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五重の塔を建てたのは韓国人?
五重の塔を建てたのは韓国人? 文献を調べてみると朝鮮半島から日本に仏閣などの建築技術が伝わったのが紀元前6世紀中頃で、五重の塔が建造されたのが7世紀に入ってからのようです。 その歴史を考えると、まだ建築技術に歴史がなかった昔の大工が五重の塔のような免震構造を備えた壮観な物を作れるのでしょうか? 少し疑ってしまいます。
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韓国は昔からあったわけじゃないけど 今の韓国のあるところから日本にたくさん人が入ってきたのは事実でしょう。 人類はアフリカで誕生して 世界中に散らばっていったのだから 日本にいる人は 海外から来たというのは学術的にもそういうことになっています。通ってきたコースがひとつではないですけど。 この時代の寺社建築は 仏教の伝来と密接な関係があります。 『日本への仏教伝来は6世紀半ば。同時期に朝鮮半島から造仏工や造寺工が渡ってきて、法隆寺をはじめ、飛鳥寺や四天王寺などの本格的寺院が造営されました。朝鮮から伝わった建築技術はそれまでの日本にはない、壮大で異国的な美しさがありました。 中でも法隆寺は、五重塔が日本の建築のシンボルとして世界的に有名です。絶妙なバランスで設計され、世界一美しい建造物と称されるこの建物は、インドのストゥーパ(仏塔)をモチーフとしているものの、中国を経由して日本に伝わる中で、日本の伝統的な建築思想が加えられ、独特な層塔として完成したものです。』 https://atm-koumuten.jp/narakenchiku/horyujigojunoto/
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- ichikawa2017
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>五重の塔を建てたのは韓国人? 韓国人か否かは別として朝鮮半島出身の技術者が関与していたであろうということは下記のURLからも推定できます。 参考 金剛組 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/金剛組 抜萃 578年創業で現存する世界最古の企業である 中略 578年、四天王寺(現在の大阪府)建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。 >まだ建築技術に歴史がなかった昔の大工が五重の塔のような免震構造を備えた壮観な物を作れるのでしょうか? 仏教寺院のようなデザインの建物に関する知見はありませんでしたが大型の建造物を建てる技術は7世紀以前に既にありました。 古代出雲には4世紀前後には高さ約48mの出雲大社があったとされています。 参考 昔の出雲大社には伝説の巨大神殿が実在した!!過去の巨大神殿の ... http://xn----5b8ax8bf9l52i5xley4a9w3c.jinja-tera-gosyuin-meguri.com... 更に青森県の三内丸山遺跡には縄文時代には既に巨大な柱が建てられていたことが判明しています。 参考 三内丸山遺跡の六本柱と太陽 http://www.asj.or.jp/jsession/old/2009haru/01_sandai.pdf 抜萃 1994年に発見された大型掘立柱 建物(通称六本柱)は,4200~4300年前のものである。土 にかかった木材の加重から,14~23mの高さの木柱が建っていた 可能性があることがわかり,柱と床の形で復元されている 免震構造に関しては五重塔の心柱が良く言われますが実際は塔全体の構造が寄与しています。 特に建物を組上げている木組みが寄与しています。 日本の古建築に使われている木組みは力が加わると差し込んだ部分がズレルように刻まれています。 建物全体に無数にある木組みの部分が僅かずつズレルことによって建物に加わった力を吸収します。 このような構造は恐らく中国大陸や朝鮮半島で発達したものではなく地震が頻繁に起こる日本独自のものとされています。 御質問の7世紀以降に作られた寺院にもこの技術は使われていました。 デザインなどは朝鮮半島から渡来した技術者が主導していたと思われますが組上げる際には日本人の職人によって日本古来の免震技術が採用されていたと考えられます。
- whaihansei
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宮大工西岡常一は1934~54年、法隆寺の昭和大修理にあたり 次の1000年に向けた改修を行った。 塔はインド、中国を経由し日本に齎されたが、五重塔は日本化しており 地震大国であるゆえの耐震化(柔構造と心柱の仕組)等が施されている。 参考: http://pagoda.sakuraweb.com/pago.htm http://kousin242.sakura.ne.jp/maruhei/近代-2/西岡-常一/ なお日本の耐震技術は城、石垣にも見られる固有の技術である。
- g27anato
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いくらなんでも韓国人てことはないでしょう。 その時代に韓国なる国家が存在した話は聞いたことがありません。 当事の仏教に関連する文化は、朝鮮半島南部の漢系民族国家を経由して流入したものだと思いますがね。 仏閣の新しい建造技術は、当然ながら「当時の朝鮮半島」経由で入って来たものだろうと思いますよ。 まさか「現代の韓国人がなんて、到底考えられない事です。 タイムマシンを使ったとでも言うのでしょうか。 悪いけど、真っ向から否定させてもらいます。 また、実際に立てたのは日本人大工ではないでしょうかね。 あれだけのものを建造するために、技術者以外に必要な大工から資材や工具まで全て半島から調達するというのは、さすがに当時では不可能でしょう。 多分、重要な部分を担うだけの技術者が渡来してきて、 その指導の下に集められた日本人大工が資材から道具までを調達して、 日本人大工が自らの手で建てたと考えるのが妥当だと思いますよ。 何にせよ、第二次大戦後に作られた「韓国」人が…というのは絶対無理です。
- oska2
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>五重の塔を建てたのは韓国人? その通りです。 韓国の正しい歴史では、地球上の文化・技術は全て韓国が起源となっています。 俗に言う「韓国起源説」ですね。 稲作・製鉄・羅針盤・火薬・印刷技術など、全てが韓国発祥です。 数年前には、孔子・孟子も韓国系との事。 私が一番驚いたのは、偉大な中国の皇帝陛下である習近平も韓国人らしい。^^; 1895年まで朝鮮半島を実質的に支配していた中国国民も、「韓国起源説」に驚いていますよ。 文在寅臨時革命政権が誕生してからは、ますます「韓国起源説」が重要視されています。 韓国がなければ、韓国を除く世界各国の人々は未だに原始時代の生活水準です。 (文在寅主席と在日民団の会談で)まもなく在日の方々が(戦後約70年経ってやっと)祖国に帰還します。 今のうちに、感謝しましよう。
- fujic-1990
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韓国人(先祖を含む)には無理だった、と思います。 戦時中の朝鮮でも、韓国人の畑と日本人の畑は一目で区別できたそうです。韓国人の畑はいい加減に畝がうねって曲線になっていたが、日本人の畑は定規で引いたように畝が平行な直線になっていたから、とか書かれいます。 日本人が、西洋人のようなシンメトリーな美を好まず、いびつな、未完成の美しさを評価するようになったのは、韓国人が伝えた仏教建築のいい加減さ、いびつな寺院(それに対する驚き、敬意)が大本の原因だったのではないか、と、私はマジメに考えています。 加えて、コンピューターシミュレーションができない昔の建築には試行錯誤が不可欠だったと思いますが、韓国にはほとんど地震がありません。 津波がない、例えばモンゴルのような土地では「津波」に相当する言葉が誕生しないように、地震がない国で耐震構造の建築は生まれません。 技術は一生懸命考えれば生まれますが、地震という「発想」が生まれない地域では技術は生まれないのです。大昔の日本で(南米の風土病だった)梅毒の治療法が生まれないのと一緒です。地震がない土地では日干し煉瓦で十分なのですから。 もちろん、五重塔などを実際に作った人たちが、韓国人の子孫ではなかったという証拠はありません。韓国人の子孫だった可能性は常にありますが、長年日本で暮らして地震の怖さを十分に知った「日本人化した」韓国人子孫でしょう。 あるいは、純日本人だったかもしれません。可能性はどっちにもあります。
- あずき なな(@azuki-7)
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そうですね ちなみに稲作だって韓国人が伝えたんです 韓国ってのは偉大ですねー 笑
- edogawaai
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朝鮮半島には地震が無いのですが その国で免震構造を持つ建築物を立てる技術が生まれるのは 朝鮮人が天才の民族 の証拠と思われます
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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韓国という国は当時はまだありません。 なので、韓国人ではないです。 紀元前6世紀半ばから7世紀は千年以上も時間がありますよ? そのくらいあれば日本人大工が建てても当然です。 五重塔建設から1400年ほどでスカイツリー建設しましたから、別におかしいことでは無いかと。 歴史と言うよりも算数ですね。。。 多分「50年しか経っていないのに?」と思われたのでしょうけど、7世紀も紀元前の事だと思ったら、技術が伝わる前に五重の塔を建設してしまったことになります。 年表にすると ――BCE650あたり 建築技術伝来 ⋮ ――CE1 キリスト誕生 ⋮ ――CE607 法隆寺創立 ――670年法隆寺全焼?再建(日本書紀) 五重塔建設は7世紀末~8世紀初頭です。 朝鮮半島からと言っても半島から追い出された百済人や半島経由の漢族系や他の民族の方が多かったようです。 また、日本から半島に移り住むも再び日本に戻ってきた人々も「渡来人」としてカウントされていたようです。