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徳川源三の夭折までの日数は?
- 徳川吉宗の三男の “徳川 源三(とくがわ げんぞう)” は、生後何日で夭折した事になるのでしょうか?
- 享保4年3月14日(1719年5月3日)に生まれ、享保4年5月6日(1719年6月23日)に亡くなった徳川 源三。
- 彼の夭折までの間はたったの53日間でした。
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僭越ながら学生時代中世の歴史を研究した者です。ご指摘の没年の幅をもたせたのはあくまで私見ですが、私なりの研究の根拠があります。ある研究のテーマの中で人物の生没年を特定する作業が頻繁にありました。 結論としては、確実にある日に亡くなったと特定するには、当時かかわったであろう様々な人物の登場する史料(公古文書、私古文書、寺社記、日記、落書?の類)を総合時系的に比較照合する中で幅をもたせないと齟齬か生じる歴史的事象が数多ありました。そこから導いた答えが おおよそ10日という幅でした。 非常にわかりにくいと思いますが、それを愚なる根拠としております。前述しましたとおり私見ですので聞き流していただければ幸いです。 ネットに出でいる様々な情報から類推すれば沃折した日は容易に特定はできると思います。 殊に歴史上に登場?する人物(有名無名にかかわらず)の生誕に関する記録は実に曖昧なものです。 近世の江戸時代は史料が整っているとはいえ、確実性はを求めるにはまあ難ありです。 過去の歴史を見ることは様々な史料等から、多分そうだったであろう とあたりをつけることなのです。 それが面白いのですが。 歴史かお好きのようですので、いろんな史料、文献を読んでみれは如何でしょうか。 例えば、尾張徳川家の史料文献を収める蓬左文庫というのかあります。膨大な数ですが徳川将軍家の記述もあったようななかったような。 古くは尊卑文脈 近世なら群書類従などの系譜史料を見ても面白いかと思います。 勉学がんばってください。それでは。
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- r136a1
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生後43日~51日の間で亡くならたと推察されます。
お礼
御回答ありがとうございました。
補足
>生後43日~51日の間で亡くならたと推察されます。 生後43日~51日 と幅がある理由は、何故なのでしょうか? 生後43日~51日 と幅がある理由を教えてください。 また、日数の幅なしに、徳川源三は、生後何日で夭折した事になるのかを教えてください。
お礼
御回答ありがとうございました。