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中国人は何故メンツを大事にするのか
中国人は何故メンツを大事にするのか いつもニュースを見ていつもそう思います 中国に詳しい方、教えて下さい よろしく致します
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面子は言い換えれば、日本人に取っては名誉、プライド、見栄 虚栄ということになります。 日本人も上下関係を大切にしますが中国の人達は他人よりも上か下かということに極めて敏感です。 この上下関係を維持することが社会秩序を維持する上で必用不可欠な人間関係だという考え方をします。 中国の人達に取っての上下関係というのは社会的な地位とか年齢の上下とかよりも人格が上か下かということを基準にします。 中国の人達が考える人格は儒教に基づく「徳」が有るか無いかという事が基準になっています。 徳に欠けるということは恥ずかしいことだと考えます。 徳が優れているということは人格が優れているという考えに繋がります。 この考え方に基づくと相手が自分の名誉やプライドを否定するということは自分の人格を否定していることになります。 つまり面子を潰されるということは人格を否定されたことになりますので何が何でも面子を維持しようとします。 逆に相手に自分の方が上だと認めさせるためには相手の面子を否定します。 とまぁ~日本人に取っては恐ろしく分かり難い人間関係の考え方です。 分かり難いことからネットにも沢山の説明があります。 ご参考までに下記のような説明があります。 参考(1) 中国人について(6) 人間関係 その5 面子について - 歴史の世界 https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/chuugoku-ningenkankei-me... 抜粋 「面子」は本来、平等な人間関係に「上・下」の差をつけ、さらにその「優位」を利用して、さまざまな便宜が図られるようになった。 そのため中国には伝統的に「人間は平等」という概念は希薄で、最近、その意識が芽生え始めたが、まだまだの観があり、むしろ中国人の多くが自分と周囲の人間に「高・低」「上・下」の差をつけようとする。 そしてその差をつける最大の基準が「面子」にほかならない。 しかも中国人は「面子」を利用して、常に自分に利あるように図ろうとする。 中略 日本人の「顔」は恥の文化とかかわるので、露骨に「見て」も、「見せる」のもいけない。 目立たないように顔を立てなければならない。 露骨な振る舞いは空気が読めない行為として排斥される。 中国人のメンツはむしろ、だれがだれのメンツを立てたのか、みんなにわかるように表現しなければ意味がない。 状況を踏まえて人のメンツを立てられる人物には、非常に高い評価が与えられる。 その逆もしかりで、メンツをつぶす行為には忘れがたい恨みや憎しみがついて回る。 いい加減な空気は入り込む隙間を与えられていない。 参考(2) 中国人が命を賭けるメンツとは何なのか? ライトノベル創作教室ラノベ ... http://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-861.html 抜粋 儒教の理念にとって大事なものとして「秩序」の概念があります。 簡単に言うと人には順位や序列が決まっていて、常に序列を守れば争いも起きず平穏に正しく暮らせるというものです。 中華皇帝を頂点として下は乞食まで1位からビリまで万人の順番が決まっている世界、それが儒教世界です。 中略 メンツとはこのような儒教文化圏における自分の順位を守る(できれば上げる)ことを意味します。 だからこそ自分が人脈が広いこと、あるいは金持ちであることを堂々と自慢してきます。 自分の周囲での評価を下げるような他人前で注意されたり怒られたりすることを異常なまでに嫌います。 そして、ここで重要なのが、このメンツを守るためならば何でもするし、してもよいと考えていることです。 メンツさえ保てればウソをつこうが卑怯な手段をとろうが、ときに犯罪行為だって許されると思っているのです。 もちろんメンツを一度でもつぶした相手とは絶交や敵対となり、関係修復はほぼ不可能になります。 中略 日本人は素直にミスや失敗を認めて謝れば、それは正しいことをしたとその人の評価があがる場合が多いですね。 見苦しく言いわけをするくらいならウソなどつかず正々堂々と振る舞うことが正しいと考えているからです。 これは「謝罪」というものがミスや失敗といった行為そのものに対しておこなわれているからです。 ちょっと意味が異なりますが「罪を憎んで人を憎まず」みたいな言葉もあるくらいですから 日本人というのはミスや失敗といったことを謝り反省すれば、それ以降はそのことについては不問とされ、いわゆる「水に流す」という文化があり、人間関係を円滑にしています。 中略 しかしながら中国人や朝鮮人など中華圏では、そうではないんですね。 「謝罪」は「失敗した行為」ではなく「失敗した人」に向けられるのです。 つまり謝罪というのは「私は悪い人間であり、正しいあなたよりも格下の存在です」という意思表示なんですね。 ですから謝罪することは儒教的な上下の序列が決定づけることにほかならないのです
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- staratras
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中国の作家魯迅が1934年に、「『面子』について」(原題「説『面子』」)という、そのものずばりの表題の評論を発表しています。その中で次のような興味深い話が紹介されています。(以下引用「魯迅文集」第6巻の竹内好訳) 伝聞ではまだ清朝のころ、外国人が総理衙門へ権益のかけ合いに来たとき、おどしにびっくり仰天した大官たちが、二つ返事で承諾したあと、帰りは通用門から送り出したという話だ。表門から出されなかったことで相手は面子を失ったわけであり、相手が面子を失えば当然、中国側は面子を保ったことになり、したがって優位に立ったことになる。この話が事実かどうか、私には断定できないが、かなり広く「中外の人士」のあいだで知られている話ではある。 そのため私は、外国人たちは精いっぱい「面子」をわれわれにくれたがっているような気がしてならない。 (引用終わり) 権益を認めても、通用門から送り出せば「優位に立った」という発想は、今の私たち(魯迅もですが)から見れば、滑稽にさえ映りますが、ありそう(だと考えられていた)な話ではあります。 また魯迅が「階層ごとにそれぞれ特有の「面子」すなわち「顔」があるらしい」ことを、「たとえば、もし車引きが財布を盗んで見つかったりすれば、面子を失うことになるのに、上流階級のものが金銀財宝をごっそりかっぱらっても大して「顔がつぶれる」ことにならぬようだ」と述べていることは象徴的です。(昔も今も…) そして、次の文章で締めくくっています。(以下引用) 中国人が「面子」を重んずるのはよいとして、残念なのは、この「面子」が「融通無碍」で変化に富み、そのため「鉄面皮」と混同することだ。長谷川如是閑が「盗泉」について「古の君子は盗泉の名を悪(にく)んで飲まず、今の君子は盗泉の名を更(あらた)めて飲む」と述べているのは、「今の君子」の「面子」の秘密を道破したといえよう。(引用終わり) 「盗泉」は、孔子が「盗泉」という名前の付いた泉の水を、その名前が良くないと言って、いくらのどが渇いても飲まなかったという故事で、「渇すれども盗泉の水を飲まず」(いくら困っても、いかがわしいものの助けは借りない)という表現は今も使われます。長谷川如是閑は明治から昭和の戦後まで活躍した日本の評論家で、魯迅が引用した文章の初出は1915年、今から100年以上昔だそうです。 魯迅の言う通り中国人の「面子」とは「考えれば考えるほどわからなくなる」ものですが、「中国精神の鍵をにぎるもの」であることも確かなようです。意地悪な表現を許してもらえるならば、「「面子」とは「権益」を認めさせたり、「盗泉」の名前を変更して飲んだりするのに使える、外国人にとっても中国人にとっても便利なものである」とも言えるかもしれません。
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- koncha108
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ニュースを見てそう思うとは中国政府の発表や要人の発言に関してでしょうか?メンツを大事にしていると見えたとすると、それは中国の要人や報道官が他国よりも国内政治を重要視しているからのように見えます。例えば日本で言えば外務大臣にあたる王毅外交部長。日本の外務大臣に散々失礼で強固な発言を繰り返してきた人ですが、実は駐日中国大使も努め日本語も堪能な知日派。日本だけでなく海外のメディアの前でも強行発言をして物議を醸し出しています。ただ中国の政治体制はとても巨大で習近平を頂点とする中国共産党中央委員会、全人代、全人代常務委員会の下部組織的に日本の内閣にあたる国務委員会があるのですが、王毅氏はその中の委員に過ぎません。日本や欧米諸国では国務大臣、外務大臣と言えば政権のかなりの中枢ですが、中国では全体の政治体制の中では共産党の序列にすら入っておらずかなり下に見えます。となると独自の思想・信条で発言や行動をすることは非常に危険で、海外になめられでもしたら政治生命の危機に陥るのだと思います。 それでその時の国家間の状況と上層部の顔色を伺いながら、強面で強固な発言を繰り返すしか無いのだと思います。報道官にしても中国国内から見て当たり障りのない、つまり対外的強気で攻撃的な発言をするしか方法が無いように思います。 でも中国に限らずどこの国でも外交ではそれぞれ独自の言い回しがあって、例えば菅官房長官が良く使う、遺憾に思うと言うのはクレームの中でも割と軽くて、その次に極めて遺憾、更に断固として容認できない、、、と過去に使った言葉と比較してそれよりも怒っているか怒っていないか判断するところがあります。その意味では中国は全体的に強固な表現を使うのが慣習化していて、強固な表現だからほんとに強固かどうかはそれまでの発言と比較しないとわからない。しかも中国は顔の表情まで使い分けますね。最初に安倍、習近平が握手をしたときには習近平は仏頂面で口を固く閉じたまま、関係が良くなってからは歯を出して笑う。これはさすがに習近平が始めたように見えますが、これも一つのわかりやすい外交表現と思います。
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- ketsuro8da
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自分に信念や自信を持っている人はあまりメンツにこだわりません。そうでない人に限ってメンツに拘るのでしょうね。
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- nagata2017
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やくざと警察もそうですね。 やくざ・・・素人になめられたらおしまい 警察・・・・まちがいを認めたら権威が落ちる 絶対に謝らない。 中国人は 過去にイギリスの植民地状態にまで落ちてしまった経験があるから 二度とあのようなことにはならないようにするためにメンツを大事にする。 そのとき阿片で痛い目に遭ったので麻薬犯罪は死刑という重罪。
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- dour
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ただの「ええかっこしい」です。
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- NOMED
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『中華思想』 その1 世界は自分を中心に回っていると考える その2 自分の家族・部族以外の他人は基本的に信用しない その3 誇り高く、面子が潰れることを何よりも恐れる その4 外国からの経済援助は「感謝すべきもの」ではなく、「させてやるもの」だと考える その5 都合が悪くなると、自分はさておき、他人の「陰謀」に責任を転嫁する
お礼
参考になりました^^ ありがとうございました
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