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虐待と体罰の違いを教えてください
私は小学生のときと中学生のとき、両親から体罰を受けていました。 高校になった今、手を出されることはありません。 それはひとえに体罰の原因が私が叱られても仕方ないようなことをしていたのが、ほぼなくなったためです。 最後に体罰を受けたのは中学1年のときです。 両親はより良い勉強する環境をつくるために私を小学校から私立にいれていました。 父のお給料はとてもいいとは言えず、いつも学費で家計は火の車でしたが、私はそれでも成績は普通だったのであまり勉強をせずゲームばかりしていました。 それを見かねた父は無言で私のゲーム機を取り上げて折り、体罰をしました。 今までも体罰の原因はほとんど私が勉強しないことにありました。 単に勉強しない娘を叱るならばゲーム機を折って叱咤するだけでも十分インパクトがありますが、父は今までの度々の体罰でも私が懲りないと思っているのかなとも思いましたし、(私自身は体罰によって親も勉強も嫌になってしまったのでむしろ逆効果だったのですが) 確実に原因をつくった私が悪いことは今ではきちんと自覚しています。 しかしその体罰は、中学生女子には少し堪えました。そのときの体罰がそれまででいちばん痛かったのをよく覚えています。 (具体的にはお腹を何度も踏みつけられるなど。ジャンプまでされて勢いがあったので余計いたかったです(笑)その他はオーソドックスに手や物で頭を殴られるなど、軽いものです) それでも、今思えば父が怒っても仕方のないことだと思います。 今まで虐待と体罰の違いは原因が子どもにあるかないかだと思っていましたが、よく虐待について考えると、例え子どものほうに原因があっても親のしつけとしての暴力がいきすぎているなど、様々なケースがあることに気づきました。 そしてもしかしたら、私は虐待されていたのかもしれないとも思いました。 少しだけトラウマのようにになった経験もあります。 そこで質問です。 個人的にもいろいろと調べましたが、私の悪い頭では体罰と虐待の違いは明確にはわかりませんでした。 皆さんの見解をどうかお聞かせください。 そして確実に原因が自分にある私のケースですが、皆さんはこれを虐待と体罰、どちらだととらえますか? 私自身はしつけは必要なものだと思います。 しかし麻痺しているので同じことを自分が他人にしてしまうかもしれないと思うと少しこわいのです。
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No.2ですが、前と関連性は無いので単に一応名乗るだけです。 今に活かせているか否かが虐待か否かの一つのポイントになるとは思うのですが、何名かが書かれている様にそれを以て全ての指標にするのは誤りだと思います。 あくまで一つのポイントに過ぎません。 でなければ学ぶ気ゼロの愚か者は放置するしかなく、放置すれば愚か者はどんどんつけあがり社会の害悪になります。 この場合、本人が学び取れるか否かよりも犬を躾けるのと同じ様に恐怖によって抑制する事も時には必要だと思うからです。 ただ、今の世の中正誤は別に手をあげれば虐待とされかねません。 するかしないかなど白か黒か的判断しかできない愚かしい風潮だとは思いますが、制御が難しいのも事実。 我々一人一人がちゃんと考える頭と誠実に相手に伝え、建設的に会話を運ぶ智慧を身につけなければどうにもならないという事だと思います。 因に、凶器は絶対無しですが、閉め出してご飯抜き位は普通じゃないですか? 何日もするわけでも本当に反省しているようならご飯抜き解除しないわけでもないんでしょうから。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
質問を見る限り、あなたが受けたのは「暴行」です。 体罰というものではありません。 公的な機関に相談されてみると良いと思います。 何度か実際に相談員さんと話をされるうちには、今あなたが考えていることや、持ってしまった常識というものが「全くの誤り」だということがわかると思いますから。 暴行ですから、無論体罰ではありません。 体罰を使っての「躾」というものでも、もちろんありません。 体格や、立場が上である人間が、そうでない人間に対して行っているわけですから、それは「虐待」です。 リンクを貼っておきますので、とりあえずはコチラにどうぞ。 http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/dv_navi/index.html
- crowsnest
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オイラが親父に張り倒された最後は、小学校5年生の時だったと記憶してます。 当然オイラの態度が悪いので張り倒されましたが・・・。 虐待と体罰の相違点は、その後のフォローだと思うね。 張り倒した親父の思いは辛かっただろうと今思いますね。 自分も子を持ち躾けの段階で、今しっかり教えなければダメだと思い、きつく叱った事もありました。好きで叩く親はいないと感じましたね。手(心)が痛かった・・・。 怒った後にしっかり言い聞かせて納得させる事が出来ればよいと思う。 愛情をもって叱る。体罰とは言いたくないよ。 愛情無しで、気分で怒る。虐待かな・・・ 出来れば言葉だけで済ましたいものです。しかし聞き分けの良い子ばかりではないので困るのでしょうね。
お礼
>出来れば言葉だけで済ましたいものです。しかし聞き分けの良い子ばかりではないので困るのでしょうね。 そうですね。ひねくれた私は手のかかる子どもだったのでしょう。 >張り倒した親父の思いは辛かっただろうと今思いますね。 すばらしいことだと思います。自分もつらいけれどそれ以上に子どもを思って叱るというのは。 当時の私には両親からそういう気持ちは感じられませんでした。それは私が無知すぎるだけでしょうか。 いずれにせよ、その後のフォローが大事なのですね。 すべて私が悪いのですが、これを両親はこれを怠ったから納得できなかった私がさらにひねくれてしまったのかなあとも思います。 回答ありがとうございました。
- nomonji
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虐待も体罰も線引きは難しく、今は特に、同じ部類の行為です。 ビンタ一つとっても、相手に何かの気づきを与えるなどあれば、それはしつけになるでしょうし、相手が単なる苦痛しか感じないとしたら、それは行為を行う人の一方的かつ暴力的な自己満足としか言えないです。 虐待や体罰容認派ではないですが、ここの線引きは、すべて結果論だと思います。
手を上げれば虐待だと思いますがね。 体罰だろうと暴力には違いないです。 体罰を与えられるに値する罪を犯したのであればある程度は正当化出来るでしょう。 しかし、暴力を以って教育を行う行為は虐待だと認識してます。 力で従わせる事は教育では無いです。 正しくねじ伏せる行為ですから虐待だと思います。 その線引きが明確にできないなら自分の子供でも手を出すべきではないと自分は思います。 それ相応に体罰に相当するような行為を犯したからとう理由であれば良いけど、暴力を以ってわからせようと言う行為は虐待以外の何物でもないでしょう。 体罰とは罰ですから、教育ではないです。 教育が出来ないからこそ力に物を言わせるのでしょう。 これはある意味で自分の至らなさを認める短絡的な行為です。 楽な手段を選んだということです。 立場上上の物が下の物を力を以って従わせるのです。 貴方が同じことを繰り返す事が怖いと言うなら一切の暴力を行わない事だと思いますよ。 その判別が出来ないなら。 必ずエスカレートするでしょう。
お礼
確かに体罰は楽な手段かもしれませんね。 正しくねじ伏せるという行為は少し感情的な気もします。それを考えると虐待のようにも思えました。 ただ、私が受けた程度の暴力で虐待だと騒ぐのは、本当に虐待を受けてきた方々にたいして失礼ですし、怒られてしまうなとも思うのです。 同じことを繰り返さないように気をつけます。
- born1960
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体罰も虐待も基本同じです。 ましてや中学1年生に体罰をしても効果なしです。 なので、質問者さんが受けたのは「暴力」「傷害」です。 三つ子の魂百までということわざがありますが、人格形成がほぼ完了する3歳くらいまでなら、「おしおき」も効くかもしれません。 しかし、どんな理由でも子どもに暴力をふるうのは、親のその時の感情以外に何者でもありませんね。
お礼
>体罰も虐待も基本同じです。 これまでとは一線を画す回答ですね。 もし勉強しない私を改心させて勉強させるための体罰なら例え暴力や傷害であっても正しいかもしれませんが、そこに少しでも個人的な怒りが入っていれば体罰も虐待も本当に同じになってしまいますね。 回答ありがとうございました。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
体罰は、貴方の利益につながることです。 虐待は、身体と心が傷つくだけです。 貴方の場合は、体罰でしょう。 しかししつけと称して、体罰をおこなっていると将来暴力を振るう人になります。 体罰は、大人になるまでに、軽いのを1回だけでよいです、後はできれば他の方法で。 しつけは、怒ることを指すのではありません。 大人になって、一人で生きていくために必用な知識を身につけさせる物です。 できれば言葉だけで十分ですが、 大人になって始めて怒られて、ショックを受け挫折するよりも、子供の時怒られる方が親からのフォローができるために立ち直れるからです。
お礼
崩れかけでつながっていた中途半端な親子関係が一度崩れてやりなおせるきっかけになったこととしては、私の利益になったかもしれません。 しかし体罰によって改心にたのかと問われればまったく別ではないかなと思うのです。 高校になって本格的に自分に学力が必要になったから勉強を始めましたが、それを考えるとあれはその時点で必要だったのか迷ってしまいます。 子ども時代のしつけとそれに伴う体罰は大切だと思います。 怒られたあとのフォローとしては両親は間違っていたのかもしれません。
- mofl
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殺意の有無
お礼
虐待死してしまった子の親の行為がただの過失で終わっているとは考えづらいですね。 回答ありがとうございました。
- rokometto
- ベストアンサー率14% (853/5988)
どうも体罰は子どものためを思いするもの、虐待とは親のうさばらしという位置づけみたいですね。 私から言えばどちらもただの暴行罪ですが。 体罰を行わなければならない、その時点でも親とか指導者から失格です。 きちんと指導やしつけをできる人に自分の無能を認めてバトンタッチするのもまた勇気と決断です。 ただ懲戒というものがあります。 これは学校で体罰ではなく認められている罰、のようなものです。 懲戒を行えばいいのです。 懲戒を出し惜しみし、現場に我慢を強いるからいきなりぶん殴るみたいな極端な行動に走るのですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 そのように考える方もいらっしゃるのですね。非常に参考になります。 懲戒は生徒の将来にひびくようなことにもなりかねませんし、少し教師としては出しづらいのでしょうかね。 その分多少の抑止力にはなるのかもしれませんが。 でも激しい体罰を行わなければならない指導者というのは確かに指導力のなさを感じます。
- ginga3104
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子供の利益の為に行われる暴力を体罰。親の欲望のはけ口の為に行われる暴力が虐待だと思う。 基本的に暴力は良く無いと思う私が、今でもこれは有りかもしれないと僕が思う暴力として、 言葉が通じない幼児が囲炉裏など危険な箇所に近づこうとしたら、擬似体験として、「ここに触ったら痛い痛いだよ」と手を叩くのは。 (触って火傷するよりマシなので) で、貴方の受けた暴力は体罰です。そして、虐待です。 仕組みはこうです。 お父さんは貴方に勉強して欲しかった。自分達より幸せになって欲しいから。その為の費用は自分達が何とかするから。どうして勉強しないんだ。折角の環境なのに。何度注意したら気付いてくれるんだ。自分達の辛さが分からないもの貴方に苛つきながら。どうしてだ? こんな感じでしょうか。 僕の娘もそんな感じでした。ただ、僕は自分もそんな感じでしたから、もう小学生の高学年の頃には叩きませんでしたけど。 よく、虐待を受けた子供は、また我が子にと言います。実際、そう言う傾向に有るのは事実だと思いますが、親となってみると幾らでも変えられます。心配要りませんよ。 何より、小さい我が子を叩く自分の手の痛いこと。我が子に手を挙げた日はずっと落ち込みましたから。手を挙げずに気持ちや情報を伝える方法がなかったのか?もっと彼らに良い方法が無かったか?と。 貴方は現在子供で有り将来の指導者です。 ご自分の受けたこと仕打ち、並びに、そうなったご自分の態度を客観的に眺められて、子供の立場から、親の立場からどうするのが互いの幸せにつながったのだろうか?などと考えられることが大事だと思いますよ。
お礼
さらなる危険を防ぐための疑似体験、なるほどと思いました。 確かに言葉だけでは理解しにくい小さな子どもではそのような手段は有効ですね。 >親となってみると幾らでも変えられます。心配要りませんよ。 とても安心しました。といっても私は臆病なので親には絶対にならないと決意しているのですが(笑) 子どもへの体罰はそんなにつらいものなのでしょうか。 「親だって好きでこんなことしているわけじゃない」という言葉はよく聞きますが自分に当てはめて考えると、「そんなにつらいのになんであんなに何度もしたのか。もっと軽くてもいいじゃないか」とか「何度もされたから自分もすれてきてしまったんだ」とかいろいろ考えてしまいます。 確実に自分が悪い分そういうことも言い出せず、行き場のない気持ちだけが残ります。ダメですね(笑) お子さんを持つ親御さんからの視点、とても参考になりました。 ありがとうございました。
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お礼
あまり納得はできませんが、そのように思われる方々もいらっしゃるのですね。 回答ありがとうございました。