>38度線分断→朝鮮戦争→軍事境界線ということでしょうか?
そうです。
朝鮮戦争休戦までの流れを言うと、
1945年8月15日、日本の敗戦ポツダム宣言受託、同9月2日の降伏文書調印により朝鮮半島が日本の統治より切り離され、北緯38度線を境として北はソ連、南はアメリカにより分割統治される。
1948年8月15日に大韓民国、同9月9に日朝鮮民主主義人民共和国が樹立。
1950年6月25日に金日成率いる朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮人民軍が朝鮮半島統一と言う名目で突如大韓民国へ侵略を開始する。
それにより、戦闘準備を全く行っておらず、なおかつ軍事力で北朝鮮軍より遥かに劣っていた韓国軍は総崩れ状態となりソウル近郊から撤退。
この際、韓国大統領である李承晩は真っ先に大統領官邸から逃亡し、韓国軍の指揮系統に大混乱を起こす。その際漢江にかけられていた橋を爆破して撤退したため、多くのソウル市民、ソウル防衛にあたっていた韓国軍兵士が逃げ場を無くし、多くが犠牲となる。
北朝鮮人民軍の勢力は衰えず、韓国軍及び国連軍は撤退に次ぐ撤退で、一時は釜山近郊まで押しやられる。
一時韓国側の敗戦確実とみられたため、韓国大統領の李承晩は日本への亡命を求めるが日本政府はそれを拒否する。
李承晩の一連の言動に対し国連軍最高指揮官のダグラス・マッカーサーが激怒。
マッカーサー立案による仁川上陸作戦が実行される。
仁川上陸作戦が成功し、北朝鮮軍は物資補給路を断たれ国連軍が巻き返し始める。
北朝鮮軍の形勢が悪化し、一時は中朝国境付近まで国連軍に押し戻される。
北朝鮮軍敗戦確実と思われ始めたころに中国人民義勇軍(実質的に中国人民解放軍)が参戦。
国連軍が押し返され始め、北緯38度線付近で膠着状態となる。
1953年7月27日に38度線付近の板門店で韓国軍+国連軍と北朝鮮軍+中国人民義勇軍との間で休戦協定が締結される。
この時点での両軍の最前線の境界ラインが現在の軍事境界線。
>社会の先生はなぜ朝鮮戦争→38度線と教えたのでしょうか?
単純に自身が第二次世界大戦後の朝鮮半島情勢に詳しくないか、社会の授業カリキュラムの関係で詳しく教えてる時間が無かったのでしょう。
はっきり言ってしまえば、学校で習う社会の授業など、ほんとにさわりだけで現代史ですら歴史をまともに教えてるとは言えません。
要は未だに受験のための授業を行ってるとしか言えないということです。
だから、受験に対して必要のないことは簡略化してすっ飛ばしてしまうのが今の学校の授業です。
テストの回答では、南北朝鮮の国境線は38度線と言う回答で〇をくれるレベルでしかないのだと思います。
ただ、先の回答でも書いたように、そもそ38度線にしても軍事境界線にしても、それが南北朝鮮の国境線と言うこと自体がおかしいのですけどね。
現在では38度線は存在してませんし、軍事境界線は朝鮮戦争の休戦協定によって定められた軍事境界線であり、国境線ではありませんので。
朝鮮戦争は現在もただ休戦中であって終戦ではありません。
そのため南北朝鮮間に国境線が引かれるのは南北朝鮮間と、北朝鮮と国連軍であったアメリカとの間で平和条約が締結された後のことか南北どちらかの政府により、朝鮮半島統一がなされた後のことになります。
お礼
ありがとうございました。 社会の先生も社会の授業でそう教わったような気もしますw。