- 締切済み
自己責任を持つとは、信仰を損ねない事を意味しません
自己責任を持つとは、信仰を損ねない事を意味しませんでしょうか?。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- REX_IUDAEORUM
- ベストアンサー率58% (66/112)
よろしければご質問者さまの信じている宗教がございましたらお教えください。ご回答差し上げるヒントになるかもしれませんので。 私はキリスト者ですが、キリスト教の信仰から申し上げると「自己責任」と「信仰」は両立し得ると思います。 旧約聖書の預言者たちは「と神は言った」と言って、自分の預言の権威が神に由来すると主張しました。それに対してイエス(・キリスト)は「アーメン、私はあなた方に言う」(マタイ5章18節など多数)と述べて、まさに神の権威においてではなく「自己責任」において発言をしました。このことから少なくともキリスト教では「自己責任」と「信仰」は必ずしも対立するものではないと結論付けられます。 他の宗教に関しては詳しく存じませんが、キリスト教における事例をご紹介させていただきました。なお、キリスト者全員が私と同じ考え方ではないことも付記いたします。 ご参考になりましたら幸いです。
>欲しか考えない方がさみしいです。 そういう受け取り方をされるのが、誰かの影響で、自縄自縛になっているということなんですよ。 自縄自縛の意味すらも理解しようとせずに書かれているのがわかってしまう内容です。
>信仰がなくて自分の行動に責任が有せるとは、思われません。 それは、あなたの信じられる宗教の教えという事でしょう? あなたの信仰している宗教に。あなたじしんが自縄自縛になっているという話ですね。 日本の宗教でも、自縄自縛にならないように。という教えもあるくらいですが。 それの意味が分からないのも宗教を進行している人として、さみしいものかと思いますよ。
お礼
欲しか考えない方がさみしいです。
- 177019
- ベストアンサー率30% (1039/3444)
自己責任⇒自分の責任、自分のした行動の責任、この自己責任と「信仰」とはまた次元が違うと私は思います。
お礼
信仰がなくて自分の行動に責任が有せるとは、思われません。
お礼
いや責任を持たない事が信仰でしょう。