- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:これ、何という名?)
昭和30年頃の美少年、青空爺地蔵とは?
このQ&Aのポイント
- 昭和30年頃、美しい少年として知られた青空爺地蔵の正体とは何か?
- 当時流行した学童帽にゴムじょんじょという出で立ちの青空爺地蔵について紹介します。
- 昭和30年頃に人気だった三角網と自転車の三角乗り、そして後年の浮気の三角関係についても触れます。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
肩掛けカバン または、学校指定の肩掛けカバン 全て帆布製で雨の日は濡れない様に注意しました、カビが出る この画像の次でしょうか、ベルト紐の調整が出来ました ベルトを机の隅、縦にバンド風にかけていました
その他の回答 (3)
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6877/20339)
回答No.4
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6877/20339)
回答No.3
- caf-caf
- ベストアンサー率64% (1414/2208)
回答No.1
画像のソレのことを、平成生まれの愚息はメッセンジャーバッグ、私はナナメバッグ、妻は男子学生のショルダーバッグ、父は帆布カバンと呼びます。 祖母と曾祖母は生前、ソレを「雑嚢(ざつのう)」と呼んでおり、日本軍が戦争の時に持っていた袋のことだそうです。 ゴムじょんじょとは懐かしい呼び方ですね。 童謡の「春よ来い」で、赤い鼻緒のじょじょ履いて~という歌詞を思い出しました。 また「3三角」は、父との将棋での三三角戦法を思い出しました。 子供相手に容赦なく三三角を指すような父ですが、家族で合羽橋に買い物に行った際には、子供のためと花やしきに寄ってくれたりもしました。 だいの大人の男が、子供の乗り物に乗ってみたいなんて恥ずかしくて言えませんから、私と一緒に乗るとダシに使われていたものと思います。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。 三世代のご回答、素晴らしいです。 ご回答を拝読しまして目頭に熱いものを感じました。 このようなお話が語り継がれることが、今こそ必要な時代なんでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 実は三角カバンと言いました。 これを作っている工場は東京に1軒だけあるようです。 少年時代の夢や涙を詰め込んだ三角カバンは昭和に置き去りにされたようです。