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親しい人の延命の選択について
こんばんは。 宜しくお願いします 私は病院に勤めていて、ICUによく出入りします。 そこではやはり、患者さんが惜しまれながら亡くなられていきます。 ただ、ひとつ疑問に思った事があります。 それは、家族の方が延命(もう望みは無いが、呼吸器などの生命維持装置を使用して数日~数週間の間生き延びさせる事)を望む場合と望まれない場合があるのですが、延命を望む家族はもちろん「一日でも長生きして欲しい」と願うのと、「奇跡が起きるかもしれない」という強い思いからきている事はわかるのですが、延命を望まない家族というのはどういう理由なんでしょうか? 「苦しませるのはかわいそう」とか、「本人の(意識があるときの)意志」、などなのでしょうか? もしかすると「医療費が高額になるのを懸念して」なんて事もあるのでしょうか? もしも、理由を聞いた事がある等の体験をお持ちの方がいらっしゃるなら、よろしければ教えていただきたいのですが? もちろん推測でも何でも構いません。 延命を望む側の意見でも構いません。 とてもデリカシーの無い質問で気分を害される方もいらっしゃるとは思いますが、宜しくご寛容の程お願いいたします。
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うちは母の場合、命だけはとお願いし、結果 3年間ずつと「植物人間」でした。 定年退職したばかりの親父は毎日毎日と 面会時間から最後までずっと意識が戻るのを 信じて1年、2年と周りは回復して退院して いく人もあれば、容態が悪くなる人まで、 新しくまた新しくドラマが繰り返されて いきます。 看病する方が精神的にも肉体的にも疲れ切って 弱弱しくなっていきます。 いつも感じたのは「患者本人は苦しいのかな? 痛いのかな? かゆいのかな? 申し訳ない と心苦しく感じてしまっているのかな?」 でも「意識がなくとも会いたい時に会える」 家族は幸せでしたし、大切な事をたくさん 教えて頂きました。 自分がああなった時は「すぐ外してください」と 家族のためにお願いします。
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- syakunage
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両親と儀父を亡くしましたが、いずれも90近い年齢で、病院看護で、自分がフラフラになってからの死でした。延命させたいとは、思いませんでしたよ。 母のときは、意識はありませんでしたが、尿が全く出なくなってから、2日近く生存していました。 「苦しむから」ではないが、点滴は続け、ただむくみが酷くなるのを見ると、あまりに膨れた姿にさせたくないと思いました。膨らんだ姿で心臓が止まった時はホッとしました。#5の方と同じ気持ちでした。 かといって、改めて「点滴をやめますか?」「心臓マッサージをしますか?」などと聞かれたら、「早く決着するのを望むのは・・・」という気持ちが起きて、自分の一存では返事できないだろうと思います。 ただし、脳出血などで急変した場合。特にまだ若い夫やわが子の場合は、延命を望むと思います。 直らぬことは、素人でもわかるようになりますから、あきらめや、看護疲れで、いつかは延命打ち切りを(内心では)望むようにならないかしら。 私の場合は、経済的な理由は全くありませんでした。 多額の年金や相続の関係で延命を望まれるお年よりもお気の毒だと思います。 治療費の負担に耐えかねて、「まだか・・・」と思われる方の気持ちの方が、むしろ同情できます。
お礼
アドバイスありがとうございます。 >脳出血などで急変した場合。特にまだ若い夫やわが子の場合は、延命を望むと思います。 確かにそうですよね。 若いご家族が急に病気、怪我などで余命いくばくも無いと宣告されてもいきなりは受け入れがたいですよね。 >あきらめや、看護疲れで、いつかは延命打ち切りを(内心では)望むようにならないかしら。 私もそう思います。 最初は「何とか助かって欲しい」、「奇跡が起きるかもしれない」と思っていても時間の経過とともに、心情が変化してしまうんじゃないかな?と思います。 ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
私は四年前に父を肺がんで亡くしました。私達家族は延 命を望みませんでした。「自分で息が出来ないって、水の 中で溺れつづける様な苦しみだろう・・・」と、勝手に想 像しました。 亡くなった後、「ああしてあげればれば良かった。」 「こうしてあげればれば良かった。」と色んな思いが胸を よぎりますが、延命装置をお願いしなかった事に対する後 悔だけはありません。死の直前まで、必死で病魔と戦い続 ける姿を見て「もう頑張らなくていいよ。今までありがと う・・・」という思いだけでした。 私は父を愛していました。それでもそういう選択をしま した。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですか。 延命処置をされなかったということですが、よほどお父上様のことを愛されていたのでしょう。 だからこそ「もう頑張らなくていいよ」という言葉になったのだと思いました。 悲しいお気持ちを掘り返してしまい申し訳ありませんでした。 ありがとうございました。
こんばんは 医療の学校を数年前に卒業しました。 医学概論の授業で、延命について話を聞きました。 先生個人の意見ですが、例え1人でもスイッチOFFに反対をする人がいるなら、すべきではない。それが、彼氏、彼女だとしても。と。 私自身が機械で生かされる身となった場合は、すぐに やめてほしいと望んでいます。 また、親がそうなった場合は、延命させたいと 私は思います。 機械を使用している体の臓器は大変疲れていると私は感じます。 しかし、金銭の問題がでてきます。 本人にとって何がいいのか、家族としては何がいいのか、 ということは、生きているうちに、家族会議で話をしない限り解らないとおもいます。また、話し合いで決めていても、実際にその場面にならないと、わからないと思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。 医学概論ですか、懐かしいですね。 もう忘却のかなたですけどね(笑) 確かに、延命しないでおこうかという話で進んでいるときに御家族の中の一人でも、反対していると延命をせざるを得ないという状況になります。 それが良いか悪いかを決めるのは私たちではなく、ご家族が、しかもそう判断したときではなく、もっと未来にその患者様のことを思い出したときに「あぁすればよかったのかな?とか「これでよかった」とか思うのでしょうね。 >機械を使用している体の臓器は大変疲れていると私は感じます。 私も一度健常な状態で人工呼吸器を装着した事があります(口にくわえただけですが。) 感想は「めっちゃ苦しい!!」です。 そのときに、「こんな苦しい思いを患者さんはしているのだから早くはずせるようにしてあげたい。」と思いました。新人の頃ですけどね。 >本人にとって何がいいのか、家族としては何がいいのか、 ということは、生きているうちに、家族会議で話をしない限り解らないとおもいます。また、話し合いで決めていても、実際にその場面にならないと、わからないと思います。 確かにそうですよね。 特に実際、その場に立ったら、それまでの決心、考えなんて吹き飛んでしまう事も十分考えられますしね。
- KAAZ
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はじめまして! たとえ選延性意識障害者としてであっても、生きていることにより年金が全額支給され、それによって家族を養っている患者さんは沢山おられます。 ICUなどでは、遠方に住んでいる子どもや親類縁者と顔を合わせるまでは、生かしていてあげたい という気持ちから延命を望む場合も多いですよね。 延命処置しておかないと、親戚から「延命しない判断」をおこなった人が後になって殺人者扱いされる事もあるようです。その予防的意味合いを持つ場合もあります。 以上、延命希望の場合につきまして簡単に述べさせて頂きました。幾らかでもご参考になれば幸いです。 お仕事大変でしょうけれど 頑張ってくださいね!
お礼
回答ありがとうございます >たとえ選延性意識障害者としてであっても、生きていることにより年金が全額支給され、それによって家族を養っている患者さんは沢山おられます。 確かにこういった場合には本人も、ご家族も延命される事のほうが多いのでしょうね。 >ICUなどでは、遠方に住んでいる子どもや親類縁者と顔を合わせるまでは、生かしていてあげたい という気持ちから延命を望む場合も多いですよね。 確かに多いです。 遠方ではないのですが30分ほどの距離にいらっしゃるご家族のために私とDrで心マしていた事もあります。 「死に目に会いたい」と言う感情は日本民族固有の考え方なのでしょうか? 欧米ではどうなっているんでしょうね? ありがとうございました。 仕事頑張ります。ガンバ!o( ̄へ ̄o)(o ̄へ ̄)oガンバ!
- kitakanjin
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患者が高齢か、若いか、元々の原因が急性のものか(予期せぬ)、慢性のものかに拠っても理由は異なると思いますが、例えば、蘇生後脳症等ですと、生命維持装置を使用しても回復しないわけです。生命維持装置を使用しますと医療費は高額療養になるので、負担は頭打ちに成るので、 「医療費が高額になるのを懸念して」は無いと思います。 それより、肉体的、精神的負担が大きい。付き添い、見舞いだけでなく、何か変化があると病院に呼び出されたり、 旅行など長期に空けられないなど、家族の日常生活の制限が大きく、その負担に耐えられなくなる。 例えば、危篤だと言われ、仕事を休んで、遠方より飛行機で臨終の床に駆けつけたが、持ち直して、また出直し、なんて事もあります。 患者が可哀想だからと表向きは言いますが・・・。 もう十分に生きたし、回復する事もないし、何れは死ぬんだから、早々にけりを付けたいと言うのが本音でしょう。 延命を望む中には、年寄り(患者)の年金目当ての家族も希にあります。 言える事は、理由は千差万別です。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、急性で患者さんが若い場合は延命治療を行う事が結構ありますね。 ご家族の方々がいきなりの知らせなので納得されていない場合や、混乱している場合などは延命を選択することが多いと思います。 >もう十分に生きたし、回復する事もないし、何れは死ぬんだから、早々にけりを付けたいと言うのが本音でしょう。 確かに心情はわかるのですが、なんとなく悲しいですね。 >言える事は、理由は千差万別です。 その家族家族によって事情もあり、一概に「これ」と線引きできませんよね。 どんな選択もその患者様、ご家族にとって一番いい選択であることを望みます。
お礼
アドバイスありがとうございます。 3年間ですか。 それは長かったのでしょうか? それともあっという間だったのでしょうか? でもどちらにせよ、「でも「意識がなくとも会いたい時に会える」 家族は幸せでしたし、大切な事をたくさん 教えて頂きました。」 とありますので、お母様も家族の方たちにお会いする事ができて幸せだったのでは?と思います。 確かに長期の場合になると患者さんの御家族様がだんだん疲れていくのがよくわかります。 面会に来ながら点滴を受けているご家族様もいらっしゃいました。 そうなって負担増が見えてくると延命も考える事をしないといけないのかな?とも思います。 >自分がああなった時は「すぐ外してください」と 家族のためにお願いします 私も、もしもの時には延命しないように家族にお願いしてあります。 私の場合は私が「苦しい」のが嫌いだからですが(笑)