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体罰はしつけであり、暴力ではないと考える理由
- 体罰はしつけであり、暴力ではないと思うように変わりました。体罰と虐待は全く異なる存在と考えなくてはならない。
- 多くの調査では「子供の躾として身体的苦痛を罰として与えること」を体罰としており、相対的に体罰を受けた経験を持つ子供は心理的に安定傾向にある。
- 子供の成長にはある年齢層には体罰が必要であり、親から明確な善悪を示されることを欲している。一方、虐待や体罰を受けずに育った子供の心も非常に不安定な傾向が顕著である。
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「痛くなければ覚えませぬ」 人格形成にはストレスを受けることで強くなるという側面もあると思います。 特に子供には大人の理屈は通りません。 そのため 「お父さんやお母さんの言うことはよくわからないけど、とりあえずOOしたら、げんこつがあるからOOはしちゃだめだ」 という認識で出発し、成長するにつれ 「OOしちゃいけない理由はこれだったのか」 と理屈を踏まえて教育していき、納得させるようにしていけばいいのではと思います。 子供のころの経験は強烈です。 これらの軽度の体罰をうけることできっと深層心理で悪いことへのトリガーが働くなら、これらの経験がないことは子供へのリスクと考えていいと思います。 ただし、体罰の内容は行き過ぎないように。。。。 「加減しろ莫迦!」といいたくなる、教育のストレス発散と間違えてしまうかわいそうな事件も多いので。
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- koncha108
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「体罰はしつけであり、暴力ではない」と考えなくてはならないのでは この考え方はおそらく多数派でだからこそ、法律で認められた親の懲罰権を無くすという議論に議員さんたちも抵抗するのだと思います。 私も基本的には子供のしつけに親の体罰はあって良いとは思います。。 問題はどこからどこまでが体罰でどこからが暴力なのか線引きが難しい。体罰をする時に親は冷静で愛情を持った教育的な考えだけでやっているわけではなく、怒りや憎しみなどの感情も混じっている様に思います。またやりすぎなのか適度なのかの基準もありません。 そんな中で先日の痛ましい虐待死が発生し第三者が現場で判断することも難しくなると、仮に適切な体罰があったとしても一律で禁止するしか子供を暴力や虐待から守ることが難しくなる。 そういう自体なのだと思います。
補足
現在は、体罰禁止が多数派の時代です。 最近では「親による体罰を法律で禁止」することに賛成と答えた人が59%_反対と答えた人は21%でした。 また私が以前みたテレビ番組だと71%が体罰を禁止すべきと回答していました。 また間もなく国会で「親による体罰を禁止する法律」が作られる予定になっています。 今後は「親が子供を躾として体罰を行った場合においても、それは公的に暴力として扱われる」ことになります。 間もなくです。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15943)
言葉のわからない子供には >これが、どういう意味かは解りませんが、言葉が話せなくても ちゃんと親の言うことは理解、出来る子も居ますよ。 うちの子は言葉が遅く3歳直前まで10個、足らずの単語しか 喋れなかったけど、歩けないうちから、「これは熱いから触っちゃ駄目だよ」 「これは痛いから、触っちゃ駄目だよ。」で、ちゃんと通じてましたよ。 大人が理解出来ないって思ってるだけだと思います。 本当に通じてるか、確認のために、つたい歩きのうちの子に 「ごみをゴミ箱に、ポイしてきて。」とか言って「解った?OK?]って 聞くと頷いてゴミを捨ててました。 大人と同じように、ちゃんとコミュニケーション取れてました。 なので、うちの子は危ないこととかは全くしませんでした。 だだをこねるも、ほぼ無かったです。「買って。」も、野菜とか果物、魚とかで おもちゃやアクセサリーの時も「クリスマスにね。(誕生日にね。)」と 「OK?」って聞くと頷いてました。 大人が、子供を子供だから、どうせわからないだろうと馬鹿にして育てるから、 そういう風に育つんだと思います。 ちゃんとコミュニケーション能力も高いし、精神的にも強く育ってます。 なので体罰は必要だとは思いません。
補足
> 言葉のわからない子供には >これが、どういう意味かは解りませんが、言葉が話せなくても > ちゃんと親の言うことは理解、出来る子も居ますよ。 > うちの子は言葉が遅く3歳直前まで10個、足らずの単語しか > 喋れなかったけど、歩けないうちから、「これは熱いから触っちゃ駄目だよ」 > 「これは痛いから、触っちゃ駄目だよ。」で、ちゃんと通じてましたよ。 お釈迦さまは、生まれてすぐ立ち上がり歩いて言葉も喋れたそうですね。 また歩くよりも速くに饒舌に話しをする子供が50年ほど前に確認されてもいます。 でもそれは体罰や虐待問題とは何も関係ないですね。 幼少期の子供は親に甘やかされることを前提に成長するのだそうです。 1~3歳ぐらいの子供はとにかく甘やかすことが重要で、その甘やかし方に良し悪しがあるそうです。 「言葉のおぼつかない子供で自らの意志で積極的に行動する4歳~10歳ぐらいまでは、一定程度の体罰を認めなくてはいけない」、これは悪いことをした子供に、子供にわかるレベルで明確な意思表示が必要なためとのこと。 またある心理学者が「子供は親から明確な善悪を示されることを欲している」といった類の話をしています。 本能的に人は悪いことを拒絶し、良い行いをしたい気持ちを持っているが、良いこと悪いことの定義は本能的なものではなく、社会や文化に起因するとのこと。 そこで親が叱らない教育などをして、時に子供を大きな声で叱りつけたり、身体的刺激によるメッセージとなる体罰などを禁止して接し褒めてばかりいたりすると、論理が通じない子供にはまるで理解できず、子供の心は虐待を受けた子供と同じように不安定になってしまう と考えられるとの話です。 またこれらを裏付けるように、アメリカの刑務所の囚人からの聞き取り調査の結果は「親から虐待を受けて育った人」が多い中、同じぐらい「親から叱られることなく、全く体罰の経験がなく育った人」が多かったとのこと。 体罰を全否定していると、そのことによって多くの子供が精神的に不安定に成るというかたちで被害を受けることになってしまうのではないでしょうか。
- washi-washi
- ベストアンサー率38% (225/587)
正直なところ、子供には体罰は必要です。体罰を与える事によって、子供は痛みと言うものを覚えます。痛みを覚える事により、優しさを覚えます。一方、体罰を受けたことのない子供は、他人に何をしても悪いという感覚がありません。だから、虐めに発展するのです。 逆に言えば、体罰も与えず甘やかして育てた子供は、親に対して何でも強請る様になり、聞き分けがきかなくなります。モールに出掛けると、聞き分けのない子供を多く見かけます。泣いて強請れば、親が何でも言う事を聞いてくれると言う知恵がついてしまうんでしょうね。そんなのは、親として失格です。 子供に対して、張り倒すと言う様な体罰は如何なものかとは思いますが、拳骨一発で黙らせる・言い聞かせる体罰は必要だと思います。しかし、今の学校教育・子育ての仕方において、親が体罰の与え方を知らないのが現状です。体罰の与え方を知らない親が体罰を与えたら、まず虐待になってしまうかと。 どこかで、日本の子供教育の歯車が欠けてしまったと私は思います。ぶっちゃけて言ってしまえば、正しい体罰を与えることが出来るのなら、例え学校の先生でも構わないと私は思います。
補足
人類史上、親だけで子育てをしている時代はここ100年、200年ほどなのだそうです。 それ以前はほとんどの地域で共同保育が人類の子育ての標準で、そんな時代が最低でも1万年以上続いてきたのだそうです。 産業革命以後、人類の生活は劇的に変化し、夫婦二人で子育てをすることが一般化し、昨今の日本で言えば地域社会も崩壊し、親族関係も疎遠になり、完全な夫婦二人子育てをしているところも珍しくありません。あるいは1人で子育てをしている人までがかなりの人数います。 なので子育てがストレス過多になってしまうことも無理ないのだそう。 ことは長年の人類に備わった子育ての前提とはかなりかけ離れた行動で、共同保育やそれに近い状態を作っていくことが親による虐待を減らしていく一つの方法なのかと思います。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
体罰を、自身の親や先生としてのスキル不足の補填や手間を省く手段として使われることがあるのがダメなんだと思いますよ。 昔、日常的に体罰をしていた先生が、自分の子が在学している間だけ体罰をしなくなったのを目の当たりにしていました。 質問の意図や主旨には賛成なのですが、簡易的に使うことには反対です。
補足
体罰と虐待が根本的には関係ないことが、広く理解されてほしいですね。 虐待を無くすための努力が必要な時に、体罰を禁止して「やったような気に成る大人」が増えると、学校のイジメ問題と似て、問題が放置されてどんどん深刻化していってしまいますからね。
- f272
- ベストアンサー率46% (8467/18126)
親の子供に対する体罰を全否定している人などいるのでしょうか?少なくとも私の周りにはいません。必要な時に体罰を与えるのはしつけの一部です。注意すべき点は,それがエスカレートすると虐待になるということでしょう。生命の危険があるようなものは体罰ではなく虐待なのです。 それから学校教育に体罰は不要です。体罰は子供の成長に全責任を負う覚悟のある親だけに許されます。学校の教師が体罰を行うなどもってのほかです。学校の教師は子供に罰を与えるのではなく,単純に子供を排除すべきなのです。
補足
「親による体罰を法律で禁止」することに賛成と答えた人が59%_反対と答えた人は21%でした。 また私が以前みたテレビ番組だと71%が体罰を禁止すべきと回答していました。 間もなく国会で「親による体罰を禁止する法律」が作られる予定になっています。 「今後は親が子供に体罰を行うと暴力事件として立件され警察に逮捕される」間もなく日本はそんな国になる予定となっています。
- okvaio
- ベストアンサー率26% (1979/7610)
おそらく、これについては色々な意見が出てくると思いますが、 体罰によって「いじめっ子」にならないように切に願うところです。 いじめられた人は、間接的に被害を被ります。 ひどいときは、自殺してしまいます。 人の傷みを知る人間に育ててもらいたいものです。
補足
体罰とイジメは基本的に関係ないですよ。 暴力を禁止したところでイジメはなくならないですし、今はネットイジメを中心に陰湿化していますしね。 それと人間にとって暴力や身体接触によるイジメより、言葉や無視などでイジメられる方が人を深く痛めつけるそうですよ。 また非暴力のイジメは行為もエスカレートしやすく、より巧妙で残酷なものになることが多いそうです。
私も基本的には質問者様と同じ考え方で賛同できます。 今の時代のように、先生が生徒になめられる教育方針なんて 糞ですよ。 優しい先生づくりなんて必要ない。 親も子供の頃から怒られなれていない人が多いですからね。 躾と暴力は違いますがそれもわからない親も多いですよね。
補足
躾と暴力の違いがわからない親も多くなっているのが問題を深刻化させる土壌になっていますよね。 親も行政も 先生を一律に同じ人間性を求め過ぎですよね。 先生らの個性も、もっと認められるべきですね。
- SAKUiro
- ベストアンサー率16% (65/397)
体罰と虐待の違いは、他人にはわかりにくいものですが、叱るための体罰ならある程度は必要だと思います。叱る時に一定の秩序があればいいと思います。何がいけないのか、これからどうするか、約束を破ったら痛い思いをするよ。と。秩序なしに、弱いものに苦痛を与え続けるのは虐待で、親の自己愛からくるものだと思います。
補足
私もそう思います。 警視庁の統計だと、非暴力の虐待がどんどん増え続けており、虐待が見えにくくなっているという話です。 「子供をペットのように扱いたい欲求」を満たすために作り上げられたのが、叱らない教育だったりもしてますよね。 ニーズは大きいですからね。 でも国レベルでそれに流されていたなら将来、不遇な人を増やしてしまいますよね。
補足
ですね。 小さな火が燃え広がる危険性がどれほどのものなのか、それを子供に理解しろと言っても無理ですよね。 大人でも理解していない人も多いですしね。 小学校低学年以下だといじめの対象になる子供は障害をもった子が多いですね。でもイジメを行った子供にどれほど残酷なことをしているのか、それを言葉で理解させるには、かなりの経験と時間が必要ですよね。大人でも理解していない人も多いですしね。 そこにはとりあえずの明確な子供にでもわかるレベルのメッセージが必要ですよね。 体罰が必要のない子供もいると思いますけど、すべての子供をそういった子供と同じように扱うと、酷く不安定な子供とその将来としての大人が増えてしまいそうで怖いですね。三田佳子の子供とかって叱られずに育ったって話ですけど、このままだと将来の日本にはああいったタイプの不安定さを持った人が増えてしまうことになりかねないですね。