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明治天皇はなぜ慕われていた?
明治神宮は明治天皇を慕った人々が作ったそうですが、明治天皇はなぜそんなに国民に慕われていたのでしょうか?
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- ithi
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sanchezz さん、おはようございます。 かの人は国民のスローガンになりそうな歌をたくさん作っていました。だけど、秘密にしていましたが、御和歌所の責任者高崎正風が折に触れて新聞に流した歌がとても国民感情に訴えるものだったので、あったこともない彼を国民は慕うようになりました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/高崎正風
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11204/34805)
それは日本政府が苦労して作り上げた伝説です。明治時代になるまで、天皇という存在があることさえ知らない人が地方を中心に多くいました。 明治政府はヨーロッパ各国のような国をお手本にしたのですが、そこで国民をまとめるキリスト教の存在に深い感銘を受けました。しかし日本ではキリスト教は宗教として広まらないので、その代わりとして神道をその代わりとしたのです。 元々神道というのは全く統一されておらず、てんでばらばらにテキトーに神様を祀っていました。それを神社庁というところに統一させて一元管理するようにして「国家神道」を作りました。 また明治政府が一番苦労したのが徴兵制の導入でした。多くの日本人は「何のために兵隊をしなきゃいけないのか」「誰のために戦うのか」っていうのが理解できなかったのです。市民革命によって成立したヨーロッパの国々とは国民の意識からして違ったのです。 そこで明治政府は尋常小学校で「天皇陛下はみんなのお父さん。皇后陛下はみんなのお母さんなんだよ」と洗脳・・・いえ、教育したのです。それが昭和の軍隊の「天皇陛下のために戦え」に繋がっていくわけです。 そのためにはみんなのお父さんの名にふさわしい、壮大な神社を建築するのが一番です。だから明治神宮は大日本帝国にとっての威信をかけた一大プロジェクトだったのです。後からの体裁として「人々の慕う心がそうさせました」というのは簡単なことであります。
天皇を慕っていたから建造に尽くした人がいたわけではありません。 国として命令されたから、否とは言えず集まって作っただけです。