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東京に坂が多いのは何故ですか?

東京に坂が多いのは何故ですか?

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  • eroero4649
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回答No.5

>海だった場所が何故陸地になったんでしょうか? 単純にいうと寒冷化したからなのですが、よく分かっていないことも多いです。 少なくとも縄文時代は今よりも暖かかったようです。縄文遺跡って、青森県にやたらと多いんです。三内丸山遺跡が有名ですね。縄文時代の東北にあんな「大都市」があったことは考古学的に大変な驚きです。 で、どうも当時の東北は今よりずっと温暖だったらしいということが分かってきました。だから狩猟生活が成立していたようです。 この地球は、思っているより短いスパンで暖かくなったり寒くなっていることが、南極の氷を調べることで分かってきたんですね。 例えば10世紀前後は、かなり暖かったようです。その時代に北欧のバイキングが活躍しているのですけれど、世界で最も過酷な海のひとつとして知られる北海で彼らがブイブイいわせられたのも、どうもその当時は今に比べると温暖で穏やかな海だったみたいです。グリーンランドで彼らの遺跡が発見されましたし、どうやらカナダにも達していたようです。 16世紀頃からは逆に寒冷化して「プチ氷河期」がやってきました。当時はロンドンのテムズ川も冬になると凍ったそうです。またこの寒冷化がヨーロッパでペストの流行の一因になったという説もあります。日本でも「天明の飢饉」などがありまして、かつては天明の飢饉の原因は浅間山の噴火だといわれていましたが、近年はもっと地球的な規模の寒冷化が原因であっただろうといわれています。 三国志で知られる2世紀末頃も、寒冷化していたようです。それにより作物の不作が続き、世の中が乱れる原因になったようです。 南極の氷を調べて分かったことは「地球の気候はここ千年ばかりはすごく穏やか」ってことでした。それ以前はかなり頻繁に温暖化したり寒冷化したりが起きていたようです。その原因は全く分かっていません。 ゆえに、近年の地球温暖化の原因はCO2のせいじゃなくて、元々地球が持っている気候の不安定性のせいだという人もいます。ただ専門家の多くは人間の工業活動が温暖化に強い影響を与えていると指摘していますけどね。 ちなみに関東平野が東京湾に覆われていた頃、大阪平野もほぼ海でした。海というか汽水湖だったみたいです。奈良県の北半分くらいも海なんですよ。 だから飛鳥時代の遺跡なんかはやたらと奈良県の真ん中あたりにありますけれど、なんであんな内陸部に多く人が住んでいたのかと思ったら、当時は海岸近くだったのです。 海岸線が行ったり来たりしているのは、地質調査をすれば判明します。けれどなぜ海岸線がこんなに行ったり来たりしているのかの理由については実際のところほとんど分からないといっていいでしょうね。

Sailormoon7
質問者

お礼

詳しく説明して下さり恐縮してしまいました。 ありがとうございます(^.^)

その他の回答 (5)

回答No.6

坂が多い土地に東京を作ったからです

Sailormoon7
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34534)
回答No.4

>その地形が出来た原因を知りたいのですが。。 元々、東京の西側、つまり23区外の地域は武蔵野台地と呼ばれる台地です。ちょっと高くなっているんですね。その台地を、多摩川とか神田川とかが削って川が流れている場所が低くなっています。渋谷は渋谷川が削った場所です。長い間渋谷川は暗渠で封印されていましたが、最近の渋谷の再開発であえて姿を現した場所が出てきました。ブラタモリでやってましたね。23区の西側にある坂は神田川や渋谷川や目黒川などが作ったものです。 東京の東側の平らな部分、今の荒川や江戸川や隅田川などの地域は、縄文時代は海でした。縄文海進というのですけれど、巨大な内海が東京から千葉、埼玉にかけて存在していたのです。埼玉?その通り。草加や越谷は縄文時代は海の底でした。今の川越あたりまで海だったのです。その地域は奥東京湾と呼ばれています。霞ヶ浦や印旛沼も全部海です。 それから徐々に海岸線は下がっていきますが、千年前でも霞ケ浦はほとんど海です。今の浜名湖みたいな汽水湖だったといわれています。利根川は今は銚子市に流れていますが、あれはほぼ江戸時代を通じて行われた工事によって今の流れになっていまして、それまでは利根川は荒川と合流して東京湾に注いでいたのです。だから今の江戸川、隅田川、荒川、中川は利根川だったのでまあ水量が多い。というか台風が来るたびに氾濫する暴れ川だったのです。 元々海の底だった低い土地の上に、すぐ近くを荒川と利根川という大きな河川が流れていたので、関東平野の南部分つうのはほぼ湿地帯なわけです。しょっちゅう洪水被害に遭うから、田んぼにならない。「徳川家康が江戸に来たとき、そこはただの葦原だった」といわれているのはそういうことです。 ちなみに世田谷の辺りは沼地です。戦国時代くらいまでの江戸は、台地と沼地と葦原が入り組んだ不毛の地だったのですよ。世田谷は元が沼地ですから、首都直下型地震に襲われると液状化現象が起きるだろうといわれています。あの辺は道も狭いし家も立て込んでいるし、大地震がきたらえらいことになりますよ。 最近、非常に見やすいビジュアル版の古地図みたいなのが出ています。それを見ると面白いですよ。東京の地形がどのようにして作られたのかがよく分かります。港区のあたりに武家屋敷が多かったのはそこが台地で災害に強い場所だからですし、下町に庶民が多かったのもそこは頻繁に洪水に襲われる場所だったからです。

Sailormoon7
質問者

お礼

詳しいご説明ありがとうございます! 海だった場所が何故陸地になったんでしょうか?

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8477/18147)
回答No.3

台地の端に町を作ったからです。

Sailormoon7
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.2

いくつか理由がありますが、江戸の中心部はほとんど湿地帯の土地で、徳川家康が秀吉の命令で国替えさせられてきたときには高い土地は湿地帯の中の島のような状態だったのです。そこを埋め立てたり島を崩して平坦にしたのが今の東京です。何故低い土地だったかと言えば、多くの皮が流れ込んでくるところだったからです。江戸の「江」というのは大きな川という意味で、その河口だから「江戸」なわけです。なぜ島として残った土地があったのかと言えば、固い地盤だったから。つまり柔らかい土地が削られて川になり、そうでないところが中州(島)として残ったわけです。低い土地を埋め立て、島だった高い土地との間に坂ができたというわけです。

Sailormoon7
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 東京湾近辺は昔から埋め立ててたんですね。

  • eroero4649
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回答No.1

思ってるより、地形に起伏があるからです。 世田谷とか渋谷なんてのはその名が示すとおりに谷なんですよ。それで目白とかの山の手のほうはその名の通りに小高い場所になっています。江戸城(皇居)も南側(東京駅)の辺りは江戸城ができた頃は海でしたし、北側(九段下)は結構高い場所で高低差があります。 23区内は、意外に地形の起伏があるのですよ。タモさんも大喜びです。

Sailormoon7
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 その地形が出来た原因を知りたいのですが。。

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