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歴に詳しい方「鬼畜米英」という語句の登場は?
「鬼畜米英」という語句を最初に使用したメディア・機関はどこで、いるごろからでしょうか?
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1944年の下記の3番の歌詞にあります。 http://gunka.sakura.ne.jp/nihon/beiei.htm 下記は長い割にはっきりした証拠が挙げられていません。 https://tanken.com/kitikubeiei.html 下記では流行語として1941年ごろからとあります。 http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/171.html 僕の記憶では警察、学校、郵便局などの建物に標語として出ていたのは1941年ごろだと思います。
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- eroero4649
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私の記憶(当時の記憶ではもちろんなく、何かの資料を読んだ記憶)では、日本が連合軍に対してファナティック(狂信的)になっていくのは1944(昭和19)年あたりになってからだと思います。 というのも、1942年前半までは勝ち戦でしたからね。国民はミッドウェーの敗北を知らされていませんから、みんな勝ってると思ってました。 祖母に生前聞いた話では「勝ってる勝ってると聞いてたのに、日々物資が手に入りにくくなっていくからおかしいなとは思っていた」ということでした。 戦時中のスローガンに「黙って働き、笑って納税」というのがあります。これを聞いて私は気づいたのです、ああ、今って戦時中なんだなって・笑。 国民の士気を鼓舞するためのスローガンがいつどこから出てきたのかを正確に把握するのは難しいでしょうね。ただ、開戦前の国民感情としては反米感情が高まっていたというのはあると思います。徳富蘇峰など、そういう方向に国民を煽った人たちもいましたからね。 一時期ネットで「戦国時代に日本人が奴隷としてヨーロッパに売られていた」という話がまことしやかに流行り、ここでもよく質問が立ったことがありました。曰く、「支倉常長は慶長遣欧使節団でローマ教皇にヨーロッパ人奴隷商人の非道さを強く訴えた」とか「行く先々で檻に入れられた日本人が泣きながら助けを求める姿を支倉常長らは見た」とか。 そんなに大量に日本人がヨーロッパに連れてこられたなら、ヨーロッパ人に日本人のDNAが混じってもいいじゃないですか。メスティーソやムラートのようなね。でもそんなの聞いたことがないじゃないですか。実際ヨーロッパ人に日本系のDNAは入っていません。 私はそういう質問を見て、いろいろ調べてみたんですよ。当時はそのことを訴えるホームページやブログの記事がよくあったんです。調べると、ほぼ彼らの根拠としていたのがひとつであったと分かったのです。それは、徳富蘇峰が書いた書籍からでした。 じゃあ徳富蘇峰は何を見てそんな話を書いたのか。それはとうとう分かりませんでした。考えてみれば慶長遣欧使節団は友好のために派遣された人たちだから、そんな無礼をするわけがない。これは私の推測ですが、当時反米、反英感情を煽っていた徳富蘇峰はそういう話をでっちあげたんじゃないかなと。 20世紀はプロパガンダの時代ですからね。
お礼
昭和19年あたりからですね。 ありがとうございます。
- g27anato
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「本土の国民」が「海外の敵兵」と対峙することが無い時期の話です。 無条件で「名を馳せた」とする話は初耳です。 …まだ日本軍に余裕があった時期に、日本軍が進駐していた外地の一部の捕虜収容所で、良識ある指揮官が敵兵を良識的に扱ったという話ならありますが。 その話とは関係なく、 アジアからの欧米排除を目的として進駐した陸軍内部でも、戦意高揚を目的に敵兵を「鬼畜」として教育した事例は聞いたことがあります。 「鬼畜米英」という語句は戦況が悪化し始めた頃から、まだ実態を知らされてない本土の国民に向けた大本営発表の記事とともに、社説などで盛んに用いた煽動用語だったと認識してます。 戦争の後半には、 「敵兵に捕まれば婦女子は容赦なく陵辱され、妊婦は生きたまま腹を裂かれる。」 そういう噂が日本中を覆っていたと、 …戦時を生き延びた先人からも聞いてます。 「鬼畜米英」という表現が盛んになったのはミッドウェー敗戦から硫黄島陥落の頃ではないかと推測してます。 それ以前の資料画像等では日本軍の快進撃やが優位とする記事のほうが多く、米英を鬼畜として煽動する記事は多くなかった気がします。
お礼
いわゆる負け戦になってからですね。 ありがとうございま~す。。
- guchiliy
- ベストアンサー率11% (36/311)
朝日新聞社とNHKラヂオ . https://monqu.web.fc2.com/NhkImages.html#NHK1
お礼
新聞とラジオですね。 いまは、インターネットで中共や韓国を誹謗することが少なくないですね。 特に韓国の日本非難は根強いし、日本社会にも根深く浸透しています。 「鬼畜米英」は三国の陰謀でしょうか?
- roadhead
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1939年の太平洋戦争、いわゆる第二次世界大戦開戦時には既に使用されていた言葉のようです。 アメリカに宣戦布告をする前にはアメリカとの友好関係を継続すべきとの声もありましたがそれらの声を一蹴するために使われた言葉と聞いた事があります。 しかしそれを裏付ける資料は見たことがありませんので根拠は分かりませんが戦争当時の資料を探せば出てくるかも知れません。 発信元は新聞と言うより当時の陸軍だと思います。
お礼
風評の域を出ないのですね。 私もそう思っていたのですが、各地に外国人捕虜などと良い関係を築いた話が伝えられているのです。 「鬼畜米英」的世論がたかまり、落下傘降下した未成年の兵士を惨殺したという記事や、子どもながらに見聞きした体験を、ふと耳にする機会が何度かあったのです。 聞き流していたのですが、いま、記憶と事実を考えて見たくなったのです。 … 韓国・北鮮や中国を蔑視する記事や投稿もよく目にします。 これを否定する投稿は皆無です。 有事には怖いと思います。 ありがとうございます。
- e1077
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https://tanken.com/kitikubeiei.html こんな記事がありましたよ。
お礼
第二次大戦と第一次大戦では捕虜の扱いが違いますね。 特に、終戦間際には、思想の取り締まりに加えて、捕虜の扱いも残虐になったようです。 いま、それを語ることはタブーから抜け出ているように思います。 爆撃機から脱出した米兵と、第一次大戦のドイツ兵捕虜では全く違うと思います。 太平洋では、餓えと病魔のほうが怖かったと思っていました。 新聞社の扇動だったのでしょうか? ありがとうございます。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
詳しく調べたことはありませんが、 これまでの知識では、 …「太平洋戦争中」に、 各地の戦闘で日本側の敗戦が続き、 軍内部で沖縄を含む「本土決戦が想定」の範囲に入ってきた頃、 国民が巻き込まれる事を予想した新聞社が、 国民の反米意識を煽る目的から、 「記事の見出し」で盛んに使っていました。
お礼
日本兵や日本国民は、降伏した兵士を人道的に扱うことで名を馳せたのです。 現在のマスコミでは、残忍なイメージが主流で、納得がいかないのです。
お礼
SPS700 様には意外な資料を教えていただきました。 中国戦線から太平洋へと巨大な戦争へと国民を駆り立てたのは、軍の意向を忖度したマスコミの身勝手かと思うようになりました。 更に、 私のの中で、盧溝橋事件はさておき、とりわけ真珠湾攻撃は綿密な準備で成功はしたと思います。 しかし、大変失礼と思うのですが、攻撃の目的は無かったとと思うのです。すなわち馬鹿と阿呆とが、反対意見を押さえて「銃乱射の暴漢」的行為に走ったと閃きました。 … 親族で帰らぬお父さんもいたのです。 一方軍人恩給で、寒村には潤って傍若無人に振る舞った家庭もあったのです。 開戦時に、真珠湾粉砕後のことを考えたのかと言うことです。 チンギスカンやナポレオン・ローマ帝国など、領土を広げた後の支配体制を研究したのかと言うことです。 日本陸海軍は、留学も必要ですが、上級将校には、国内でも歴史・政治学の研究をさせるべきだったと思うのです。 自衛隊では、上級幹部は占領政策の単位も諸外国の大學で学ぶべきと閃きました。 概ね海外派遣の様子は良い面が報道されてはいますが、…。 … 話はそれてしまいましたが、「米英鬼畜」は太平洋戦争初期には無かったのですね。 ありがとうございま~す。