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延命処置についてどう思いますか?
25歳の春、父親が癌で他界しました。約2年間入退院を繰り返し、放射線治療や抗がん剤投与など出来る限りの事をやってきたのですが、そのかいもなく最後は痛みを取り除くだけの入院となってしまいました。病状は鼻から喉、胸にかけて腫瘍が広がり、その他全身に転移していました。 ある日主治医から「胸の辺りに出来た腫瘍が破れ大量出血を起こし、呼吸困難に陥る可能性がある、そうなった場合出来る限りの処置をするか、最小限の処置で留めるか今日中に決めてくれ」と言われました。ようは人工呼吸器をつけるかどうかです。 やる手立てがあるのなら、とことんやるのが当たり前だと思うのですが、医師や看護師から「今が一番良い状態で週単位で悪くなる、これは治療ではなく処置です」「人工呼吸器をつけた場合もっと悲惨な状態になる」と聞かされていたので、すぐに返答出来ませんでした。 「1分1秒でも長く生きててほしい」と思う反面、「もうこれ以上苦しむ姿を見たくない」という気持ちもあり、どちらかと言えば後者の方が強かったと思います。 この事で担当の看護師さんに尋ねたところ、「もし自分の親なら延命処置はさせたくない」と言う答えが返って来ました。一方叔父からは 「最後まで処置を続けてあげたい。このままだと溺れている人を見捨てるような物で、溺れていたら水面から引き上げるのが人間」と言う意見 もいただきました。「ただ結論はお前が出しなさい、お前が出した答えならどんな答えでもかまわない」と自分に託してくれたので本当に悩みました。 その後も看護師さんから話を聞き家族とも話し合った結果、私は 「延命処置はしない」 という意向を担当医に伝えました。 結局父親は静かに息を引き取る事が出来たので、ある意味では良かったとも意います。ただ一番辛かったのは、祖母にこの件を伝えた時です。 「もうこれ以上は・・・・・、あんまりかわいそ過ぎる・・・・・」 と言葉をつまらせ涙をながした姿を見たとき、祖母が自分と同じ考えであった事に安堵したのを覚えています。 ちなみにこの時母親は、前の年脳梗塞で倒れ、退院したばかりで詳しい話はふせていました。父は最後の入院直前まで、後遺症で右半身麻痺のある母の世話を寄り添うように見ていました。皮肉な事にこの時が結婚生活30年で、二人でいれた時間が一番が長かったんではないかと思います。 父の死後兄から聞いた事なんですが、入院するのをかたくなに拒んでおり「入院したら帰ってこれへんからな」と口にしていたらしいのです。 末期である事はふせていました。 一緒に病気と闘い続け、苦しむ姿を見続けて来た家族だからこそ出せた答えだと思っています。 もしこの様な場合あなたならどうすると思いますか?あるいは似た様な経験のある方、ご意見ご感想お願いします。 こんなつたない文章だけだと伝わりにくい部分もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
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がると申します。 確かに難しい問題だとは思うのですが。おそらく。本人を基準にした場合、無理な延命措置は、やはり「苦しいだけなのではないか」と思います。 例えば「しゃべれる」とかいう状態ならともかく、事実上「ただ心臓が動いてるだけ」に近いわけですし。 それを考えると…「楽になってもらう」の言葉の通り、延命措置は「しない」ほうが、本人にとっては楽なのではいかと思います。 残されたご遺族にとっては、肺腑をえぐるようなつらい決断でしょうが。
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- michael-m
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人が亡くなった場合、医師の管理下でないと(家で朝起きたら亡くなっていたなどの場合)、解剖しなければならないと聞きました。実際、知り合いはそうでした。そう考えると「少なくとも死の瞬間には医師の立会いが要るなぁ」と考えてしまいます。 私も既に人生の後半。死ぬ時の事を考えます。 父は人工呼吸のみで、運良く家族全員で送る事が出来ました。 夫婦で機会があれば話し合い、二人とも延命処置はしないと。身体中に管を通さないと決めています。 なぜなら、15年ほど前、父の友人が死の床についたとき、延命処置をしたのです。その人は、既に身体中に死の状況が表れていたにもかかわらず、心臓を機械的に動かしていると言うだけで、2週間も死と判断される事が出来なかったのです。 父は彼の死から3年ほど経っての事でしたが、母も私達も父には人工呼吸だけと決めました。 伯父の時(10年ほど前)は強く申し出たために、そこまではなりませんでしたが、身体中に管を通された姿は痛ましいだけでした。 私が知り合った女性は夫婦して寝たきりでした。 旦那様が死の床に着いたとき、彼女は自分も寝たきりで、旦那様が入院してしまうと看取ることすら出来ないと、自分の横に寝かすように願ったのです。 旦那様は彼女の横で何日かを過ごし、ある晩、彼女に抱かれながら、眠るように亡くなったそうです。 私が知り合ったのはその後でしたが、彼女はその晩のことを幸せそうな顔で、何度も私に話してくれました。 そんな経験から、自然のままに死を迎えたいと決めたのです。 親戚の中(特に一度も見舞いに来なかったような人)には「なんでちゃんとしなかったの」などと誹謗する人が必ずいます。人の苦労や心労を量ることの出来ない人です。 その様な、心の貧しい人の言葉に捉われる必要も無く、『自分は精一杯の事を尽くした。』それが一番の孝行ではないでしょうか?
お礼
ご返答ありがとうございます この様な事を夫婦で話し合われるなんて、良いご関係なんですね。私はまだ三十前で大きな病気もした事なく、「自分の時には」と言う考えには、遠い未来の事の様で「今は考えたくない」とも思います。ずっと健康でいられるとも思っていませんけど。
補足
貴重なお話ありがとうございます。 旦那様にとっても幸せな最後を向かえられたのですかね。「彼女に抱かれながら眠るように」理想的な最後だと思います。
- zappa-z
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私も質問者さんと同じような状況で、やはり延命措置については聞かれました。25歳と言う若さでの決断はさぞやお辛かったろうと思います…。大変でしたね。 私は40を過ぎていましたが、辛い決断でした。でも小学生の私の息子よりも軽くなるほどやせ細ってしまい、何も食べられず、管を入れられ、モルヒネで意識も朦朧としている状態で、骨が折れるほどの心臓マッサージや人工呼吸器に意味があるとはとても思えませんでした。 >「最後まで処置を続けてあげたい。このままだと溺れている人を見捨てるような物で、溺れていたら水面から引き上げるのが人間」 これは少し違うと思います。そういう状況では延命処置は溺れている人を水面から引き上げる行為ではないと思います。引き上げも出来ずただただ細い木切れでも投げ込んでただ溺れているのを見ているしか出来ない状況に近いような気がします。 回復の見込みが無い状況ではこの例え(引き上げる)は当てはまらないと思います。回復の見込みがあるなら、家族も迷ったりはしないですよね。 最後、死因の特定の為に解剖して検査をしますかと聞かれましたがお断りしました。これ以上はもう何もされたくないという気持ちしかありませんでした。 少しでも回復の見込みがある病気でしたらわかりませんが、回復の見込みが無いのだったら、私自身も絶対に延命措置はやって欲しくないです。父の看病を続けていた母も、同じ事を言っていました。 残される方は、いろいろな気持ちがあると思います。出来ることなら本人の意思を尊重出来れば一番良いと思います。でも実際は難しいですね。縁起でもないけれど、元気なうちにそういう話もしておくべきなのかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます 回答者様も辛い決断をされて来たのですね。 私も本人の意見を尊重出来ればと思います。でも、それが出来ないから苦しいんだとも・・・。中にはすべてを受け入れ、自分の死に対して自分で決断された方もいらっしゃるようです。本当に残酷な選択たったと思います。 「これ以上なにもされたくない」というのも凄くよく分かります。少し違うかもしれませんが、入院中は見舞い客も断り、葬式の時には「父のやせ細った姿を誰にも見せたくない」とも思いました。
回答にはなっていませんが、どちらも正しいと思います。 >一緒に病気と闘い続け、苦しむ姿を見続けて来た家族だからこそ出せた答えだと思っています。 こうおっしゃっていますが、そのお言葉どおりです。 最後の選択(結果)より、そこまでの過程が大事だと思います。 何を選択してどういう結果になったとしても、命が尽きるまで家族一丸となって最後まで闘ったという事実。 それこそが真実であり尊いことだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます 「そこまでの過程が大事」 担当医に「延命処置はしないで下さい」と伝えた時、これだけ悩んで出した結論なんだから父も分かってくれるだろうと、勝手に思ったりもしました。そう思いたかっただけなのかも知れませんけど。
- oterachan
- ベストアンサー率8% (1/12)
私は、9年前に父を癌で亡くしました。わかった時は余命半年と、末期の状態でした。父自身、家族と共に医師から宣告を受け、全てわかっていました。完治は無理だとわかった父は、最小限の治療(処置)を望みましたので私達家族は父の意思を受け入れました。延命処置とは命を延ばすことです。元気になるのであればとことん治療してほしいと思います。でも、元気で過ごせる日々が取り戻せないような処置は、本人も望まないと思います。父の最期の時、私もあなたのおばあさまのように 「もうこれ以上は・・・」と思い、父に「もういいよ。ありがとう」と言いました。この言葉を聞いてくれたかのように数秒後、息を引き取りました。医療が進むにつれて死は操れるようになったように思います。 家族としては最初はできる限り生きててほしいと願いましたが、最後は もう楽にしてあげて!と別れの決断もできました。私達家族は、父の最期の姿を見て誰もが終わらせてあげようと思いました。長くなりましたが、ただ心臓を動かすだけの処置はいらないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます 「元気になるのであれば」 入院当初は会話も出来、もしかしたらこのまま・・・・・と、かすかな希望ももっていましたが、私のような医学の知識の無い人間でも、もう長くはないと分かる状態になった時、医師や看護師には「出来る限り痛みや苦しみの無いように・・・・・」と、それだけをお願いしました。 「できる限り生きててほしい」 なのに処置を打ち切る、「矛盾してるんじゃないのか」「でも苦しみつづけるだけだし」と、とても悩みました。
補足
「もうこれ以上は・・・・・」という気持ちは痛いほどわかります。回答者様のお父さんは最小限の治療をの望まれたとの事ですが、ご本人はどのような気持ちでおられたのでしょうね・・・・・・。
胃癌で妻を亡くしました。 延命措置はしませんでした。 亡くなってしまったことを非常に悲しく思い、娘ともしばしば思い出を話していますが、『今生きていてくれても、あの苦しみに耐えていることなのだから、苦しみから解放されたことを良かったと考えよう』と話しています。
お礼
ご回答ありがとうございます 「苦しみから解放~」 私自身もそう思います。父を思い出して「寂しい」と思う事はあっても、闘病中の様ように「辛い」と思う事は無い気がします。
- akamanbo
- ベストアンサー率17% (462/2680)
延命はおねがいしないものと思います。 元より現代日本の医療水準でなければ、そんなに苦しむ前に永眠しているでしょう。 それを物理的に可能だから延命するというのは、見送る側が罪悪感から逃れたい(自分のせいではないことにしたい)という我が儘だと思うからです。
お礼
ご回答ありがとうございます 「見送る側が罪悪感からのがれたい」 私は延命をしないことに対して罪悪感がありました。現状から逃げたいだけなのかなとも思いました。
- p-tenshi
- ベストアンサー率21% (339/1551)
私はあなたのその判断でよかったと思います。 ただそれだけです。
お礼
「ご回答ありがとうございます」 そう言っていただけるだけで本当にうれしです。その時は自分の判断が間違っていたのかと悩みました。
- tono-todo
- ベストアンサー率16% (169/1028)
これは二様の答えがあり、どちらも正解だと思います。 私は延命措置は採用しない派です。 私は昨年5月義父を癌で亡くしましたが、物分りの良い義父で、「安楽に死にたい」と放射線等の外科療法を拒否し、痛みの緩和、睡眠薬・モルヒネの投与だけを受け入れました。 本当の最後の夜は私も病院に宿泊しましたが、夜明けて10時頃眠るように卒しました。 緩和病棟に入って3月の生でしたが、最後まで人間としての意識を持っていてくれたものと理解しています。 残る家族の自己満足のために苦しみを長引かせてしまうことにもなりかねず、私自身の場合も義父を見習い、延命治療を拒否したいと、考えています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「本当の最後の夜は」 私の場合父の最期を看取ることは出来ませんでした。入院して2ヶ月の間ほぼ毎日顔を出していました。その日も朝から昼まで病室でおり、夕方病院から連絡があり、急いで駆けつけたのですが間に合いませんでした。 亡くなった父の顔を見て、ようやく楽になれたんだと思い、医者から告知を受けた時の方が辛かった気がします。
補足
お父様はご本人の意思で、すべての治療を拒否されたのですか・・・・・。 私達家族が出す決断よりも辛いものだったと思います。 回答者様も拒否したいとのことですが、健康でいられれば、それにこした事はないんですけどね・・・・。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「本人にとっては楽」 正直、父親の変わり果てた姿を「これ以上見たく無い」と言う気持ちはかなり強かったと思います。延命処置を選んだ以上最後まで見届ける義務があり、それには耐えられないとも思ったのも事実です。