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体罰について疑問に思う事があります。
昔は口で言っても理解できなかったり、理解したとしてもそれを無視するような子供には体でわからせるってケースが多かったですよね。 ですが、今ではそういう風に手を出すと、それがどんなに軽いものでもやれ体罰だ、やれ暴力だと騒ぐ人が出ると思います。 そこで質問です。 口で言っても聞かない以上体で覚えさせるって考えはそんなに異常ですか?いくら悪さをしても口で言うだけだから何ともない、うるさい説教なんて従う必要ないから無視してしまえ、そんな考えの子供が幼少期青年期問わず増えているから、モラルもなく公共の場で騒ぎ立てる子供や社会に迷惑をかける不良少年がふえているのではないでしょうか? そういう人を最後まで口だけで説得できる自身はありますか?口で言っても無駄ならしょうがないなら諦めようって考えは当然なしですよ? そして、これは私が最近抱くようになった疑問です。体罰を完全に否定する人の主張は、自分が体罰を受けて酷い目にあったから体罰を否定する、もしくは体罰を認めたらしつけと称して児童を虐待する人が増えるというものです。 しかし、本当に児童虐待を受けて育ったのならともかく、自分が悪さをしたせいで拳骨を受けたがために体罰反対と主張するのはただの逆恨みですし、体罰を認めたら虐待をする人が増えるというのも極端な話です。しつけと暴力の区別がつかないのでしょうか?両者に線引きをする事すらできないのしょうか?両者を区別して余りにしつけとはかけ離れた暴力ならそれを罰すればいいだけのことです。 そして、私がこの点で一番疑問に思うのは、子供に体罰として手を上げたら怪我をするじゃないか!と本気で主張する人がいる事です。子供を躾けるがために手を出すというだけで、何で本気で怪我をすると思うのでしょうか?尻たたきだって、軽く尻の肉をペンペンするものから尻を骨の髄まで蹴り上げるものまで様々です。顔を叩くのだって、ペチンと音がするぐらいの軽い平手打ち、コツンと頭を小突くぐらいの拳骨、瘤どころかあざまでできるぐらいの拳骨、頬を本気で殴り飛ばして歯を折るものまであります。ですが、しつけが目的なら怪我をさせる必要はないのですから、普通に加減をすればいいだけの話です。感情に任せずに冷静に判断すればできる話じゃないですか。 怪我をするから手を出してはならないという人は、下手に手を出す事を認めれば感情に任せて子供を大怪我させるほど殴り飛ばしてしまうと主張してるようにしか思えません。普段からそういう風に人に手を出しているのでしょうか? 何か体罰などの問題は極論に走る人が出るので難しいと思いますが、肯定派にせよ否定派にせよあなたはどう思いますか? まあ、私の感じた疑問や主張事態が極論なのかもしれませんが。
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- arex8316
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アメリカで怪我をさせる体罰を行ったとしてください。 即座に解雇させられた上に裁判で訴えられて多額の賠償金を支払わなければなりません。 Tppでこれからこうなるならそのつもりで
- aoyagitakehiko
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お気持ちはよくわかります。数年前に書いた論文ですが、必ずご参考になると思いますのでご一読くだされば幸いです。 http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2001_08/2001_08_28.html 青柳武彦(学術博士・情報社会学)
- kirara-ki
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#5です。 確かに体罰と虐待の区別がつかない人はいますよね。 でも、それは体罰を否定す方々全てが体罰と虐待の区別がついていないという事にはなりません。理解した上で必要ないと考える方達の方が多いかもしれません。 >不躾ですが、おたくは体罰を肯定する奴は己の体罰を正当化したい人って考えが根底にあるのですか? 質問者さんが教育者でない事は質問文を読めばわかります。 ここは育児のカテで主に子どもを持つお母さんが質問されています。 それに人というものは相談(質問)する時に自分の意見に同調して欲しいから相談する事が多いのですよ。 質問文の書き方からして答えが見えずに迷っている書き方ではありませんし、単なる決め付けとはちがいますよ。 虐待にも幾つかパターンがあります。 叩く・殴るばかりが虐待ではありません。 ネグレクトといい、子どもに興味関心を示さない虐待もあります。 この場合は興味がないのですから当然、悪い事をしようが体罰を与える事もないでしょう。 一人の子どもが育つには、両親が子どもに興味を持ち愛情を掛けて育てる必要があります。シングルマザー(ファザー)の方は片親な分もっと頑張って愛情を掛けて育てていらっしゃると思います。 その愛情の掛け間違い(溺愛・過干渉・過保護等)が問題を引き起こすのであって、体罰を与えればまともに育ち、体罰を与えなければまともには育たないという事で片付けられない問題だと思いますよ。 私は愛情を持って接する中でいい事悪い事を子どもに伝えられれば叩く必要がないという考え方です。上手く伝わらない時は子どもを叩くのではなく、まず自分の接し方を反省する方が先です。 質問者さんは体罰に拘っていらっしゃるようですので叩かれていた方かなと思いました。 虐待を受けているお子さんは、虐待を受けたという自覚がなかったりします。自分が悪いから怒られたと思います。 子どもには親の価値観が全てです。 親がいいという事はいい事。悪いという事はいけない事。 でも、実際に自分が親になって気付く事ですが親だから何でも正しく、なんでも知っている訳ではないのです。 今、質問者さんはご自分の育った家庭だけを見て、父の接し方は誤り、母はの接し方は正しいと思っていらっしゃるようですが、もっと学ぶ事でもっといいやり方があると気が付くかもしれませんよ。 私は、今自分の考え方を質問者さんに押し付ける気はありません。 ただ、色々な問題を決めつけてしまって見ていらっしゃるように見えます。決め付けてしまうと物事の本当の所が見えなくなってしまいます。 ここで同調する意見だけを受け入れて、体罰は正しい。躾としての体罰を認めない人たちはわかっていない人に過ぎないのだから意見は聞く必要がないから自分の思い通りにやるではなく、もっと広く人の意見に耳を傾けていって欲しいなと思います。 それから、 >大体叩かれなければ何をしてもいいだなんてしつけはありませんよ そんな事は書いていないと思うのですが。 叱られる時に叩かれる事が日常化しているお子さんは、言葉で説明しても中々話を聞いてくれません。人目のあるので、初めは口で注意している親御さんも最終的には叩きます。 このやり取りを観察していると、お子さんの方が親の顔色を見ながら、まだ手が出ないから大丈夫という形で悪戯をし続けています。何がいけないか理解したからやねるのではなく、叩かれるから(怒られるから)止めるだけです。 親の方がきちんと子どもを向き合っていない為に叩かれるまでは何をしてもいいと学んだという事ですよ。よく読めばわかると思うのですが。 もう一つ。質問者さんがマナー云々おっしゃっているので書かせていただきますが、意見をお聞きしたいという質問に時間を割いて回答された方にお礼を書くのはマナーだと私は思います。たとえ自分の意に染まない回答であってもです。指摘され、言い訳するのではなく素直にお礼を書いて欲しかったなと思います。(他の方々に) それからここは駅前でもコンビニの前でもありませんが公共の場です。 おたく呼ばわりもマナー違反ではありませんか。 これも私のいち意見で考え方を押し付ける気持ちはありませんので、私に対する御礼はいりません。
- RXH7
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人には、脳で考えることと、心で思うことがあります。 人を好きになる時に、頭で考えますか? 同じように手を握られて、「気持ち悪い」と思う人と、 「胸がときめく」人がいるのはなぜでしょうか? 人間は、理性だけで生きているわけではないのです。 言葉で何でも解決しようとする教育者や指導者は、すごく理性的な考え方なんです。 だから、引っ叩くとか、殴るという行為を徹底的に否定します。 「殴られて育った人は、人を殴る」という感じです。 こういう考え方の人たちの言葉の多くは、「脳に響きます」 しかし、理性だけでは感情(心)は動きません。 心を動かすのは、「心」なんです。 言葉では通じない想いが、行動では伝わるんです。 良いことをしたら、抱きしめる・・・ 危ない時は、手をつなぐ・・・ 悪いことをしたら、引っ叩かれる・・・ 悪いことをした時だけ引っ叩いて、良いことをした時抱きしめてもらえなかったら、片手落ちです。 私自身、愛情を持って、思いっきり引っ叩かれた時の痛みは、 心の奥で心地よい思い出として、今も生きています。 殴られる痛み(心の痛み)を知らない子は、平気で人を殴ります。 今は高校生を中心に指導していますが、 若さにまかせて、思いをぶつける手段として喧嘩したりもしますけど、その場合は、お互い謝って仲直りです。 逆に絆が深まったりします。 しかし、自分のストレスやイライラでチームメイトを殴る子どもは、やはり親から殴られたことがない子どもが多いです。 殴られたことがある子どもは、その痛みや、感情の乱れを知っているので、チームワークを乱すような暴力はしません。 大切なのは、感情が先走った体罰はいけないということです。 子ども達の未来を思って愛情を持った体罰(体罰という表現は妥当ではない)は、必要だと思います。 千の言葉よりも、一発のビンタが心に響くことがあるということです。
- ucok
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>何故最近は虐待としつけを混同するような人が出てきたのでしょうかね? #6にいただいた上記コメントを拝見しました。いや、昔こそ虐待と躾の線引きは曖昧でしたよ。立たせる、正座させる、バケツ持たせる、はごく一般的な体罰だったし、長く続けていると脚や腕を傷めたといいます。イギリスなどでも、厳しい伝統校で、お尻を鞭打ちしていたのは有名で、みみずばれになったのはもちろんのこと、度を超すと熱を出していました。史実かどうかは知りませんが、チャーチルの自伝的映画にもそんな描写があります。 べつに今の世の中に虐待や、躾との混同があふれているとかいうわけではなく、「今までずっとあふれていたから、いいかげん、よそうや」という感じのほうが近いのではないかと思います。精神医療の発達も一因でしょう。しかし、万人に合う教育などあるわけがないので、それで救われる人もいれば、かえって道に迷う人もいると思うわけです。
- ucok
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#4のお礼欄にコメントをいただきまして。 >実際、世の中にはしつけと虐待の区別がつかずに人を怪我させかねない人が増えてるって事ですかね。 そうではないと思います。何十年も何百年も昔から虐待はありましたし、むしろ20世紀初頭あたりまでは、けがをさせる体罰も一般的でした。 >そういう人を抑えつけるために体罰はなしって流れになってるのでしょうか、 というわけで、そうではないのだと思います。 余談ですが、どなたにもお礼をお書きにならないんですね。
- kirara-ki
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お子さんに体罰を与えている所を見咎められましたか? なんだかご自分の体罰を正当化させる為に同意して下さる人を探しているように見えてしまいました。 違ったらごめんなさい。 >いくら悪さをしても口で言うだけだから何ともない、うるさい説教なんて従う必要ないから無視してしまえ、そんな考えの子供が幼少期青年期問わず増えているから、モラルもなく公共の場で騒ぎ立てる子供や社会に迷惑をかける不良少年がふえているのではないでしょうか? そのお子さんたちは本当に叩かれずに育ってきたから、口で言うだけでは話を聞けないのでしょうか? 逆に叩かれない限りは何をしてもいいと学習してしまったという可能性はありませんか? もしくは暴力的は躾けの為に乱暴に育ってしまったという可能性はありませんか? 色々なケースがあると思います。 公共のマナーを守れない人全てを叩かれなかったからと決めてしまうのには無理があると思いますよ。 叩く、叩かない以前にいいことと悪い事の躾をされていないのかもしれませんね。 >自分が悪さをしたせいで拳骨を受けたがために体罰反対と主張するのはただの逆恨みですし 逆恨みかどうかはわかりませんが、これは体罰を受けても反省が無い、体罰による躾け効果がなかったという事になりますね? 小さいお子さんを見ていると、親御さんに叩かれて育っている子は直ぐにわかりますよ。そして、叩かれているお子さんは他のお子を叩く傾向があります。 して良い事と悪い事を教えられればいいわけですから叩く必要はありません。 話してわからない時は、叩く前にまず自分の話し方が子どもにわかりやすい言葉だったか考えて下さい。同じ事でも言い方や見方の角度を変えると伝わったりします。 一度でわかる子もいれば、数回話さないとわからない子、自分が痛い目にあわないと(体罰ではなく)わからない子もいます。 それを辛抱強く待つのも躾けのうちだと思うのですが。 ここで数名の方に体罰肯定の意見を聞いて、自分は正しいと決めてしまうのではなく、納得がいくまでご自分で調べてごらんになってはどうでしょうか。 私が若い時はニュースでまことしやかに「今時の子どもは喧嘩も直ぐに止められるから加減がわからない」「殴られた事がないから痛みがわからない」と語られていました。 本当にそうなのか、叩かれて育ったお子さんはどう成長するのか、自分なりに本を読んだり、講演に出かけたり、自分の子どもや他のお子さんを見て、やはり体罰は必要ないと思うようになりました。 それに叩く叩かないの問題以前に子どもをしっかりと受け止めて育てるという事が大切なのだと思います。 公共の場で暴れている青年は自分が受け入れられていないという気持ちが強いのではないでしょうか。
お礼
すいません、私は教育する側ではありません。 どちらかというと教育された側です。 私が子供の頃と違って世の中の流れも随分変わったものだなと思ってこの質問をするに至りました。 不躾ですが、おたくは体罰を肯定する奴は己の体罰を正当化したい人って考えが根底にあるのですか? 私はしつけと暴力の線引きができない考えは嫌いです。質問分にもありますが、しつけを暴力としか見れない人は常時加減のできない暴力的なしつけしかできないような感じがします。そういう人の場合、手が出なければいいだろうって風には思えません。根本的にそういう人に教育を任せるのはどうかと思いますし。 大体叩かれなければ何をしてもいいだなんてしつけはありませんよ。体罰なんて結局は口での説得の延長です。言葉で予め理解させて、どうしても駄目なら体で理解させるってしておけばこんな考えには至りませんよ。 失礼ですが、貴方の中での体罰というのはいきなり人を殴りつけるようなものですか?貴方はそのような教育方針を抱えているのでしょうか?
補足
一応体罰絶対反対派の人に対する補足です。 私自身子供の頃から体罰を受けて育ちました。同時に虐待も受けて育ちました。 母は厳しい人でしたので、私が悪さをすると何度もきつい説教を喰らいました。手を上げられる事は滅多にありませんでしたが、それでも私が性質の悪い悪さをすると手が出る事があり、その時はその痛みの分だけ本当に取り返しがつかない事をしたと実感しました。滅多に手が出ない人が手を出すという事は、それだけ酷い事をしたという事なのですから。 逆に父は厳しいというよりは乱暴な人でした。気に食わない事があると怒鳴り散らし、そんな私の脅える態度が気に食わないと暴力を振るい、腰を抜かして逃げ惑う私の姿が更に気に食わないと追い打ちをかけるかのように何度も足蹴にしました。八つ当たり気味に部屋を散らかされた事もあります。そんな父も今は母と離婚したため、安心した生活が遅れています。 体罰と虐待をそれぞれ別に受ける子供時代を送ったので、体罰と虐待の区別がつかない考えにはどうも賛同できかねないのです。
- ucok
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体罰はちっとも異常ではないと思います。全面反対の人はきっと、まったく体罰を受けずに育ったか(そういう人は、特に女性には昔から大勢いました)、「体罰を受けて良かった」という経験をしていないのでしょう。私は今も許せない理不尽な体罰や虐待をたくさん受けましたが、受けて良かった体罰もありました。 「人を最後まで口だけで説得できる自信」はあります。でも、それが必ずしも最良の方法だとは思わないので適材適所、体罰を用います。むしろ、口だけで説得できる自信がないから体罰を与える、というのは、少々問題だと思います。体罰は、与えるほうと受けるほうとの信頼関係があって初めて効果が出るので。 また、効果的な体罰を与えるのは決して簡単ではありません。質問者さんは上手に体罰を与えていらっしゃるようですが、そこまで制御できる人を私は直接は知りませんし、私も何度も失敗しました。現に世の中には、躾のつもりが虐待になり怪我をさせる人が大勢いるわけで、そういう人は、その瞬間、体罰と虐待の線引きができていないわけですし、かといって社会が四六時中、虐待者となり得る人を監視するわけにもいかないので、「とりあえず体罰は無し、って思って躾けたほうがいいよ」という考えがあってもいいでしょう。しかし、ちょっと引っ叩いて泣かせたとか逆ギレさせたからって、それだけで異常視するのはどうかと思います。 一方で、例えば私たち中高年世代には、女性でも親に殴られて育った人が多いので、当時も成長してからも、友人同士、慰め合ったり、笑って励まし合ったりできますが、こうして殴られる人が少なくなっていくと、受けたほうの不公平感が高まる分、体罰の現場に、より強い信頼関係が必要になりますよね。現に今も、同世代で体罰を受けずに育った人に、「自分は殴られて育った」と言うと、かわいそうな人を見るような目で見られ、なかなか居心地悪いです(笑)。そんな時には、体罰を受けてきた友人との会話が励みになりますね。
お礼
ふむ、例え口で説得できても体罰は体罰として必要ですか。そこは私と少し考えが異なりますが、そういう考えもあるんですね。 実際、世の中にはしつけと虐待の区別がつかずに人を怪我させかねない人が増えてるって事ですかね。 そういう人を抑えつけるために体罰はなしって流れになってるのでしょうか、悲しい事です。 子供より大人のしつけの方が必要ですよね。大人自身が痛みをろくに知り得ない世の中になってしまったのでしょうか。
間もなく8ヵ月のプレママで 教育に携わる仕事をして来ました。 色んな親子を何百組も見て来ましたが 私は 『叩いて躾をする』事は 愛情に裏打ちされていれば非常に有効だと思います。 叩かれると言う事は ある程度やんちゃだったりする訳ですが 親の都合で 『いい子じゃないから』と叩くのではなく 『こうされたらあなたもイヤでしょ!』 と 本気で子供と向き合う事は とても大切です。 そうやって 『人様に迷惑をかけた時』 身を持って指導してきたお母様のお子様は 驚く程、皆モラルを理解し 人のイヤがる事をしない小学生、中学生に成長していきました。 逆に 『そこは叱りなよ』 と思う場面でも 『○○ちゃんダメよ~』 『そんなのしちゃいけないの~』 なんて子供のご機嫌を伺いながら指導した子供の 意地悪で乱暴者だこと! 教室にある忘れ物のおもちゃを 我が物の様に持ち帰ったり 叱られて賢く育ったお子様にイヤな事をしたり とにかく意地悪です。 私は叩く事を体罰体罰と騒ぐ親は 自分が虐待されたから全否定されている部分もあると思います。 親が 『叩かれたら痛い』事を教えないから 死んでしまうまで殴り続ける子供が増えているんだと思います。 先日ニュースでは 中学生女子集団が後輩を殴り殺した物がありましたが 親が教えを怠った為だと思います。 女性が人をリンチするなんて 子育て間違っている以外に理由はないですよね。 我が子はきちんと 痛みを知る人間に育てる事が目標です。
お礼
ああ、それです!私が言いたい事は大体そんな感じです。 叩かれたら痛い、痛いのが嫌なら悪い事は止める。そういう事だって大切だとは思うんです。特に人に痛みを与えて平然としている子供なんて特にそうだと思います。 最後に、子供の機嫌を伺う教育なんて教育として根本的に間違っていますよね。
- ms_axela
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今のところ叩かないで済んでいます。 要は善悪の判断が正しくできるようになればいいだけです。 体罰は子供に恐怖を植え付けることで悪いことを理解させる行為です。 本来の教育の姿とは異なります。 ただ、一般の世の中の刑法も同じ考えでできているので、性善説に立つ私の考えが正しいとは期待していません。残念ながら。
お礼
そうなんですよね。口で理解しない奴は力ずくで、っていうのは結局刑法と同じなんですよ。子供の悪戯、不良学生の悪事を犯罪と同一視するのも何ですが、犯罪者を口で説得するだけで罰を与えずに釈放ってわけにもいきませんからね。 kasumimamaさんの回答にした返事のように、叩かずに済むのならそれに越した事はないんですけどね。
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お礼
なるほど・・・昔から虐待は存在していたのなら、何故最近は虐待としつけを混同するような人が出てきたのでしょうかね? ここ最近で何があったんでしょうね。 お礼の欄って回答に対する返事を書くものだと認識していたものでして、どうもすみません。ただ回答ありがとうございましたって延々と書くのも味気ないと思ってましたので。 回答ありがとうございました。