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江戸、幕末の治療について
幕末の時代について、質問があります。 あの時代の怪我の治療は、どのように行われていたのでしょうか?消毒薬、包帯等今と同じような形であったのでしょうか?包帯なんかは時代劇でも普通に出てくる気がしますが・・・深い傷はぬったりもしますよね。 ちょっとした疑問ですが、よろしければ教えてください。
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戦場で受けた外傷の手当ては焼酎で消毒してサラシで きつく縛る以上の手当ては出来なかったようです。 江戸時代初期に南蛮医術に続いてオランダ医学が伝来したので、当時のヨーロッパで知られていた薬やメス、包帯類は数が少なく貴重品であったにせよ、日本でも使われていたと考えられます。しかし、戦場では昔ながらの 傷の手当以上のことは出来なかったでしょう。外傷には 小便や馬糞が効果があるなどの記述が時代小説などに見られます。オランダ医学が盛んになるまでは日本の医学は漢方中心ですが、漢方は内服薬で自然に健康体を作る という考え方なので外傷には効果が少なかったようです。なお手術に欠かせない全身麻酔を初めて実用化したのは幕末の医師華岡青洲です。江戸時代といえどもオランダ医学を学んだ医者のいるところでは当時の西洋並みの治療が行われていたと考えていいでしょう(設備の差はあっても)
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- tosiki
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深い傷の場合ですが、動脈、静脈、腱を縫合せねばなりません。 江戸時代では、圧迫止血法で血を止め、動脈などが自然に治癒するのを待っていたと考えられます。 (現在の救急士レベル) この方法では命はとり止められますが、腕は動くようにはなりません。 当時の常識ですが、刀傷が骨まで達する事は死を意味していたようです。 (肉を切らせて骨を切るとはこの事です) 逆に言えば、骨が切られなければ医者に駆け込めば助けられる技術があったのかもしれません。(笑 骨折については幕末の柔術家が失業してこぞって 骨接ぎに転職したそうです。 骨折治療の分野については世界レベルだったようです。
外科医の事を「金創医」と言い、創腫と呼ばれる腫瘍、おでき、腫れ物の類を扱う医科でした。 火傷や金創(金属の武器で受けた傷)等の外傷に対する治療についても執り行ったが、それは得意では無かった様で骨折、脱臼に関しては按摩師が受け持っておりました。 室町時代後期には南蛮医術が渡来し、1562年博多において、ポルトガルの外科医ルイス・デ・アルメイダの指示を受けた日本人医師によって、弾丸の摘出手術が行われますが、キリシタン弾圧と共に南蛮医術は下火になり、また血を扱うことから外科医は卑しい職業とされ、江戸時代ではレベルが低かったようです。 その後に関しては1番の方の通りかと。 尚、徳川5代将軍綱吉の頃の楢林鎮山はオランダ人の床屋医師:バレの著書を翻訳し、紅夷外科宗伝を書いてますから、開放創、銃創の軟膏による治療、結紮による止血法で外傷、切断肢の治療程度はやっていたと思います。