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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:読書の情報濃度)

読書の情報濃度とは?

このQ&Aのポイント
  • 読書の情報濃度は、本の内容がどれだけ豊富で深いかを表す指標です。
  • 移動が多いため、物を増やすことが好きではないが、読書には没頭することがある。
  • 読書は英語学習にもなり、情報量も程よいと感じているが、情報濃度の効果は未だに有効であるか疑問である。

質問者が選んだベストアンサー

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  • heyboy
  • ベストアンサー率21% (1852/8731)
回答No.2

自分は本はほぼほぼ読みません ただ、今までの学んだ経験と それと反芻する力で思考してます。 でも読書は良いですよ と言うか大昔の自分はよく本を 読んでいましたが。 自分は思うに読む事は「有効」です しかしながら、ウッキペギアも そうなのですが、 それらの情報を鵜呑みにするのではなく 自分でそれを確かめるのが 一番正しいと思われます。 ま、年寄のたわごとなので あまり気にしなくてもいいですよ。

vietdistortion
質問者

お礼

>>自分は本はほぼほぼ読みません ただ、今までの学んだ経験と それと反芻する力で思考してます。 自分も冊数をこなしているかと聞かれたら、甚だ疑問ですが。「経験」もその個人の環境属性から出てきた「経験」と知識を照らし合わせたものは、至極個人的なものになるので微妙なんですよね。対極として、文化人類学のある本を読んでそれを自分がバリで経験した内容と重ねるとリッチな知識になっている、という気付きはありますよ。まあ、それも、若い頃の興味(味覚)が根底にあったりするので、多少の「頭デッカチ(お勉強)」期間は今にしてアリだったのだと思います。 >>でも読書は良いですよ と言うか大昔の自分はよく本を 読んでいましたが。 年齢とともに、手に取る本の主題は変わる気はします。『コインロッカーベイビーズ』を40歳を過ぎて再読しても、当時の書き手は自分より全然若いですし、描写の捕らえ方が若い頃とは違うのですよね。作中に出てくるスラムはフィリピンを意識しているな・・等の背景理解は若い頃には持ち得なかったものですが、大本にある若さやエネルギーは現在の自分が失ったもの、という意識があるためです。 歳を取ると映画や小説を読んでも世界に入れない、というのはよくあります(『君の名は。』は私にはきつ過ぎて冒頭の10分で観るのを止めています)。『マディソン郡の橋』を読むような中年にはなりたくないので、現在は大きくノンフィクションという括りで面白いものを探す感じでしょうか。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (7026/20696)
回答No.1

読書の楽しみは 情報収集だけが目的ではないので それは人それぞれの問題です。 ビジネスマンがビジネスに役に立つ本ばかり読んでもビジネスの達人になれるわけでもないとはご自分でも書かれている通りですね。 情報を集めたら それをどう使うか というところに意味があるのでしょう。

vietdistortion
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 単に仕入れた情報を使うだけでしたら、例えば、英語やプログラミングの教本、中小企業コンサルタントの資格に纏わる本などで道は開けるのですよね。あとは対人で「社会との関わり」が出来上がってゆくのかなと。 個人的に、読書は情報を仕入れることには違いないのですが、本来考えてもしょうがないことを考えるためにしているような側面が強いかもしれないです。しかし、一例ですが「人種差別はいけない」と社会通念(倫理)で諭されるよりも、なぜそれが科学的(文化人類学的)に正しくないのかを知るには、一冊2-3時間程度で読める本を通じた経験累積では不可能だと思うのですね。 2019年間など、創世記に比べて瞬きでしかない・・これは「考えてもしょうがない」ことですが、僕が好きな本は主題こそ変われ、だいたいそこに帰着する気がするのですよね。

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