩和ケアを受け、51歳の誕生日の朝に静かに一人で誰も間に合わずたった一人で逝きました。 実家の両親が高齢のため、病院の診察の付き添い、治療、検査、入院手術の見舞い、すべて私が引き受けました。 手術が決まって一度、弟の体の状態から手術が延期になり、それまで私の緊張の糸も切れ、自律神経失調になり心療内科を受診することになりました。 手術が出来るかどうか、大学病院からの返事が10日近くなくて、本当に地獄に落ちる思いでした。 でも、やっと手術できるという返事が来て、すぐ入院して…これで助かると思っていました。 18時間にも及ぶ手術も、ずっと待合室で待ち、その後の見舞いも、退院後の診察も、すっと付き添いました。 しかし再発、あっという間にリンパに転移、腹水も溜まり、みるみる食事も取れなくなり痩せて逝く弟を見て、私の自律神経も悪くなっていき、ふらつき・めまい・階段も手すりがないと降りれないなど、日常生活も支障が出るようになりました。 それでも弟が元気になればとつらい電車にも乗り、通ってました。 弟が検査で入院、退院後実家で2日ほどしてのこと、両方の足が腫れ、ついに動けなくなり救急車で大学病院に行き、駆け付けた私は救急処置室の前で、先生から余命1ヵ月聞かされたのが、一昨年の11月1日でした。 肝門部胆管がん、悪性リンパ腫、肝膿瘍、下大静脈血栓症、癌性腹膜炎、逆流性食道炎、これが弟が最後に貰った病名です。 いずれも完治不能、癌と5センチにも及ぶ血栓はいつ亡くなっても不思議ではない状態、延命治療も苦しむだけという判断でした。 残るのは、苦しまないように緩和ケアを受けるだけでした。 弟は緩和ケアのない大学病院を出て、先生の好意で車ですぐの系列の緩和病院に移りました。 両親に頼んで個室に入れてもらって、ゆっくりとできるように、本人には病状が安定したからここで入院治療するのだと話しました。 毎日、電車の中で自然と涙が出て、立って乗ることもできなくて、個室に泊まることも本人に疑われないようやめて、毎日顔を見ることと言って余命を隠しました。 姪にあたる私の娘の成人式を早め、弟に着物姿と写真館での記念写真を見せました。 その10日後、51歳の誕生日の朝、朝食を持って行った看護師さんが、弟の意識がないのを知り連絡が入りました。 親戚にも知らせず、弟の友達にも知らせず、会社にだけその夜連絡しました。 質問者さまと違って、唯一話していた親戚の叔父夫婦と従弟2人の4人、実家の両親、私たち夫婦と娘 、9人だけで荼毘に付しました。菩提寺は雪が降る頃だったので、温かくなって納骨ということでお葬式ではなかったです。 そのあと、実家の母が脳梗塞で倒れ2ヶ月半入院、幸い麻痺は残らずでしたが、1ヶ月後父方の叔母が突然脳溢血でなくなり、お正月は実家の父だけ、49日法要は私が準備しました。 そんなこんなで気付いたら、家族以外しゃべれない、電話も出れない、気付いたら涙していた、寝れない泣きどおし…心療内科でウツ病と診断されました。 そのあと、弟の会社からは死ぬ数日前に退職にしてほしい、未納の健康保険料の請求、そしてローン会社から未払いローンの提訴があり、相続放棄の手続きを両親と私と致しました。 弟は病気のため働けなくなり、それでも会社を解雇されないで済んでいました。 弟が亡くなって4カ月ほど、必死で生きていた気がします。 昨年5月、やっと弟は実家の菩提寺の墓に眠ることが出来ました。 その一年前には、実家の両親たちとお墓を掃除し、病気の治癒と手術の成功を見守ってくれた祖父母たち先祖に感謝しに行ったのです。 その翌年自分が入るとは思わなかったでしょう。 今でも私は心療内科で治療し、電車には乗るのが怖く、家に引きこもりがちです。 年老いた両親も心配ですし、相変わらず弟を思うと涙し、言葉も詰ります。 確かに時間は心をいつか癒してくれるでしょう。 でも、、私は弟を忘れることは出来ません。 質問者さまもそうではないでしょうか。 きっと私が死ぬまで、弟のことは忘れないでしょうし、忘れたくないです。 忘れないということは大事だと思いますが、不安定な気持ちは落ち着くまで、時間が必要です。 そしてその時間は、人によって流れる長さが違うのだと思うようにしました。 私の時間はとてもゆっくりです。 だけど、きっといつか私も弟にまた逢える時がきます。 その時、弟が亡くなってからの色んな出来事、姪である娘のこと、いろいろと楽しい話を持って弟に逢いたいです。 最後に私は弟に両親が最後にプレゼントした腕時計と、納骨の前にひと欠片だけ弟の骨の一部をもらい、ペンダントに入れました。 それは私が死んだら、骨壷にれてもらうことにしています。 写真を持ち歩き、それらを形見と思い心を落ち着かせたいと思っています。 何年かかるかわかりません。 それでも弟と過ごした時間は、私の大事な想い出なのです。 そう考えて生きていくことにしました。 長い長い文章になり申し訳ありませんでした。最後まで読んでくださりありがとうございました。 質問者さまも無理をなさらないよう、お体と心を労わってくださいね。
その他の回答 (2)
- yokohamanomama
- ベストアンサー率0% (0/1)
おつらいですね。お気持ちわかります。 私はおととしの夏に88歳の父を亡くしました。 88歳という高齢なのに、悲しくて悲しくて、とても他人事と思えず、思わずパソコンのキーを打っています。 おばさまはとてもお幸せですね。あなたにそんなに思ってもらって。 私は若い時に一度結婚して家を離れましたが、離婚してからは家で両親と30年間三人で暮らしていました。 父が亡くなった時は、泣き暮らして立ち直れないのではないかと思うくらいでした。 人は誰でも死ぬんだ、わたしだっていつかは死んで土に帰るんだ。そう思って気持ちを納得させようとしました。 人は誰でも一人で亡くなるのです。自然なことで、決して悲しい事ではないのです。 2年近くなって、心からそう思うようになりました。 毎日おばさまのことを思い出してあげてください。 毎日写真を見て思い出していると、なんだかその辺にいるような気持ちになります。 悲しい時は心行くまで悲しんでいいと思います。 時間が解決してくれますから。 ご主人がおっしゃるようにゆっくり暮らしてください。 きれいなものを見て。 月並みですが、楽しい映画を見るのもいいですよね。 近所に図書館があるなら、そこに行ってみるのもいいかも。 絶対に時間が解決してくれます。
お礼
ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。。。 今の私の、この気持ちをわかって下さるだけで、本当に救われる気持ちです。。。 (先日知人に話したら、軽く受け流されました…) …2年、ですか。。。 やはり自分にとって大切な人の死を受け止めるには、それなりの時間が必要なんですね。 今、伯母の写真や思い出の品を見るのは、本当に辛いのです。。。 もう少し時間が経ったら、少しずつ受け止められるように、心の整理をしていきたいです。。。 伯母が他界したことをきっかけに、今は元気な母も、いずれは自分より早く死ぬんだ、と考えると、怖くて怖くて。。。 もう誰の死に際にも立ちたくない気持ちでいっぱいです。 出来ることなら、私は長生きはしたくないです。。。 ゆっくり、やっていきます。 本当にありがとうございました。。。
- kyoromatu
- ベストアンサー率14% (746/5024)
ご心情は本当に察してあまりあるものを感じます。 どうか感情的に流されないで理性的な冷静さを取り戻して 頂ければと思います。 冷たい言い方にはなりますが、それが現実なのですから とにもかくにも受け入れるしかないのです。 いくら考えても悩んでも苦しんでも 仕方がないことは仕方がないし しょうがないことはしょうがないのです・・ そう割り切って開き直ることですよね この世の中はそういうことだらけなんです。 大きな問題であればあるほど逆に 複雑に小難しく考えないで単純にシンプル化することで 解決の糸口を見つけやすくなるものです。 ここはご主人の助言を信じることですね 伯母さんは素晴らしい人生を全うされたのですから お別れは悲しいでしょうけれど あなたの感謝の気持ちに喜ばれていると思いますよ(合掌) 死は誰にでも最終的に訪れる自然ですから 忌み嫌うような次元のことではありません ブータンは宗教国でありながらお墓もないし 墓参りなどという習慣もない
お礼
早速のご回答ありがとうございました。丁寧な回答の内容に、感動しました。 死は誰人も免れないものですよね… 死を恐れては伯母が可哀想だと思うのですが、なかなか気持ちの切り替えが出来ずにいます。。。 今は色々考えず、ゆっくり休むことにします。 本当にありがとうございました。
お礼
ご回答、本当にありがとうございます。。。 弟さまやご親族さまを亡くされ、ご自身の体調も優れない中、お一人で看病や様々な手続きをされたのですね…。 本当に本当に尊敬します。 自分にとっての、大切な人を亡くす悲しみというのは、例え何年経ったとしても癒えるものではないですよね。。。 私も、父を亡くして15年経ちますが、やはりいつ思い出しても切なくなりますし、命日は当時のことを思い返し「フラッシュバック」のような嫌な気持ちになったりもします。。。 …でも、こうやって同じように大切な人を亡くす経験をされた方に話を聞いていただくと、幾分気持ちが和らぎます。 本当にありがとうございます。。。 伯母と最後に会話したのは、伯母の亡くなる2週間ほど前で、どんな会話をしたのか全く覚えていないんですよね…。 伯母の亡くなる3日前、朝方伯母が私の夢枕に立ったんです。。。 嫌な胸騒ぎがして慌てて実家に帰ったのですが、その時には既に昏睡状態で、会話どころではなくて、「もっとちゃんと話しておけば良かった」と今でも後悔しています…。 まだ全然気持ちの整理が出来ずにいます。 でも、いつまでも悲しんで後ろ向きなことばかり(…生きていたくないとか考えてしまいます。。。)考えているのは、伯母の供養にならない、と思いますので、少しでも前を向ける日が来るように、今は少し休んで、ゆっくりやっていきます。。。 貴重な体験、本当にありがとうございました。 kagura01さんも、お身体ご自愛下さいね。 ありがとうございました。