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昔のLSIゲームはマイコンで動いていたのでしょうか

小学生の頃買ってもらった、バンダイのLSIゲーム「ミサイルインベーダー」はどのようなLSIを使っていたのでしょうか。単なる集積回路ではなく、プログラム可能なマイコンだったのでしょうか。 これです。この音覚えています。 https://www.youtube.com/watch?v=4CeYkrx8ARw 私は、Z80のアセンブラで入門し、PC-9801シリーズでMASMを使った世代です。

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  • lupin__X
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回答No.2

>ゲーム動作をする回路を頑張って設計し1個のカスタムLSIとして生産 ↓中の基板には、28PのLSIが1個なんですよね。 https://ameblo.jp/uzumasa-omotyabyouin/entry-12282180483.html ・当時の技術水準でハードだけで可能か、期間的・コスト的に有利か ・ソフト比重の高いスペースインベーダー後で、時代の流れ的に逆行するか 「そのすぐ後」を知っていることから推理して。 当時、ゲートアレイもなかったはずで、1種類のゲーム専用でフルカスタム のLSIを起こせるとは、費用が莫大で開発期間の面からも考えにくいです。 でも、完全決着にはならないですね。 雑談です。 プログラマーをしたことはありませんが、近いことや橋渡しはしました。 仕事で、ある特殊部品を大改良しました。その検査装置が、6809パソコンに 特注の拡張基板でチェックするものでした。その資料も環境もないものでした。 全体は、BASICでしたが、その基板を捜査している部分は 16進数のみ。結局、 ハンド逆アセンブルして、ハードは、8255を操作していることを解読、 改良して、ハンドアセンブルしました。 その数年後、組み込み用CPUのプログラム、一番種類チェックしてたと思います。 ほとんど 8ビットでしたが、4ビットの方が癖があって嫌でしたね。 ザイログもZ80のあとヒットせず、Z8000 も仕様しか見てません。 NECもV30があったのを今回調べてて思い出しました。 汚い設計と言われてましたね。68000も遊びでアセンブラしましたが、 味気ない設計に感じてしまいました。 パソコンを最初に買ったのは、286でした。アップルを1回だけ買ったのは、 PowerPCとそのプログラム環境が一番高い買い物でした。

cwdecoder
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 やはりカスタムLSIにするのは、莫大なコストがかかるのですね。 私の場合は趣味です。情報システムまでは学びましたが仕事にはしていませんので、結局趣味の領域のままです。 すごいですね。ハンドアセンブルも大変ですが、ハンド逆アセンブルはその数倍大変だということが想像できます。8255ですか!今更ながら、Z80マイコンボードとか作りたいですね。今ならオシロもありますし、動作クロックが低いのでモジャモジャに配線しても、コイル成分など気にせずに作れそうです。

cwdecoder
質問者

補足

>・当時の技術水準でハードだけで可能か 当時だからこそ、十分可能だと思いますよ。 74ファミリーなどのロジックICだけで、あのゲームを作れと言われれば、私も何とか考えて作るでしょう。(報酬が数億円だったり、逆に、作らなければ死ぬことになるよと脅されればですが)

その他の回答 (1)

  • lupin__X
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回答No.1

ゲームセンター向けのインベーダーゲームの追従ですから、間違いなく プログラムで動いてます。 ただ、回路図らしきものは、見当たりません。 Wiki の「電子ゲーム」に記述があります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/電子ゲーム#cite_note-denshi1-1 「ソフトウェアが内蔵された電子回路と一体になっているため、 ソフトウェアを交換して別のゲームで遊ぶ事は出来ない。」 1978年にタイトーの『スペースインベーダー』がゲームセンターに登場 追従する形・・バンダイの『ミサイルベーダー』 「ミサイルインベーダー」は、名前が引っかかって「ミサイルベーダー」 にすぐに変わったようです。 当時のソフトウェア開発環境・デバッグ環境は、貧弱で大変だったと想像 します。私は、そのすぐ後のソフトウェアの開発ツールが超高価だった ころを知っています。

cwdecoder
質問者

お礼

有難うございます。 4×6個くらい(?)のマス目状に配置されたLEDと7セグLED2個なので、私は、ひょっとしたら、ロジックゲートやカウンタやシフトレジスタの組み合わせで、ゲーム動作をする回路を頑張って設計し1個のカスタムLSIとして生産していたのではないかと思っていたのです。 やはりプログラム内蔵で、順次命令を読み出す方式だったのでしょうか。 >当時のソフトウェア開発環境・デバッグ環境は、貧弱で大変だったと想像 します。 本家のスペースインベーダーは、8080ですね。調べてみると、なんとハンドアセンブルで開発したとか。 8キロバイトとはいえ、全部ハンドアセンブルするなど、考えられません。 私は8080の上位互換のZ80でプログラミングを始めましたが、やはりアセンブラがなく、最初はハンドアセンブルでしたね。シャープのMZ-700でした。JP命令は、16進数でC3 XX XX CALL命令は CD XX XXだったのはまだ覚えています。これは8080でも共通ですね。 その後雑誌にアセンブラが掲載され、それを打ち込んだので、快適にプログラム作成ができるようになりました。ジャンプ命令にラベルが使えるというのは画期的でした。 情報役に立ちました。ありがとうございます。

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