1991年の湾岸戦争のとき、イラク陸軍は中東でも有数の機甲(戦車)戦力を保有している国でした。だから、いかなアメリカ軍といえど中東戦争やイラン・イラク戦争を経験している百戦錬磨のイラク軍相手には苦戦するのではないかと予想する人は少なからずいました。
しかし始まってみると、その戦いはあまりに圧倒的な差でした。ガンダムのドズル・ザビは「戦いは数だよ兄貴」といいましたが、湾岸戦争においては「戦いはテクノロジーだよ」だったのです。
しかし軍人出身のフセイン大統領はそこを読んでいたのか、自身にとっての決戦兵力である虎の子の大統領警護隊は自国の奥深くに置いて投入しませんでした。結果、戦争には軍事的に敗北するものの、自身の政治生命を失うことはありませんでした。湾岸戦争後にアメリカの工作で各地で発生した反フセイン暴動は、消耗を免れた大統領警護隊によって鎮圧されたのです。
とはいえ湾岸戦争で失った装備の補充は、その後のアメリカ主導による経済制裁で行うことはできませんでした。
補充するためには中国やソ連(ロシア)から武器を輸入しなければなりませんが、他ならぬ湾岸戦争でメイドインチャイナやメイドインロシアの廉価兵器はちっとも役に立たないことを骨身に沁みて知ったので、わざわざ買いたいとも思いません。実際、湾岸戦争後には中国製兵器、ソ連製兵器というのは価値が大暴落して全く売れなくなりました。
そういった中でのイラク戦争だったので、もはやフセイン大統領には対抗する戦力は残されていませんでした。
では和平の工作は?
これがイラク戦争の最も重要な局面です。アメリカとイギリスがイラク戦争の開戦の口実としてあげたのが「イラクが大量破壊兵器(核や毒ガスなど)を隠し持っている」というものでした。
これに対してフセイン大統領は「そのようなものは所有していない。国連の査察団も受け入れる」と表明したのですが、それに対してブッシュJrは「はあ?なにをいってやがるんだ、ふてえ野郎だ」と全く相手にしないで開戦に踏み切ったのです。
戦後かなり経ってから、そもそもイラクには大量破壊兵器は存在しないとCIAがレポートしていたのが判明しました。事実、イラクの大量破壊兵器は一切見つかっていません。この辺りの話は映画「グリーン・ゾーン」に描かれています。
分かりやすくいうと、存在しないものを持っているといいがかりをつけてアメリカがイラクに攻め込んだのです。開戦強硬派はラムズフェルド国防長官とライス国務長官でした。
その後のイラクの治安悪化とISなどのテロリストの横行によっていったい何人のイラク人が犠牲になったのか、あるいは平穏な生活を奪われたのかを考えると、暗澹たる気持ちにさせられますね。
お礼
回答ありがとうございます。 自分もイラク戦争でアメリカと有志連合国が勝った時、他の独裁国家もドミノ現象で崩壊して民主国家ができると思いましたが、全部が全部そうなりませんでしたね。 エジプトやリビアでも同じです。 ある意味、北朝鮮がそれを教訓として、上手く政治宣伝するわけですね。